流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇七年睦月

e249c275.jpg銀閣寺から南に15分ほど歩く。東山の麓にひっそりと建つ法然院がある。
法然院は浄土宗の開祖法然ゆかりの地。

この境内で「森閑として心が自然静まる」と魅了されたひとりの作家がいた。
谷崎潤一郎である。彼はここを墓所に選んだ。

一本の桜の木をはさんで、
高さ60センチほどの丸みを帯びた小ぶりの鞍馬石が二つ見える。
それぞれに「寂」と「空」の文字が刻まれている。
谷崎潤一郎夫妻のお墓が「寂」、
松子夫人の妹・重子夫妻のお墓が「空」。

潤一郎は、生前に自らの設計でこの墓を造成し、
平安神宮の紅枝垂れ桜を株分けしてここに植えた。

彼が79歳で昇天して42年。
この紅枝垂れ桜は大きく育っている。

彼の『文章読本』を紐解くと、「言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まること」、「文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない。だから、文法に囚われるな」、「文章の味というものは、芸の味、食物の味などと同じ」、「・・心がけと修養次第で、生まれつき鈍い感覚をも鋭く研くことが出来る。しかも研けば研くほど、発達するのが常であります」等々見受けられる。『陰翳礼讃』の次の文章を味わってみよう。

『かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹(ようかん)の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣(ふく)んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融(と)けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う』。

閑話休題。潤一郎は松子夫人と昭和10年(1935年)に結婚。彼は50歳で、松子は33歳。彼女の妹二人を加えての生活が始った。この年の秋から『源氏物語』の現代語訳を始め、時を同じくして三姉妹ウォッチングから『細雪』を生み出した。また、この時期に松子が中絶している。それは潤一郎が妊娠中絶を求めたからに他ならない。子供を産むなら、「これまでのような芸術的な家庭は崩れ、創作熱は衰え、私は何も書けなくなってしまうかも知れない」と繰り返し解き諦めさせたと言う。

読売新聞関西版のオンライン・サイトに『黛まどかの恋ものがたり』http://osaka.yomiuri.co.jp/koimono/index.htmがある。2003年11月の「臨終の接吻」に谷崎夫妻に関する興味深い文章があった。

『…その時、松子は息を引きとったばかりの夫・谷崎潤一郎の性器にそっと口づけをしたという。谷崎潤一郎の臨終に立ち合った医師井出隆夫氏が、私の父に密かに語った話である。昭和40年7月30日、文豪谷崎潤一郎は最愛の人松子に看取(みと)れれながら、湯河原の自宅・湘碧山房で眠るように逝った。井出医師は湯河原における谷崎の主治医で、絶筆「七十九歳の春」にも実名で登場し、絶対的な信頼を寄せられていた。湯河原は私のふるさとであり、井出氏が私の父の知人であったことから、後にこの秘話を知ることになったわけである。(中略)…井出医師はこう付け加えたという。「あんなに美しい接吻を見たことはありませんでした…」』(引用終わり)

「本は書いてあることよりも行間を読むことです(Read between the lines.)」とアラバマ大学時代に教わり、そういうものだと信じていた。ニューヨークで暮らすようになり、近所のご隠居から「君は若いからそう思っても自然です。でもね、年をとると行間よりも作者の頭の中が読めるようになってきます。頭の中を読むことは大切なことです。なぜなら、そこに真実の道があるからですよ」と諭され、冷や汗をかいた。それから、意識して、本を読むときは自分の立場ではなく、作者の立場で読むように努めている。

豊かな人生経験や社会体験、そして壮絶な読書の蓄積により、作者の頭の中を読む能力は育っていく。この手助けとして、エッカーマンの『ゲーテとの対話』中のゲーテの発言は白眉である。

法然院の西側には“哲学の道”がある。この道を歩み、ゲーテとの対話をなさってみてはいかがでしょうか。冬の京都の新たな味わいを掴むことになるでしょう♪

 笑顔

d3647df8.jpgみなさん、おはようございます。

昨日のブログとMixiの日記に書いた『閑雅』の詩について、
多くのご質問をいただきました。

ありがとうございます。

そこで、今日はこの詩の出所と「宇宙船地球号“the spaceship earth”」のお話しをさせていただきます。

お楽しみください♪

昨日の詩は、ふたつの伝えられ方がなされている。
ひとつは、南北戦争に従軍した南軍の兵士がつくったものとして。
もうひとつは、ベトナム戦争に従軍した兵士のものとして。

次に、この詩はどこにあるかというと、ニューヨークにある物理療法リハビリテーション研究所(Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC, NY)の受付(a waiting room)の壁に掲げられている。
『悩める人びとへの銘』(A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED)と題されている。
(※写真参照)

ここ日本では、次の2著により知られるところとなった。

1)『死は「終り」ではない 山川千秋・ガンとの闘い一八〇日』の70〜72頁
  (山川千秋・穆子(きよこ)著・文藝春秋社・1989年)
  1991年、文春文庫で単行本化。

2)『こころのチキンスープ』の220頁に「苦しみを超えて」という題で紹介。
  (ジャック・キャンフィールド&マーク・ビクター・ハンセン著・ダイヤモンド社・1995年)
  ※ 木村真理&土屋繁樹訳

現地、合衆国では、元大統領候補だったA.スティーブンソン(A. Stevenson)がクリスマスカードに記してから周知となった。彼は52年と56年の大統領選挙で民主党候補として出馬し、二度、アイゼンハワー大統領に敗北。この失意の最中、田舎の教会でこの詩と出逢った。

この詩が彼を思慮深い人物に立ち直らせたと言われる所以は、ケネディー政権下での国連大使(1961〜65)としての最後のスピーチで、世界で初めて「宇宙船地球号“the spaceship earth”」という概念を示したからに他ならない。

それは、『われわれはみな、旅のみちずれ、小さな宇宙船の乗客。いまにも壊れそうなこの船に、十分な配慮と、愛情を注ごう』という名句で始まっている。以下、オリジナルのサウンドをお楽しみください♪

We travel together, passengers on a little space ship, dependent on its vulnerable reserves of air and soil; all committed for our safety to its security and peace; preserved from annihilation only by the care, the work, and I will say, the love we give our fragile craft. We cannot maintain it half fortunate, half miserable, half confident, half despairing, half slave to the ancient enemies of man half free in a liberation of resources undreamed of until this day. No craft, no crew can travel with such vast contradictions. On their resolution depends the survival of us all.

–Adlai E. Stevenson II, 1965

ジュネーブでのこのスピーチを終えた5日後の1965年7月14日、
彼は静かに昇天なさった。

65歳の旅先ロンドンでの出来事であった。

 感謝

※参照 スティーブンソンセンターHP http://www.stevensoncenter.org/

5ff981a1.jpgみなさん、おはようございます♪

今日は静かに、ベトナムで活躍したとあるアメリカ人兵士が合衆国に帰還し、療養中の病院の壁に書いた詩をゆっくりと味わってみたいと思います。

(引用開始)

大きな事を成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
I asked for strength that I might achieve;
I was made weak that I might learn humbly to obey.

偉いことができるように健康を求めたのに、
尊いことができるようにと、病弱を与えられた
I asked for health that I might do greater things;
I was given infirmity that I might do better things.

ハッピーになろうとして富を求めたのに、
智慧者になるようにと、貧しさを授かった。
I asked for riches that I might be happy;
I was given poverty that I might be wise.

人々の賞賛を得ようとしてパワーを求めたのに、
天狗にならないようにと、弱点を授かった
I asked for power that I might have the praise of men;
I was given weakness that I might feel the need of God.

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、
あるがままを喜べるようにと、いのちを授かった。
I asked for all things that I might enjoy life;
I was given life that I might enjoy all things.

求めたものはひとつとして与えられなかったが、
願いはすべて叶えられた。
I got nothing that I had asked for,
but everything that I had hoped for.

神のみこころに沿わぬ者であったのに、
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
Almost despite myself my unspoken prayers were answered;

わたしは、大いに赦され、豊かに愛された。
I am among all men, most richly blessed.

(引用終わり)

  感謝

※ 作者不明・日本語は拙訳。

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