017eee61.jpgある方が、伝えてくださった。

安易な氣持ちで興味を持ったばかりに、
影響を受け、その存在のかたちを乗っ取られてしまうことがあるという。

処理する能力のないものが、
安易にその場を訪れ興味を持つなというお話し。

普通に生活しているわたしたちは、
恩恵を授けて欲しいがために、
神社仏閣というところを安易に訪れ、
興味を持ってしまう。

この時、いろいろと余計なエネルギーをくっつけてしまう。
自らに関係のないものも背負い込んでしまう。

さあ、どうしましょう。

興味を持ち、かかわるということが、
どのような結果をもたらすのか知る必要がある。

自らで何らかのエネルギーのようなものを感知し、
得てみたいと思っている方々の多くが、
エネルギースポットなどと称される地場へと足を運んでいる。

そのような場所には、
人間個人の思いや願いがこびりつき、
巨大な集合体となって存在している。

たとえ、聖地であっても、
人間の思いや願いというものは、
そこを汚染し、穢れたものにし、
強いエネルギーを生み出している。

わたしたちは、ありがたがってその地に足を運び、
自分の思いや願望を植え付け、帰ってくる。

聖なる場であるとされた区域は、
そのようなエネルギーで覆われている。

わたしたちが、その場に出かけるのは自由。
しかしながら、
何万もの人間が突き刺し、植え付けてきた
思いや願いのエネルギーの影響を
受ける仕組みを理解する必要がある。

聖地である、あるいは神聖な場であると紹介された地を
訪れることで、間違いを犯していないか再確認してみましょう。

自らの人間社会における、
自分自身のはたらきや役割から
はるかに離れた自分だけの理想郷というものを求めて、
間違いを犯していないか。

氣付いているだろうか。

何を求めて、その地へ行くのだろう。
氣付かなければ、更に、より大きなものや、
観光地化された聖地へと足を運んでしまう。

ゴミ拾いをしに行ってしまう。

何万もの人間の思いや願いのエネルギーを、
自らが機能して処理できるなら良いのだが…。

もし、自らが処理できなければ、
ゴミ集積車になってしまう。

多くの人さまの分まで背負い込まずとも、
自分自身の責任の範囲内で処理したいもの。

この責任を知しても、
神社仏閣などパワースポットと信じる場へ
足を運びますか。

つながらなくても良いことには、
興味を持たない。

この方針で参りましょう。

静かな風を感じながら   感謝