流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
日に日にあたたかくなって参ります。

テレビに出てくる東大や京大のクイズ王たちの幼少期もこんな感じかな?天才児はたくさんいらっしゃる。→ http://masason-foundation.org/scholars/

日本は、平和期に多くの天才を生み出すのかもしれません。いい感じです!
『あなたのバーチャルアシスタント・ロボット"NOYBO"』森谷 頼安(モリヤ ライアン)さん(小学3年)
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画面に映されているバーチャルアシスタント機能をプログラムされたロボットキャラクターと、作者の森谷頼安さん。

「あなたがパソコンを使っているときに、ついつい忘れてしまいそうな用事を教えてくれる」バーチャルロボット。子ども向けプログラミング言語として幅広く活用されているScratch(スクラッチ)で制作された作品だ。制作のきっかけになったのは、Appleの音声アシスタント機能・Siriを面白い!と感じたこと。ただ、Siriには顔がなくて寂しいと思い、NOYBO(ノイボ)というキャラクターを作り、今の時刻や次の予定、電卓の計算結果、しりとりなどのミニゲームも、声で教えてくれるようにプログラミングしたのだという。画面上のキャラクターが話す声は、作者があ、い、う、え……と一言ずつ声を吹き込んだもの。一定時間入力がないと、ロボットが本を読み始めて待機するといった工夫も施されている。
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NOYBOが持っている多数のアシスタント機能を実際に操作しながらアピールした。

 作者の森谷頼安さんに普段どんな毎日を過ごしているか聞くと、プログラミングだけでなく水泳やダンスにも取り組むなど、とても忙しい様子。こうした忙しさのなかでつい忘れてしまうことを、楽しく教えてくれるアシスタントがほしいという「こんなのあったらいいな」が、作品制作のもうひとつのきっかけだと教えてくれた。最近では、Appleのアプリケーション開発環境であるXcodeや、世界中の開発者から支持されているゲーム開発環境であるUnityを使ったプログラミングも始めているとのこと。将来の夢をたずねてみると「指示された内容をプログラミングするだけの仕事ではなく、自由に考えて表現できるような仕事に就きたい」と話してくれた。

森谷頼安 born in 2008

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独学で英検準1級合格
2017年 U-22プログラミング・コンテスト2017 小学生部門CSAJ賞、第2回 全国小中学生プログラミング大会 優秀賞・小学校低学年部門、NATIONAL GEOGRAPHIC LEARNING主催 第11回センゲージラーニング リーダーズコンテスト(英書読書大会)小学校低学年・日本語感想文の部 優勝他受賞多数

幼稚園の時に偶然目にしたScratchに一瞬で心を奪われ、これまで独学で700以上の作品を作っています。その学びの過程で生きた英語を身につけました。作品音楽にも心を動かされLogic ProやMuseScore での作曲も独学中です。最近はAIに興味を持ち、人工知能風のプログラミングの作品も発表しました。低学年なので広く学び実体験を重ねることと説得力ある英語を磨く事が最優先に取り組んでいます。また、子どものパソコン使用環境向上 、プログラミングを学ぶ楽しさや重要性を子ども目線で伝えています。泣き虫克服中!

参考:http://masason-foundation.org/scholars/


彼ら天才の多くが愛の戦士として、日本と世界を真の平和に導くよう願って止みません。


閑話休題(ソレハサテオキ)


南朝の国会議長(1945年3月生)がブルームバーグ通信とのインタビューで、天皇陛下が元慰安婦に直接謝罪をすれば慰安婦問題を解決できると安易な見識を開陳した際のこと。彼は、天皇陛下のことを「その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか」と語った。この発言は彼の無知によるもので、事実ではない。彼の言動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの独立運動である3・1独立運動100周年を盛り上げるオペレーションの一端であろう。だから、彼らに乗せられて、南朝を批判したり、説得しようとも、わが邦が益することは皆無だ。今後もこのようなオペレーションが3月1日に向けて起こされるだろうから、彼らが提起してくる諸問題に対しては、それらに連関する事実を明瞭に提示して国際社会に日本の正当性をやんわりとアッピールしたい。加えて、1918年1月の合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンによる「十四か条の平和原則」発表に触発された内地で勉強中の朝鮮人学生たちの東京府東京市神田区のYMCA会館参集を事の発端とする3・1独立運動という民族愛は尊重したい。そして、不幸なことだが弾圧された人々がいた事実には哀しみの念を表明する姿勢を大切にしたい。

1910(明治 43)年8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合したことは、当時の国際社会が認めた政治的社会的事実であり、無法ではない。しかしながら、主権者であった皇帝の高宗(1852年7月〜1919年1月)が親露政策を推進しようとして英米の不信を招いたタイミングに、日本は武力による威嚇を背景に強制的にこの条約を締結したと観ることもできる。約110年後の現代に生きる私たちは、その行為に善意を感じないに違いない。

締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称し、朝鮮総督府が外地として運営した。初代韓国統監の伊藤博文(1841年10月生; 総監:1906年12月〜1909年6月)は、新渡戸稲造博士(1862年9月〜1933年10月)から「朝鮮人だけでこの国を開くことが、果して出来ませうか」との問いに対して、「君朝鮮人はえらいよ、この国の歴史を見ても、その進歩したことは日本より遥以上であつた時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。才能においては決してお互に劣ることはないのだ。然るに今日の有様になつたのは、人民が悪いのぢやなくて、政治が悪かつたのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない」(新渡戸稲造全集第5巻・「偉人群像」第27章『伊藤公』)と応えたほどに相手の心情を推し量ることができた不偏不党の人物であった。

南朝の現行憲法は、前文と本文10ヶ章130箇条、附則6箇条で構成されている。前文には憲法の成立した由来と歴史観が明記されている。そのエッセンスは、日本の植民地支配を歴史的に否定する根拠を、1919年3月1日から正統な政府があったことに置いていることだ。

(前文引用)・・・・・・・・・・・・・・・・
悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台とした自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域に於いて各人の機会を均等にし、能力を最高に発揮なされ、自由と権利による責任と義務を果すようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・(引用終わり)

不幸な歴史を乗り越えて、日本と南朝が未来志向に舵を切るべく、歴史的事実と法的事実を枉(ま)げることなく遵守しながら友好関係を築けるように時空を立替え立直したい。

さて、昨日飛び込んできたニュースには、「どってんこきました」(北海道弁でびっくりした!の意味)。

日本の首相(1954年9月生)が、ノーベル委員会に5頁に亘る書簡を送り、ノーベル平和賞に推薦した人物は今上陛下ではなく、合衆国大統領でした。合衆国大統領は日本の首相に推薦を依頼した。アレ魔ぁ・・・。「おかしな二人」(The Odd Couple)ですね。
トランプ大統領「安倍首相からノーベル平和賞に推薦された」
(NHK 2019年2月16日 13時43分)
 アメリカのトランプ大統領はホワイトハウスで行った記者会見で、北朝鮮がかつてのようにミサイル発射実験を行わなくなった事態を受けて、「安倍総理大臣からノーベル平和賞に推薦された」と明らかにしました。
 トランプ大統領は15日、ホワイトハウスで行った記者会見で、2回目の米朝首脳会談に関する質問に答えた際、「日本の安倍総理大臣からは、彼がノーベル委員会に送ったというすばらしい書簡の写しをいただいた。日本を代表して私をノーベル平和賞に推薦したと話してくれたので、私は『ありがとう』と伝えた」と述べて、安倍総理大臣からノーベル平和賞に推薦されたと明らかにしました。
 そのうえでトランプ大統領は「安倍総理大臣が5ページにわたる美しい書簡をくれたのは、なぜだかわかるか?かつて日本は上空をミサイルが飛び交い、頻繁に警報が鳴っていたが、今、彼らは安全を実感している。それは私が北朝鮮と話をつけたからだ」と述べ、自分が北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長と首脳会談を行い、地域の緊張が緩和されたことを安倍総理大臣が評価したためだという認識を示しました。

ワシントンの日本大使館「コメントは差し控える」
 これについて、ワシントンの日本大使館は「トランプ大統領の発言は承知しているが、両首脳間のやり取りについてはコメントは差し控える。アメリカとの間では拉致、核・ミサイルといった諸懸案の包括的な解決に向けて政策を綿密にすり合わせており、引き続き緊密に連携していく」と話しています。

今夜はもう少しお付き合い願います。

天皇在位30年記念式典が政府主導で今月2月24日(日曜日)に開催される。今一、盛り上がりに欠けるのは、今上陛下が乗り気ではないらしいから。当日皇居にお出ましにならないわけです。
天皇陛下御即位30年記帳(平成31年1月24日発表)
天皇陛下御即位30年記帳は,平成31年2月24日,皇居で行われます。
天皇皇后両陛下始め皇族方のお出ましはなく,宮内庁庁舎前の特設記帳所において記帳又は名刺をお受けします。

天皇陛下に謝罪を求めた南朝との間で日本は関係悪化の一途をたどっている。この事態に誰よりも焦心苦慮なさっているのは陛下ではありませんか。国内外の人々がこぞって天皇在位30年記念式典を心から祝福できる環境が整っていないように見えます。

伊藤博文公が現代に現れたなら、「今日の有様になつたのは、人民が悪いのぢやなくて、政治が悪かつたのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない」と民衆と両国の為政者たちのことを語るに違いありません。

もう、こうなったら、愛の戦士にご登場願うしかありません!



昨日の朝、久々に清水博氏(1932年生)の『生命と場所』(1999年・NTT出版)を紐解く。「創造」に関する次の箇所に引き寄せられた。
・・・創造には方向性がなければなりません。倫理はこの方向性を示す、と私は思っています。創造的な場には倫理性がなければならないのです。この倫理感から使命感が生まれてきます。何らかの使命感をもってはたらくことで、狭い意味での「私」へのこだわりを捨てて、場所の問題を背負う行為が可能になります。
(中略)
 創造にとって、まず大切なことは新しい疑問を発見することです。創造とは正解を発見しようとするはたらきでは断じてありません。自分が疑問を感じるところからしか出発できないということなのです。次にその疑問がどのような問題から生まれてきたのか、夾雑する無関係な情報や信号を消して、その起源を明らかにしていきます。自分の意識が透明になるにしたがって、疑問のなかに存在している「問題の核心」が次第にはっきり見えてきます。私はこれを「問題の鈍化」と呼んでいます。やがて、これ以上は鈍化できないという段階に来ます。それは、その核心をひと言で表現できるという状態にいたる段階です。そして、その核心的な問題をどのように解決するか、夜眠っている間にも考えるともなく考えつづけていきます。これを「問題を抱いて寝る」と言います。若者が、好きな人のことを昼も夜も思いつづけるときように、考えるというより、思いを集めて意識を集中していくのです。このような状態が続くと心身が消耗しますが、むしろその心身消耗の臨界的状態に自己を置くことが飛躍のために必要です。そして考えている問題から思わず気を離した一瞬に、突然核心的な真実が目前に閃いて、そこから新しい世界が広がっていきます。その世界は、閃きがおきる前にはまったく考えてもみなかったものです。要するに、創造というものは、自分自身が「存在している」場所が変わるということなのです
(中略)
 倫理に関する感性を高めていけばいくほど、かすかな光が送られているのが見えてくるのです。それは誰かに良い評価をされたり、あるいは自己の名誉のために何かをするというような気持ちとはまったく無縁な世界です。創造はコロンブスのように自分自身を信じて無限定な未来のなかへ出て行く冒険ですが、その暗黒の闇のなかで方向を間違えないためには、未来の方から自分を導くはたらきが必要です。暗黒の闇のなかに迷っている自分の存在を照らし、未来へ誘うはたらきです。(356〜358頁より引用)

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参考:場の研究所 https://www.banokenkyujo.org/

代表者挨拶
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NPO法人 場の研究所
所長 清水 博

 人間が自分自身の〈いのち〉を空洞化して仮想空間に住む人工物に置き換えていくという信じられない変化が世界的に進行しています。これは「他の人より多くを 独占したい」という、「この私」の独占欲から生まれてくる心の病です。私たちがこの不幸から解放されるためには、「この私」という概念そのものがすでに 〈いのち〉のない仮想モデルであることに気づいて、「誰もが主役」という〈いのち〉本来のドラマを共創していく実践が必要です。
 場の研究所はその勉強と実践のなかで、それぞれが本来の〈いのち〉を取り戻していくところです。地球の「場としての〈いのち〉」に包まれて生きていく「粒 としての〈いのち〉」という〈いのち〉本来のあり方を掴むことができれば、生にも、また死にも、大きな安心が与えられて、未来が開かれてくることを実感で きます。



閑話休題(ソレハサテオキ)


社会の構成員として私たちには、街で顔を腫らした姿や夕飯時にひとりぼっちで公園等の広場に居る少年少女を目にしたときに、「はじめまして。何か私にできることはありますか」と敬意を以って尋ねる勇氣・胆識はあるでしょうか。サポートするとか守ってあげるという上から目線よりは、私たちが見習うべき靈格の持主として尊敬の念を以て接したいものです。「マタイによる福音書」18章から、子らと如何に接すべきかのインスピレーションを得ることができそうです。子らは親の所有物(奴隷や生贄)ではありません。親は子らの近くにいて、子らの世話や教育をしますが、真の親権(神権)は天の国にあるということを想いだしましょう。 天からの授かりものなのです。
18:01そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 18:02そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 18:03言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 18:04自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 18:05わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 18:06「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。 18:07世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。 18:08もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。 18:09もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」 18:10「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 18:11*人の子は、失われたものを救うために来た。 18:12あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 18:13はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 18:14そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
(マタイによる福音書 18章 01-14節 日本聖書協会http://www.yoyoue.jpn.org/bible/mat.htm

ともすれば、私たち民衆は犯罪を特異な個人の行為として括(くく)り、「Retributive Justice(応報的司法)」すなわち法律で犯罪と定められた行為に対する報いとして、国家が個人に刑罰を科すことを以ってその犯罪は一件落着したかのように思いがちです。そもそも社会の構成員として誠実な人間の生活ができていなかった人に刑罰を繰り返し科そうとも、犯罪の背景にある社会問題を解決し、新たな被害者・加害者を生まないようにすることには必ずしも役立っていません。刑罰は犯罪を減らすことの必要十分条件ではありません。どのような社会の変化が事件に連関しているのか、事件の背景にはどんな問題が隠されているかを、見極めたいものです。
虐待で児相通告8万人超、18年 警察庁の犯罪情勢
(東京新聞 2019年2月7日 10時31分)
 警察庁は7日、2018年の犯罪情勢(件数などは暫定値)を公表した。虐待を受けた疑いがあるとして児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子どもは前年比22・4%増の8万104人で、統計のある04年以降初めて8万人を超えた。ドメスティックバイオレンス(DV)やストーカーの相談件数なども高水準。刑法犯全体の認知件数は81万7445件で、戦後最少を更新した。
 通告児童数は過去5年間で約2・8倍に増加。18年分の内訳は、暴言などの心理的虐待が5万7326人と7割を占めた。暴力による身体的虐待が1万4821人、ネグレクト(育児放棄)などの怠慢・拒否が7699人。(共同)
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悪魔的な児童虐待の原因は核家族化または先の大戦後のアメリカ化よって起こったのであり、「コインロッカー家族」と呼ばれる家族とそれを容認している社会の様態を見極め知る必要がります。
・・・児童虐待の多くは社会から隔離された家族のなかでの現象である。教育母子家族が大衆化した戦後,高度成長期を経てのことになるが,コインロッカー家族(庄司洋子1988)と呼ばれる家族の特徴は,都市の核家族の多くに当てはまるものであった。コインロッカ― 家族とは,都市のマンションに典型的な,ドアの鍵がかけられた家庭のなかで誰がいるか,何がおこっているかは,外部からは(隣でさえ)うかがい知れない,という孤立した密室としての家族を指している。そのなかで子どもたちが社会化を経験している。虐待があってもなかなか外からは見えないという状況の成立である。
 このコインロッカー家族のなかで社会化の営みがおこなわれ,家族外の社会からは,その営みに対して介入不可能になっている。つまり,社会化システムとしての家族と,現にある社会という意味での社会システムとの乖離である。この乖離は,教育母子家族という規範とともに,都市の流動性や匿名性や利便性,あるいは家族の密室
性などの構造的要因に大きく関わっているのであるが,社会化の問題が生じると,そうした要因は軽視されるか,忘れ去られて,社会化システムとしての家族関係や母親のありかたのみが強調的に問われることが多いのである。構造がもたらす閉塞性に導かれて,構造を所与とした閉塞的な研究(篇言説)が多く生産されるということにも注意しなければならない。
 これに対して,庄司洋子(同上)は,1988年におきた「子ども置き去り事件」(非婚の母子家族において,母親が愛人と暮らしつつ,子どもに送金してはいたが,14歳の長男とその妹たちだけで暮らすことになった結果,幼い妹の死にいたるまで事態が進んでしまった)について,社会的規範や上述した現代の都市および家族の構造的要因に注目して論じた。また,松村尚子(1985)は,現代社会を『構造的育児不能社会』と呼んで,その問題点を指摘している。それらは,現にある社会システム,すなわち家族を取り囲む現代社会が,顕在的な社会化を担うシステムとしてまったく不十分であることの指摘であった。社会化という機能を,現代の社会が果たせなくなっているということである。
(『社会化とフェミニズム』(渡辺秀樹・「教育社会学研究第61集(1997)」)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds1951/61/0/61_0_25/_pdf

子らは自らの親・家族を選んで生まれ来たのではなかったのでしょうか(※注)。例外なく、私たちの誰もがその親・家族によって人生の大部分の物事を決められてしまい、動かすことができません。ですから、親・家族はあらゆる不平等の根源である、という認識を持つ必要があります。私たち大人は子らに対して、この不平等、特に著しい不利益を彼らの意思を無視して、無理に承知させたり、引き受けさせたりしないですむように、できる限りの努力をしようではありませんか。そのような未来を思い描き行動することで、未来から私たち大人を導き、子らが育つ家族(国)を変えていくことができそうです。

人間の性情は親・家族(磁場)によって織りなされるさまざまな要素を具体的に現しているものです。弱者をいかに守るかに専心すると同時に、強い愛の磁場(家族・日の本の人)をいかに育(はぐく)むかに意識を集中したいものです。親性(神性)の魂(たましい)が 幸(さき)はふ国が日本なのではありませんか。
 

※注: 現代日本では、親・家族に殺される運命を与えられた子らが生まれているということなのかもしれません。親子の結びは人生の中で最重要な結びであるはずなのですが、そうではなくなってしまったのでしょうか。

参考: 流れのままに 『愛の法律』(2015年03月02日)


大きな笑顔の佳き連休を。

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今日2月7日は、「北方領土の日」。北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された。1855年2月7日(安政元年12月21日)、伊豆の下田で日魯通好条約が調印。日露両国(江戸幕府と帝政ロシア)の国境が択捉島とウルップ島の間に平和裏に定められ、北方四島が日本の領土として初めて国際的にも明確になった。その2月7日に由来している。

独立行政法人北方領土問題対策協会のサイトでは、以下のように明記されている。
北方領土とは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島のことです。
これら北方四島は、1945年にソ連に法的根拠なく占拠され、ソ連が崩壊して、ロシアとなった現在もその状態が続いています。

にもかかわらず、日本経済新聞が1月25〜27日に行った世論調査では北方領土について「4島の一括返還」をすべきだと答えた人は27%で、同様の質問をした昨年11月より6ポイント下落した。日本の政権政党が歴史教育の必要性とそのあり方についての見識と胆識(行動する勇氣)を持てないでいること、そして日本の教育機関及びメディアの構成員たちが戦中戦後の歴史的事実を知らせる活動をしてこなかったことのツケである。
「不法占拠」の表現、アピールで使わず 北方領土の日 全国大会
(東京新聞 2019年2月7日 夕刊)
 「北方領土の日」に当たる七日、政府や関係団体などが「北方領土返還要求全国大会」を東京都内で開いた。領土問題の早期解決を求めるアピール案には、例年とは異なり、北方四島の「不法占拠」との表現は使われなかった。安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領との平和条約締結交渉に悪影響を与えないよう配慮したとみられる。
 アピール案は、北方四島を「わが国固有の領土」と明記。「政府と国民が一体となって、積極的に返還要求運動に取り組む。平和条約締結に向けた交渉を後押しする」などの文言も盛り込まれた。「不法占拠」の表現は、北方四島が日ソ中立条約に反して不当に占領されたとの政府見解に基づき、毎年の大会アピールに盛り込まれてきた。
 今大会に出席した首相は「皆さまの切実な思いをしっかりと胸に刻み、一歩一歩、着実に領土問題の解決に取り組んでいく」とあいさつし、日ロ交渉の進展に意欲を示した。二月七日は一八五五年に北方四島を日本の領土と確認した日露通好条約が結ばれた日で、政府が「北方領土の日」と定めている。 (島袋良太)

◆アピール案ポイント
一、北方四島について、ロシアによる「不法占拠」との表現を盛り込まず
一、昨年あった「解決がこれ以上長引くことを断じて許すわけにはいかない」との言葉も使わず。
一、北方四島は「わが国固有の領土」であり、返還実現を目指す。
一、平和条約締結に向けた交渉を後押しする。


閑話休題(ソレハサテオキ)

“2島引き渡し 平和条約交渉急ぐ” 旧ソビエト機密文書
(NHK 2019年2月7日 4時43分)
 日本とロシアの両首脳が平和条約交渉の基礎としている1956年の日ソ共同宣言をめぐって、当時のソビエト指導部は、アメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られ、早い段階から、北方領土の歯舞群島と色丹島の2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが、NHKが入手した文書で明らかになりました。2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。
 日本とソビエトは、1955年の6月にイギリス ロンドンで、国交正常化に向けた交渉を始め、翌56年に平和条約の締結後、歯舞群島と色丹島を引き渡すことを明記した「日ソ共同宣言」に署名しました。
 2島の引き渡しについては、ソビエト側の交渉責任者だったマリク全権が55年8月、非公式の場で、日本側に突然、持ちかけたものですが、その意図は不明でした。
 これについてNHKが7日までに入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書では、交渉開始直前の6月2日付けで「両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としていて、「外国軍の基地を置かない」ことを条件に、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。
 その理由として文書では「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下のアメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られていたことが背景にあるものとみられます。
 今回の文書についてロシア政治に詳しい法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞・色丹の話が出てくるプロセスが初めて見えてきた。2島を提供するという譲歩で、ソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。
 そのうえで「プーチン政権の交渉態度も、当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べていて、日ソ共同宣言に基づいて2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。

ソビエト指導部の方針や経緯明らかに
 今回NHKが入手した機密文書によって、日本との国交回復交渉に臨むソビエト指導部の方針や経緯の一部が明らかになりました。
 このうち、1955年6月に交渉を開始する前の5月に出されたソビエト共産党指導部の指令文書の草案では「交渉の直接の目的は相互に大使館を設置すること」とされ、領土問題については「検討すべきものではない」と書かれています。
 ところが、イギリス ロンドンで日本側との交渉を始める前日の6月2日付けの文書では、ソビエト共産党指導部が方針を大きく変えたことが分かります。文書では「ソビエトは日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置を取る必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下、日本をアメリカから引き離そうというねらいがうかがえます。
 中でも領土問題への対応については「日本が北海道に直接隣接する歯舞群島と色丹島の返還問題を提示する場合、ソビエトは特定の条件の下で検討することが可能だと宣言できる。両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」として、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。
 この文書は、保守派と言われた当時のモロトフ外相が作成した案をフルシチョフ第1書記やブルガーニン首相が承認する形となっていて、歯舞、色丹の2島の引き渡しはソビエト政府の一致した考え方だったことが分かります。
 その後、1955年7月14日付けの「歯舞群島と色丹島に関する指令の草案」と題された共産党中央委員会の文書には、ソビエト側の交渉団トップのマリク全権への具体的な指示が記されています。
 この中では「島を引き渡したあとに軍事基地を設置しないという義務を果たすならば、日本側に歯舞群島と色丹島の引き渡しに合意する用意があると伝えること」と書かれ、交渉開始から1か月後には2島の引き渡しに合意する用意があったことも明らかになりました。

日ソ国交回復交渉から共同宣言署名まで
 日本とソビエトの国交回復交渉は1955年6月3日、イギリスの首都ロンドンのソビエト大使館で始まりました。
 日本側は松本俊一全権が、ソビエト側はヤコフ・マリク全権が交渉責任者を務めました。
 交渉では、北方四島を含む領土問題も議題になりましたが、日本側が「歴史的に見ても日本の領土だ」と返還を主張したのに対して、ソビエト側は「第2次世界大戦の結果、解決された問題だ」として議論は平行線をたどりました。
 ところが、松本氏の回顧録によりますと8月5日、ロンドンの日本大使館で松本氏に対してマリク氏が突然「ほかの問題が全部片づけばソビエト側は日本側の要求に応じて、歯舞、色丹を日本に引き渡してもいい」と述べたということです。
 松本氏は「最初は自分の耳を疑ったが、内心非常に喜んだ」としています。しかし日本政府としては、国後島と択捉島を含めて4島の返還を求める姿勢を崩さず、ソビエト側も態度を硬化させていきました。
 結局、1956年10月、モスクワを訪れた当時の鳩山総理大臣とブルガーニン首相が「平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と明記した日ソ共同宣言に署名し、平和条約の締結には至りませんでした。

専門家「プーチン大統領も考え方を参考に」
 NHKが入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書について、ロシア政治が専門の法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞群島と色丹島の2島の話が出てくる過程が初めて見えてきた」と評価しました。
 具体的には、保守派で対日交渉に消極的とされた当時のモロトフ外相も2島の引き渡しを了承していたことがうかがえるとしたうえで、「最高指導部の決定として比較的最初から合意されていた方針だったことが分かるのではないか」と述べ、2島の引き渡しの方針が共産党指導部内で一致した考え方だったという見方を示しました。
 その背景として下斗米教授は、アメリカとの冷戦が続く中で、ソビエトにとってどのようにして日本をアメリカから引き離すかが重要になっていたとし、「歯舞、色丹を日本に提供するという譲歩でソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。
 そのうえで「最近、ラブロフ外相が非常に厳しい発言をしているが、プーチン政権の交渉態度も当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べました。具体的に下斗米教授は「小さな島は北海道の先だから平和条約の締結後に引き渡す。ただし国後、択捉は交渉しないということだ」と述べ、プーチン大統領も、北海道に隣接しているという理由で、歯舞群島と色丹島の引き渡しで最終決着を図ろうとした当時のソビエト指導部の考え方を参考にしているという見方を示しました。

 日露間では平和条約が未だ締結されていないが、締結交渉の際にはシベリア抑留者の奴隷労働の事実と補償を条約に記したい。それによって、多くの私たち日本の民衆に戦争の事実が再発見され、そして英霊たちの帰還を促すことになるだろう。それまでは日露間は戦争状態にあるという認識を持ちたい。
プーチン大統領が"ダレスの恫喝"に言及 北方領土問題で米国が「日本を脅迫した」
(安藤健二 The Huffington Post 2016年12月18日 17時41分 JST)
 ロシアのプーチン大統領は北方領土問題に関して、日本が1956年の「日ソ共同宣言」で四島返還を主張した背景にはアメリカからの圧力、いわゆる「ダレスの恫喝」があったという見方を示した。日露首脳会談の後、安倍首相と首相公邸で開いた12月16日の共同記者会見で言及した。
 
■「ダレスの恫喝」とは?
 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。この際、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張したが、日本側は国後島と択捉島を含む「四島返還」での継続協議を要求して交渉が折り合わなかった。
 そのため「共同宣言」では「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と明記されることになった。
 当時、アメリカのダレス国務長官は重光葵外相に対し「二島返還を受諾した場合、アメリカが沖縄を返還しない」という圧力(いわゆる「ダレスの恫喝」)をかけていたと伝えられている。

■プーチン氏「ダレス国務長官が日本を脅迫したわけです」
 産経ニュースによると、プーチン氏は「共同経済活動をどのように平和条約締結に結びつけていくのか」などと聞かれた際に、以下のように歴史的経緯を話した。
1956(昭和31)年に、ソ連と日本はこの問題の解決に向けて歩み寄っていき、「56年宣言」(日ソ共同宣言)を調印し、批准しました。
 この歴史的事実は皆さん知っていることですが、このとき、この地域に関心を持つ米国の当時のダレス国務長官が日本を脅迫したわけです。もし日本が米国の利益を損なうようなことをすれば、沖縄は完全に米国の一部となるという趣旨のことを言ったわけです。

 その上でプーチン氏は「私たちは地域内のすべての国家に対して敬意をもって接するべきであり、それは米国の利益に対しても同様です」として、北方領土問題に対してアメリカの利益が絡んでいると主張。「一番大事なのは平和条約の締結」として、最終的に日本との平和条約の締結を目指す考えを示した。

President_Eisenhower_and_John_Foster_Dulles_in_1956[1]
John Foster Dulles(February 25, 1888 – May 24, 1959) with U.S. President Eisenhower(October 14, 1890 – March 28, 1969) in 1956.

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