流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇五年如月

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中国の山河は、日本と異なり広范十里の平原を抱えて、山あり川ありというような風向で、概して大観である。黄河・長江は別として、一般の少河細流は、雨降れば氾濫し、なければ枯れるというのが常の姿である。

 山東掖県に沙河と称する河があるが、この河も楚々として流れ、住民は平素川原の飛石を伝わって対岸と往来しているが、少雨にも直ぐ足を奪われて不便をかこっていた。

 県域にささやかな油商というより、天秤棒を担いで村から村へと行商していた人に、王福昌という人がいた。この川原の飛石越に、足をすべらせては天秤棒をほうり出し、河底に油を奉納したことが幾度あったかわからない。その度毎に王さんは『ようし一生のうちに俺は大金を蓄えることがあったら、ここに橋を架けてやるぞ!』と決意を新たにするのであった。十五・十六歳から営々として四十年の歳月を努力した甲斐があって、王福昌さんは採油工場(山東一帯は菜種油の産地である)を持って大々的に製油し、遠近に菜種油(当時としては灯油であり食用である)の卸売りをする迄になり、相当の資産が出来て家運も隆昌になった時、フト彼は年少の頃に川原の飛石づたいに行商をしつつ念願したことを思い出して、今こそ沙河に大橋を架けてやろうと、発願したのであった。

 しかし、いよいよ架橋に着手してみると、七・八十米(メートル)もある河幅全体にガッチリした大橋を架けるとなると、莫大な費用がかかって、蓄積した金銭は全部使い果たして終わったが完成には程遠かった。一時中止しては又始めるという具合に、遅々たる歩みを続けていたが、遂に採油工場を売り払って沙河の大橋は完成したのであった。

 明日は、愈々県知事を始め各界の代表も参列し、盛大なる開通式が挙行されるという前夜、彼は独り橋上を行きつ戻りつ、少年の夢を実現した喜びに耽りつつ、今は全く家産の殆どを傾け尽くして終わったことを思い、橋の中央に座して物思いに沈んでしまった。

 人生は一体何を以って幸福というのだろうか、金が畜って産を成し、独りの
よろこびとせず、天恩に報い人のために尽くそうとすれば工場まで売らなければならなくなって、又元の黙阿弥となり、五十の坂を越えて又天秤を担がねばならなくなったが、一体人間の幸福なんて何処にあるんだろうと、とつおいつ考えぬいていると、橋の彼方から二人の人影が近づいて来て『お前は幸福だよ、今はお前の欲するものは、何でも得られる身分になったではないか』と言った。
『いやそんなことはありませんよ、私はこの橋を造るために一切を失ってしまって、明日からは又天秤あきないをしなければならないのです。それでも幸福だと言えるんですか。』
『一切を人のために失った者は、一切が欲するままに得られることになっているんだよ、まあ一緒にしたがいて来給え』と手を執って彼を導いた。

 そしてその新しい橋上を離れて行くと、彼方の森の中に今まで見たこともなかった、西洋建築がそちこちの林間に散在しているのを見た。『あのような立派な家は、どなた様のものですか』と聞いてみると、案内者は、『あれは皆お前の家だよ、お前の欲するところに行って住むがよい』と言って案内してくれた。

 それ等の家の最も好ましき一軒の家に入ってみると小間使い、下男下女というような者が大勢居て、彼自身にかしづいて呉れた。フト気がついてみると自分は全くの乳呑児であった。そうしてそこに育てられて二十歳前後の好個の青年となるのである。

 しかし不思議にも彼は、この家の人として生れかわった者であるという意識と、生前沙河附近の貧乏な油屋であったことの意識から離れることが出来なかったので、一度ぜひその油屋を訪ねてみたい、と思って沙河の附近にやって来るのである。

 立派な大橋があったので、そのあたりを通行する人に、その橋の縁起について聴いてみると、『今から二十年ばかり前、この先の採油工場を持っていた王福昌という人が、全財産を投じて造ったものだ。そして明日は県知事始め知名の士が参列して開通式を挙行するという前夜、王さんは橋上に座して死んで終わったのですよ。その王さんの徳を讃えるため、あすこに碑がありますよ』と指さされた。彼は初めて自分が橋上から天使に導かれて天界に入り、直ちに富裕な家庭に転生させられたのだ、ということに気付いたのであった。

 転生王福昌は教えられるままにその家を訪れると、自分の妻は老いてその夫とも知らずに、見ず知らずの若者が、老夫の徳を慕って訪ねて呉れたものと、
茶を汲み接待をして呉れたのである。自分の子は、転生した自分よりも年長で、よく働く青年だと聞いたが、やはり貧困に抗しつつかせいでいることを知って、彼の現実は、恵まれ且つ豊かな家庭の人であるから、惜しげもなく自分の転生前の吾が家に、恵みほどこしてやったのである。

 そして彼は、善因は善果となって転生することの確信を抱いて、長ずるにしたがってますます徳を積んだという話は、山東掖県の挿話として尚語り伝えられている。

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 静かな朝。
 伊勢の朝も静かだった。
 
 建国記念祭には内宮に参拝した。
 多くの人々がいた。神殿を目指す長い階段で、多くの人々が私を押しのけて我先にと進んで行った。後ろには大勢の人々が控えている。静かに流れに従って進んだ。神殿が近づいてきても、この身体は前に進まなかった。私の前にスイスイと入り込んできた人々がいたからだ。
 やっと参拝することができた。ふと、後ろを振り向くと、あれだけいた大勢の人々がいない。どうしたのだろう。それは・・・(次回をお楽しみに

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人のご縁とは、ありがたいものだ。
『末永くお付合いください』との言葉とともに
田園調布のMさんのお宅からいらっしてくださった。
あぁ、ありがたい。
あぁ、しあわせだなあ。
あぁ、ゆたかだなあ。

感謝

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