流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇五年葉月

faabd99f.jpg 昨日の午後5時である政府系の「入札」が締め切られた。

 株式会社遺棄化学兵器処理機構(英文略称:ACWDC)という耳慣れない会社がある。日本国政府は、1997年4月に発効した化学兵器禁止条約に基づいて、中国にある旧日本軍の遺棄化学兵器を廃棄処理する事業に取り組んでる。ACWDCは、この事業のうち、中国吉林省ハルバ嶺における遺棄化学兵器廃棄処理について本事業の事業主体である日本国政府から業務委託を受け、コンサルティング業務と調達業務を遂行する役割を担っている。

 先週、8月24日付で内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室は、「遺棄化学兵器処理事業映像記録作成業務」を民間企業に委託することにした。そして、この業務はこの日からACWDCが「一般競争入札方式」により委託先の調達を行うことになった。契約期間は9月8日〜3月15日までである。

 虎ノ門の森ビルの5Fに内閣府の一室がある。
「遺棄化学兵器処理担当室」Abandoned Chemical Weapons Office Japanである。
(http://www8.cao.go.jp/ikikagaku/)
 平成11年4月1日に中国にある旧日本軍の遺棄化学兵器の廃棄処理を安全かつ速やかに行うための実施組織として総理府(当時)に設置された。
 平成11年3月19日の「遺棄化学兵器問題に対する取組について」の閣議決定によるもので、化学兵器禁止条約(平成9年発効)上の義務に基づいている。

 平成15年度予算措置状況は下記の通り。

’儡処理事業運営費        41.1億円
廃棄処理のための各種調査研究費等 29.2億円
ハルベ嶺の発掘・回収施設の詳細設計及び造成費等 202.2億円
そ萢施設の立地候補地の造成費等  33.2億円
イ修梁勝             1.4億円
                   合計 307.0億円
(引用 http://www8.cao.go.jp/ikikagaku/h150425doukou.pdf )

 この背景には、日本の戦争責任を政治的に使った、中国の見事な錬金術が見える。平成11年7月30日、北京で日中両国政府はこの遺棄化学兵器の処理に関する覚書に調印した。結果、推定70万発の化学兵器の処理をすべて日本の責任で進めることになった。日本は、金、人、技術を出すことになったのである。処理の費用は大雑把に5,000億円〜1兆円と見積もられているが、問題はわれわれの税金から賄われるということである。

 日本がポツダム宣言を受託した段階で、中国国内の化学兵器の所有権は中国に移っていることを忘れてはならない。なぜ、当時の政府は日本の国益を無視したような合意を中国と結んでしまったのだろうか。なぜ、日本のマスコミは詳しく伝えようとしなかったのか。

 この問題は、明日も引き続き論じることにする。

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1258293e.JPG風が心地よい。

昨年の今頃、こんな嬉しいことがあった。
一年ぶりに、『夢屋横丁』という輸入雑貨店に行き、
服を二着買った。

前年と同じように、
そこの娘さんはとても親切に対応してくれた。

『 新しい服が入荷する度に、
   ああ、お客さまにお似合いだわ、
    いついらっしゃるのかしらとずっと
     お待ちしていたんですよ 』
 
その話しっぷりが妙に真実味を帯びていた。
さあ、会計の段になって財布を取り出そうとしたとき、
 
『 領収証をおつくりしますね。
   お名前は「サイトウさま」で … 』

と、春風に舞う桜の葉のように、尋ねた。

『キ、キ、キィミィは、どうしてわたしの名前を…』

『お客さまにお会いしたときから、
  ずぅ〜っとこの次お会いできる日を待っていたから…』

そして、彼女とわたしは前年の話の続きを、
つい2〜3分前の話の続きをするかのように続けたのであった。
この二十代中ごろの娘の屈託のない会話と笑顔が素的だった。
だから、一輪のバラの花を、上品な薄黄色の花をプレゼントした。

『 ヤッタァー!ワァァー、うれしいぃ! 』

満面の笑み、そして迸るような若さが、
人であることの喜びを感じさせてくれる。

 感謝

ハリストス今から20年程前、ニューヨーク工科大学のカッツェ教授のもとで、哲学を勉強していたときのこと。彼女は出来の悪いわたしを、彼女のオフィスに呼び個人指導をしてくれた。そのとき彼女はこう言った。

『わたしたち教える側にできることは多くはありません。貴方自身の変化(Development )に氣付いてもらうことです。学期の初めに、これくらいだった貴方は(彼女は左手の親指と人差し指で、10センチ程の長さを示す)、学期の終りにはこれくらいの貴方に(今度は12センチ程の長さを示す)なっています。この貴方の変化(Development )(2 センチ程の長さを示す)に氣付いてください。そして、開かれた(Development-ed )貴方自身を楽しんでもらいたい』

 「教育」にあたる英語は、エデュケーション(education)だが、この言葉の語源となったラテン語のエデュカティオ(educatio)には「抽(ひ)き出す」という意味がある。すなわち、人間がほんらい内に有しているものを「抽き出す」こと、「育てあげること」。つまり、子供がこの世に生まれ出でる時すでに持っている、智慧や力をできるだけ抽き出し、十二分に開智・開花させること。これが教育であり、いろいろ知識を与えるというのは、個性の開智・開花という「目的」に対する「手段」にちがいない。「教科を教える」ではなくて「教科で教える」といわれる由縁である。

 学校教育とは、その昔、自然社会としての家族や地域集団(コミュニティ)の生活の中での自然的・機能的な教育では、形成できない知識や思想や技能を、人為的・計画的に教えることであった。しかしながら、現在、学校教育は社会との関係でとらえる必要がある。教育の目的は、地域社会から抜け出すことではなく、地域社会の中でよりよく生きることのできる人間形成にある。学校は、地域社会の問題や必要に応え、活動し、父兄を始めとする市民の教育をはかる。これが学校教育の使命である。

 すなわち、学校教育は「個人」と「地域社会」の二者を対象として、学校を通じてこの社会を進歩的な方向に改革していこうとする場なのだ。

 デューイは、『デモクラシーと教育』(1916年)のなかで次のように述べている。

 「われわれは学校の中に、われわれが実現したいと思っている社会の雛型を作り出し、この理想社会に合致した心性を創ることによって、しだいに大人の社会を変えてゆこう」

 「この社会の変革が、どんなものであるべきかは、形式的にはいいにくいが、それは要するに、全ての個人が他人の生活をよりよい生活にするような、仕事に従事するような社会でなければならない」

 社会改革のための人間形成の場として学校教育をとらえている。

 最後に、太宰治の『正義と微笑』の一部を引用しよう。

 主人公の進が、学校は嫌だといって兄に相談する。

 「学校がいやなんだ。とても、だめなんだ。自活したいなあ」
 「学校っていやなところさ、だけど、いやだ、いやだと思いながら通うところに、学生生活の尊さがあるんじゃないかね。パラドックスみたいだけど、学校は憎まれるための存在なんだ。僕だって、学校は大きらいなんだけど。でも中学校だけでよそうと思わなかったがなあ」

と言われてひとたまりもなく説得される。

 更に、進は尊敬する金子先生が、退職する時の次の言葉に心惹かれる。

 「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものはいいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないと思っている人もいるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強はカルチベートされるということなんだ。カルチャアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するということを知る事だ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまっていいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に直接役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは」

◎ ハリストス正教会 ◎

 名前のハリストスとはキリストのことで、江戸末期、ロシア主教ニコライによって日本で初めてロシア正教が伝導され、ロシアの領事館及び礼拝堂として建てられた教会。国の重要文化財に指定されている、ロシア風ビザンチン様式の優美な建物。教会の裏手で海をバックに絵になる写真が撮れるのが楽しい♪

■函館市元町3-13
■営業時間/10:00〜16:00

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