流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇五年睦月

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雪の降る夜に、松林では、
あちこちから聞きなれない音が聞こえてきた。
ビシィ、バシィーンと空気を叩くような音だ。


雪の重圧に耐えかねた枝が折れる音だった。
水分を多量に含んだ雨雪は重い。
粘度の高い雨雪の上に、さらに雪が降りつもる。
相当な重さがかり、太い枝でさえ一氣に折れる。

一方、細い曲がる枝は、雪が降り積むほどにしなる。
そして、するりと雪をふり落として、
ふたたび、スムースにもとへもどる。
これを春まで、幾度となく繰り返す。

感謝

『余(よ)は今迄(いままで)
 禅宗の所謂(いわゆる)
 悟りといふ事を誤解して居た。
 悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも
 平氣で死ぬる事かと
 思っていたのは間違ひで、
 
 悟りといふ事は如何なる場合にも平氣で生きて居る事であつた』

(正岡子規著『病牀六尺』,岩波文庫,1927年,41〜42頁より)

 53373e9c.jpg自分の価値観が日常生活の中で生き方となると、人格は本物になり、その品性は尊敬される。
 知識人の定義は何か? この答えは、「自分が知識人だと思っている人」だというユーモアがヨーロッパにはあった。国内外の出来事について論議するときがあるが、知識のパッチワークになってしまいがちだ。知識中心の議論は、みんなが分かったようなことを言って、分かったような気分になっているに過ぎず、物足りなさを感じてしまう。自らが、その場(土地)を全身全霊で体得して初めて、その場からストーリーを受ける。だからこそ、感銘や感動を手にする。
 活字の世界は縦と横の2次元平面だが、わたしたちが生活する現実の世界は高さが加わった3次元立体である。本から得る知識は博識の人間を作りがちだが、自然から体得する智慧や直観は、3次元空間を自ら移動することで磨かれ、品性ある人物を創る。通常、肉体が移動するには時間が必要だから、智慧や直観は時間軸が加わった4次元空間から体得できる。例えば、JFKの研究をするなら、テキサス州のダラス市に足を運び、そこに2本足で立ち、過去に思いをはせることこそが4次元空間や多次元空間からの智慧や直観のスイッチをオンにする。
 父母や祖父母の生まれ故郷や縁のある土地に足を運んでみたくなるのは、智慧や直観に磨きがかかり、品性が高まる兆しである。それは自分が何者かを明らかにしようとすることであり、日月星辰世界すなわち、天と地の探求の始まりであり、自らの自然が氣付いたサインである。続きを読む

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