流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇五年神無月

4ac79811.jpg七ころび八起(やお)き。
倒れても起き上がり、
ころんでも立ち上がり、
力をおとさず、
希望をすてず、
光明(こうみょう)の下(もと)に、
楽しみながら道(みち)を、
ぐんぐんと進んで行く。
ただ此世かぎりの生命(いのち)ではない。
幾千万年の末までつづく、
魂(たましい)の世界がある。


             わがおもう
              港も近く
               なりにけり

             ふくや
              追手の
               かぜのまにまに

             感謝

a7d3f26f.jpg 今日は元旦から数えて300日目である。
 今年も残すところ65日。

 この300と65の真ん中の10月27日は、
 松陰忌としても知られている。

Sho'in Yoshida (1830-59), who was renowned as an educator and had enlightened many people, wished to build the Sonjodo in Kyoto for the purpose of honoring the souls of Imperialists and encouraging the morale of the people. However, he was arrested during the Ansei Purge and died in prison, asking Irie Shi'en (Irie Kuichi 1837-64) to look after his affairs, to include the building of the Sonjodo.

 教育者・啓蒙家として名高い吉田松陰(1830−59)は、京都に尊攘堂を建てて、勤皇の志士を祀り、国民の志気を鼓舞したいと考えていた。しかし、安政の大獄に刑死し、江戸(東京)の獄中で入江子遠(九一)に後事(尊攘堂建設)を託したものの、子遠もまた禁門の変において敗死した。

 感謝

※吉田松陰:天保元年8月4日(1830.9.20)−安政6年10月27日(1859.11.21)
 写真は、吉田松陰(左)と金子重輔(右)の像@山口県萩市

5d3b04c2.jpg 秋晴れの午後 … 。
 今日も素的な一日。
 ありがたい☆

 さて、“韋駄天”とは何でしょう?

 古代インドの神話では、バラモン教の神として、カールティケーヤが不死の象徴である孔雀に乗り、長い槍を持った姿をしている。ガネーシャと共に、シヴァ神とパールヴァティー(アグニ)神の息子とされ、次のように言われる。

 「邪神を消滅させる力を持ち、
   神々の軍隊を統率する軍神」

 この方を仏教では『韋駄天』と呼ぶのである。

 南方の増長天に属する八将軍の一。
 四天王の八将軍を合わせた三十二将軍全体の長。
 形像は、身に甲冑を着け、合掌した両腕に宝剣を持つ。

 韋駄天は、ある時、天界の王である帝釈天が仏舎利を戴いて帰り、宮殿にまつろうとして机に置いたところ、帝釈天のうしろに身をかくして隙をうかがっていた捷疾鬼(しょうしつき)という名前通りの足の速い鬼神が、アッという間もなく盗み去ってしまった。諸天神が騒いでいると、韋駄天がこれを追って取り返した。非常な速さで駆け、魔鬼を排除するとされるところから、足の速い人のことを韋駄天のようだと言い、早く走るのを韋駄天走りという。

 今年、意外な時空に“韋駄天”は登場なさった。

 【マレーシア・ペナン島沖のマラッカ海峡で海賊に襲撃され、拉致された日本船籍のタグボート「韋駄天」(498トン)の井上信男船長(56)と黒田俊司機関長(50)、フィリピン人機関士の3人は21日午前9時(日本時間同11時)前、タイ南部サトゥン県サトゥン市内で、船主の「近藤海事」の近藤観司社長と再会、最終的に無事が確認された。3人は海賊に解放された後、20日午後にタイ領海を小船で漂流しているところを漁船に発見され、タイ海上警察当局が身柄を保護した。解放の詳しい経過は明らかにされていない】

 実に、早い解決であった。
 しかし、詳細は明かされない … 。
 機関長の黒田氏は無事、自宅のある北海道に帰った。
 「予測外の素早いものごとの変化」の始まりを象徴する出来事と受け取った。

 先日とある蕎麦屋に韋駄天の像を見て、この三月の出来事を想い出していた。
 
 感謝

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