流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇七年師走

da3a25ea.JPGみなさん、おはようございます。
良き日曜の朝を札幌で迎えました。
ヒンヤリと寒さが心地良いです。

沖縄では多くの方々にお世話になりました。
ありがとうございます。

那覇には、ンカシクトゥバ(昔言葉)とか
クガニクトゥバ(黄金言葉)と呼ばれることわざがある。

『ヌチドゥタカラ』(命どぅ宝)

は、命こそ宝、命は何ものにも代えがたいとの意味で使われている。

那覇から車で2時間ほど走り、広大なパイナップル畑に案内された。
そこからしばらく走ると展望台があった。そこで景色を眺めていると、
あそこが『愛楽園ですよ』と水上の小さな島を指差された。

高校生の頃、亀浦神父から福音書の講義の折に教えていただいた
らい病患者の話を想い出していた。

らい病の発症によって住む場所を追われ、流浪となった患者を保護・隔離するために1907(明治40)年3月に「癩予防ニ関スル法律(明治40年法律第11号)」が制定。この法律により、患者は半ば強制的に全国15ヶ所の国立・私立療養所に隔離された。療養所に入ると、死んでもそこから出られず、療養所内の墓地に埋められる。この内部では本名とは別の名前を使うことになり、強制断種・堕胎がなされた。たとえ治癒していたとしても、罹患者と健常者は絶対的に区別された。

1943(昭和18)年に治療薬の「プロミン」が開発されるが、1953(昭和28)年に「らい予防法」が成立され、隔離政策は続行された。中絶も、優生保護法に基づいて継続された。患者を治療して病気を無くすのではなく、患者が死んで居なくなるのを待つというわが国の方針が定まった。その後1996(平成8)年4月に同法が廃止されるまで強制隔離政策を実施した。

これらの政策を基本的人権の侵害として1998(平成10)年7月、入所者らが熊本地裁に国を相手取って提訴。2001(平成13)年5月11日に原告側全面勝訴となり、直後から政府は控訴の姿勢を示したが、5月23日に控訴断念という政治判断が下された。これによりわが国の全面敗訴が確定し、この政治決断により損失補償を立法措置により講じ、名誉回復と福祉の増進のための年金創設や啓発事業など、可能な限りの措置を取ることが約束された。

この決断は異例中の異例。厚生労働省と法務省は判例となることを恐れて控訴を検討していたが、小泉首相らの政治決断により控訴を断念した。これによってハンセン病患者に対する一連の訴訟は一応の決着を見たとされ、続く岡山・東京地裁に提訴された訴訟についても和解が成立し、問題は解決を見るに至った。

『シミヤシッチ ムヌヤシラン』(学問や知っち 道理や知らん)

という言葉もあるが、
この政治判断は道理をわきまえたものであった。

一昨日、21日に大阪高裁は薬害C型肝炎訴訟の和解協議をめぐり、和解骨子案を受けて提出された原告・弁護団と国側の双方の案を検討したうえで、改めて第2次和解骨子案を提示する意向を原告側に示した。

弁護団によると、高裁に再提出する詳細な要求案も、製剤を投与された被害者全員の一律救済を要求。国や製薬会社の法的責任にはこだわらないが、国側が製剤の種類や投与時期などで救済範囲を線引きせずに責任を認め、謝罪することなどを求め、和解金の額については最初の案と同じく提示しないという。

大阪訴訟弁護団事務局長の山西美明弁護士は「裁判所が原告側の意に沿った第2次案を提示すれば、福田康夫首相は全員一律救済を受け入れざるを得ないと思う。裁判所の英断に期待したい」と話した。悲しいかな、政治判断に何の期待も寄せることができないとのメッセージである。

政界入り前、サプライズパワー(東京ダービー、かしわ記念、日本テレビ盃の勝馬)の馬主であり、サプライズパワーとアトミックサンダーで2年連続東京ダービーを制した舛添厚生労働大臣には、福田内閣が、司法判断ではなく、政治判断で政治を行なうよう導いていただきたい。

『ウミタチガ イイヒ』(思立ちがいい日)

感謝


※愛楽園http://web.mac.com/okinawa_airakuen/iWeb/site/top.html
※らい病(癩病)は天刑病などとも呼ばれたが、現在、これらは差別的であるとして、代わりに癩菌の発見者(ノルウェーのハンセン氏)にちなんでハンセン病と呼ばれている。英語では今もleprosyでハンセン氏病とは呼ばない。

おはようございます♪
今日は大安吉日の日曜日。
何かいいことが訪れそうです。

先日、テレビを見ていたらお坊さまが、
大きな筆で『偽』の一文字を描いていらっしゃる。
今年一年を象徴する一文字だという。

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin 1706〜1790)は、
面白いことを言っている。

Tricks and treachery are the practice of fools
that don’t have brains enough to be honest.

「ごまかしと裏切りは、正直であるだけの頭脳(知能)を
 持たないバカ者の仕事である」

ギリシャ三大悲劇詩人の一人アイスキュロス(525〜456BC)は、
『自ら努めるものには神は救いの手をさしのべる』
『自ら助けるものを神は愛す』と書いた。

フランクリン氏はこれらを次のように
著書の中で用いた。

Heaven helps those who help themselves.

「天は、自ら助くるものを助く」

良き言葉ですね。

これから沖縄へ旅立ちます。

良き日曜日をお迎えください。

感謝

2277a515.JPGみなさん、おはようございます。
静かな朝です。
淡々とした日々がつづく、今日この頃です。
お陰さまで、平穏無事です。
みなさんも日々平和にお過ごしのことと思います。

さて、・・・

昨日、12月10日はマレー半島東方沖で、大日本帝国海軍航空部隊と英国海軍洋艦隊の間で戦闘があった日。1941年のことであった。帝国は英国海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパレスを撃沈している。この出来事は、作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできないとの常識をブレイクスルーし、当時、世界の海軍戦略であった大艦巨砲主義に影響を与えた。チャーチルは、第2次大戦で最も衝撃的な出来事であったと書いている。

20年ほど前、英国で暮らしていたとき中学生の歴史の教科書にもこの出来事が書かれていた。そこには、英国が誇るプリンス・オブ・ウェールズとレパレスが日本人の知恵によって沈められたが、その日本は同じ手法で、合衆国軍によって戦艦大和を沈められたこと、そして、自分で作った戦法を使われて防御が出来なかったことの愚かさが語られていた。

しかしながら、帝国の攻撃でプリンス・オブ・ウェールズが沈んでから間もなく、オーストラリア第453飛行隊のブリュースターバッファローが戦場に到着して上空直掩を行ったことや駆逐艦エクスプレスがプリンス・オブ・ウェールズの乗員を救助している間、駆逐艦エレクトラと駆逐艦ヴァンパイアが沈んだレパルスの乗組員を捜索し、エレクトラが571名、ヴァンパイアがレパルスの艦長と従軍記者を含む225名を救助したことは見当たらなかった。

この時、英国軍機による直掩があったこともあり、大日本帝国軍は駆逐艦エレクトラと駆逐艦ヴァンパイアによる救助作業を見守り、プリンス・オブ・ウェールズとレパレス両艦が沈んだ後、その現場に航空機により花束を投下し、英国海軍水兵たちの戦いに敬意を表した。

2002年、水線下68m(223フィート)の沈没したプリンス・オブ・ウェールズからベルが取り外され、リバプールの博物館(Merseyside Maritime Museum)に展示された。

新古今和歌集にある藤原俊成(ふじわらのとしなり)の歌を想い出した。

神風や 五十鈴の河の 宮ばしら
幾千世すめと たてはじめけむ

(伊勢の五十鈴川の宮柱は、どれ位の昔に、
世の中が澄めと立て始めたのだろうか)

感謝


※注)藤原俊成(1114〜1204)の名は「しゅんぜい」とも読む。法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。長寿であった。

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