流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇九年弥生

d82c7feb.jpg1945(昭和20)年3月26日、硫黄島の戦いが終わりを迎えた。あれから64年の歳月が流れた。

15年前、1994(平成6)年2月12日、天皇皇后両陛下は硫黄島に行幸啓された。

1966(昭和46)年に国が建立した日本軍将兵の慰霊碑「天山慰霊碑」、東京都が建立した「鎮魂の丘」、「硫黄島島民平和祈念墓地公園」を巡拝された。

両陛下は硫黄島を次のように詠まれた。

御製
「精根を込め 戦ひし人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」 
「戦火(いくさび)に 焼かれし島に五十年(いそとせ)も
           主なき蓖麻(ひま)は 生ひ茂りゐぬ」

皇后御歌
「銀ネムの 木木茂りゐるこの島に 五十年眠る み魂かなしき」
「慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 如何ばかり 君ら水を欲(ほ)りけむ」

硫黄島総指揮官・栗林忠道中将は、
最後の総攻撃を前にしてしたためた決別電報に辞世を添えた。

「国の為 重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

大本営は、末尾の「悲しき」を「口惜し」と改ざんして新聞発表した。
両陛下は、この事実を意識して、上記のように詠まれたに違いない。
御歌二首がともに「悲しき(かなしき)」で終わっている所以。

合衆国軍は斃れた約20,000人の日本人の遺体を覆い隠すため、
又は死臭を消すために硫黄島上空から大量の「銀ネム」の種子を散布した。

閑話休題(ソレハサテオキ)。

美智子皇后は、
1993(平成5)年10月20日の誕生日に赤坂御所にて倒れ、失声症となった。

翌94(平成6)年2月12日、硫黄島で戦没者慰霊の祈りを奉られたあと、
不意に『ご遺族の方たちは元氣でおすごしですか』とことばを発せられた。

御歌の「かなしみ」は、戦士一人ひとりへのものであり、
それは一人ひとりの命への祈りにであったに違いない。

明治維新に間違いの根源があり、
それが今日の日本の状況を創り出している。

勇氣を持って、日本の歴史を考えてみよう。

自分の頭で…

感謝

参照:
戦没者慰霊事業の実施 http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/index.html
海外戦没者の遺骨収集事業等について http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/01/06.html

参考:
先の大戦の空襲などの戦災による死亡者は、「一般戦災死没者」と呼ばれる。
総務省設置法第四条 九十一
「一般戦災死没者(今次の大戦による本邦における空襲その他の災害のため死亡した者をいう)に対して追悼の意を表す事務に関すること(厚生労働省の所掌に属するものを除く)」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO091.html

「戦没者」は軍人・軍属とそれに準ずる者だけを指し、戦傷病者戦没者遺族等援護法には下記の通り記されている。
第一条
この法律は、軍人軍属等であつた者の公務上の傷病に関し、国家補償の精神に基づき、特に療養の給付等の援護を行なうことを目的とする。
第二条
この法律において、「軍人軍属」とは、左に掲げる者をいう。
一  恩給法 の一部を改正する法律(昭和二十一年法律第三十一号)による改正前の恩給法 (大正十二年法律第四十八号)(以下「改正前の恩給法 」という)第十九条 に規定する軍人、準軍人その他もとの陸軍又は海軍部内の公務員又は公務員に準ずべき者(戦時又は事変に際し臨時特設の部局又は陸海軍の部隊に配属せしめたる文官補闕の件(明治三十八年勅令第四十三号)に規定する文官を含む。以下「軍人」という)
二  もとの陸軍又は海軍部内の有給の嘱託員、雇員、よう人、工員又は鉱員(死亡した後において、死亡の際にそ及してこれらの身分を取得した者及び第三項第六号に掲げる者を除く)
三  旧国家総動員法(昭和十三年法律第五十五号)(旧関東州国家総動員令((昭和十四年勅令第六百九号))を含む)に基いて設立された船舶運営会の運航する船舶の乗組船員
四  もとの陸軍又は海軍の指揮監督のもとに前三号に掲げる者の業務と同様の業務にもつぱら従事中の南満洲鉄道株式会社(南満洲鉄道株式会社に関する件(明治三十九年勅令第百四十二号)に基づいて設立された会社をいう)の職員及び政令で定めるこれに準ずる者(後略)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO127.html

参考:
梯久美子(かけはし くみこ)氏の月刊誌へのリポート。
「二万人日本兵、玉砕の島で皇后は失われた声をついにとり戻された 美智子皇后と硫黄島 奇跡の祈り--秘話満載のドキュメント 慰霊の旅と失語症状 回復の真実が明らかに」(文藝春秋 2007年8月号・262〜287頁)

69872bb3.jpgみなさん、おはようございます。

いかがお過ごしですか。

今朝は「自律」のお話を。


自律とは、
自分の立てた規律に従って、
他に縛られないことを言う。

子を支配したがる親とその愛を一身に受けたい子の関係、
相手から愛されることがゴール(目標)になっている恋愛関係、
DV(家庭内暴力)常習者の夫とそれに耐え続ける妻の関係は、

「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」として定義される。

この症状は「共依存(co-dependency)」と呼ばれる。
そして、「他者へのコントロール欲求」という視点から次のような定義もある。

『共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、
他者に認められることによってしか満足を得られず、
そのために他者の好意を得ようとして
自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、
またその献身は結局のところ、
他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機
に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、
策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである』(※)

合衆国アリゾナ州ウィッケンバーグには、トラウマ・共依存・アディクションの専門治療という独創的なスタイルを確立した「メドゥズ」がある。ここでプログラム・ディレクターをなさっているピア・メロディ氏は「Facing Love Addiction」のなかで、16の共依存症状をあげている。

(引用開始)
1)自らを犠牲にして他人を助けたり、世話したりする。
自分が他人にとって必要になっており、ありがたがられる、などの報酬を無意識に期待している。目先の愛情にとらわれて他人の世話をするが、大きな目で見ると他人や自分を破滅に導いていることに氣がつかない(例・不良息子や飲んだくれ亭主に必死に働いてお金をあげたり、本人達の不始末を代わりに謝る)

2)他人の行動、感情、考え方・状況・結果を変えようとコントロールする。
他人の行動の責任はとるが、自分の行動がどのような結果を招いているかは考えない。他人の文句を言ったり、他人がどうするべきかを考えてそうなるよう努力はするが、自分がどうすれば本当は良いかを考えない。

3)何か身の回りに問題や危機が起こっていないと空虚になる。
問題のある人や場所に惹かれやすく、不安定な生活を送りやすい。いざ安定した自分中心の生活と不安定な他人中心の生活の選択をせまられると、「私がいないとあの人は…」「金銭的に無理」などといろいろ理由を並べて熱中できる問題がたくさんある生活を選ぶ。

4)依存心が強く、一人でやっていけるという自信がない。
自尊心・自己評価が低く、自分自身が好きではない。一人で過ごしているとひどい虚無感に襲われて、自分を必要としてくれる人を常にもとめ、「見捨てられる危機感」を振り切れない。

5)考え方、視野がせまい。社会・地域・自然などへの関心・貢献が薄い。
特定の他人の問題で頭がいっぱいで、友人からも離れ、小さく狭い世界で生活する。このため、自分と自分の周囲の狭い範囲の人達が、どんな悲惨な状況なのか氣がつかない。

6)現実をしっかり見つめようとしない。
他人の目や意見を氣にして、あるいは自分の本当の氣持ちをごまかすために、真実を隠して表面は何でもないように振舞う。悪い面をできるだけ小さく考えようとしてそう表現する。

7)「No」と言えない。「私」を中心に話せない。
コミュニケーションの技術に欠け、「自分の」必要なもの、欲しいものをはっきり要求することができない。「いいえ、できません」とはっきり断わることができない。他人の問題や他人の愚痴ばかり話し、「私は」こう感じてこう考えるというように自分自身を主にできない。

8)他人とのバウンダリー(境界)がはっきりしていない。
他人の問題にお節介にも入り込んでしまったり、他人の落ち込むのを見ると、自分も滅入ってしまったり、または人の氣分を変えようと必死になったりする。自分と他人は考え方も感じ方も感情も違う個別の人間であるという自覚が、実はない。

9)自分の身体から出るメッセージに氣がつかない。感情の適切な表現ができない。
繊細な感情がマヒしてしまっているので、感情の適切な表現ができずに、何だか変だなと思うときに胸がドキドキしても、それに注目せず無視してしまい、行動を変えることなく同じ間違いを何度も繰り返したりする。

10)怒りに問題がある。
自分よりも他人のために行動しているのに報われないとなると、怒りや恨みがたまってくるのは当たり前のことだが、自分自身でその怒りを否定するために適切な怒りの表現ができない。急に爆発させたり、八つ当たりしたり、あるいは怒りを「恐怖」にすりかえて怒りを感じないようにする。

11)静かに時を待つ、ということを知らない。
今すぐ良い結果が出ないと氣がすまず、せかせか動き回ったり余計な心配に氣をもむ。他人の行動を長い目で見守ることができず、自分が今すぐコントロールしようとする。しなければならないことで頭がいっぱいになり、様子をみるということができない。

12)罪の意識によくおそわれる。
相手に問題があるのは、自分が何か悪い事をしたかのように思い込み、自分がもう少し努力すれば、また自分の欠点を直せば相手が良くなるだろう、変わるだろうと必死になる。疲れて相手から離れようと考えると「私がいなければあの人は」「子どもがかわいそうだ」とひどい罪の意識に囚われる。

13)物事が極端。ほどほどに、ができない。
黒か白かがはっきりしすぎたり、自分が正しくて他人がまったく間違っているとか、または反対に全部自分のせいだと思い込んでしまう。いったん何かをやりだすと限度を知らず、または物事を1つも完成させることができずに、途中ですべて投げ出してしまう。

14)過去の間違いから学ぶことができない。
相手が問題を起こすと憤慨し嘆くが、少し調子がいいと苦しかったことを忘れて相手を「可哀想な人だから」と弁護したり本当はとても良い人だと思ってすぐ許してしまう。離れたり調子が良いときは楽しいことばかり思いだし、苦い経験を忘れてしまうのでふたたび同じ過ちを繰り返す。

15)被害者意識にとりつかれている。
相手を救おうとあがき、上手くいかないと相手を責める。それもうまくいかないと、相手のせいで自分はこんなにみじめだと被害者意識にとりつかれる。被害者の役割を演じ、相手のせいにしていれば自分の選択と行動の結果の責任を取らなくていいという錯覚に陥る。

16)自己の確立ができていない。
自分に自信がないので他人に幸せにしてもらおうと思っていたり、自分の人生の目的や自分はいったい誰なのかがはっきりせず、自分を大切にできない。すべての共依存の問題は、ここから始まっていると思われる。

(引用終わり)

「自分が共依存であるからいけないんだ」という考えで自分を追い込むのなら、それは誤った知識である。

正しくこの共依存という概念を知ることで、他者と自己との分離・精神的な自律に役立ることができるのだから。

素的な自律をしましょう♪

暖かい春を感じながら。

感謝

(※)加藤篤志 1993「社会学概念としての「共依存」」『関東社会学会論集』第6号

6cc7a632.jpg昨日のランチは午後3時であった。仕事場のワイフに電話し誘った。彼女もまだランチを済ましていなかった。

そこで、中央区南4条西20丁目の『カフェ・ドリム』へと足を運んだ。何度も前を通り氣になっていたこの店に、12年目にして初めて足を停めた。

彼女は「ドリム・スパゲティ」(700円)、
わたしは「ハンバーグ・セット」(850円)、
そして食前のコーヒー二つ(200円×2)を注文した。

まず、彼女の皿が運ばれた。
『自家製のドレッシングです。美味しいですよ』
とさり氣なく付け加えてくれた方は、
マスターの奥さんに違いない。

その皿の半分のスペースは、野菜サラダで占められている。
ドレッシングをかけていただく。

「美味しい♪」と歓喜の声を聞いた。

待つことしばし、わたしの皿が運ばれた。
半分は野菜&パスタサラダで占められている。
ハンバーグは、たっぷり目のソースに隠れ、
実にお見事!

お味は・・・美味い!

おススメします♪

60分ほどゆっくりと時間を楽しんだ。
ワイフは仕事場へと戻った。

また、行こう♪

閑話休題(ソレハサテオキ)。

美智子妃殿下は、2002年9月26日にスイス・バーセルで
大人の子供たちへのあり方を次のように伝えられた。

(引用開始)

All of us are aware of the fact that there are children in the world today who are not only deprived of books, but even opportunities to learn how to read and write due to economic or social reasons.(貧困をはじめとする経済的・社会的な要因により本ばかりか文字からすら遠ざけられている子どもたちや) There are also children who are forced to spend their days in fear and dread in the areas of strife. My heart grieves to think that there are too many such children.(紛争の地で日々を不安の中に過ごす子どもたちが、あまりにも多いことを深く悲しんでおります)

I find it encouraging though, that many of the IBBY members have already given thought to the fact and have been putting their thoughts into action. (国際児童図書評議会のみなさんの多くが、この現実に思いをめぐらせ行動されていることを知り、勇氣づけられます) It will not do for us only to shed tears over the plight of these children, and just pity them as poor unfortunates. (わたしたちはこの子どもたちにただ涙を流し、彼らを不幸な子どもたちだと憐れんではなりません) Rather, I would place my hope in such children, for they might lead our world of tomorrow with the new wisdom that only those who have experienced utmost sorrow and pain and yet survived them could possess. (むしろ、多くの悲しみや苦しみを知り、これを生き延びて来た子どもたちが明日の社会を新たな英知をもって切り開くことに希望をかけたいのです) Please trust the great potentialities of those children who are struggling with adversity, and please never lose them out of your sight. (どうか困難を乗り越えている彼ら一人ひとりの内にひそむ大きな可能性を信じ、この子どもたちから目を逸らさないで下さい)

There is one poem I read while I was bringing up my children that I can never forget. (子どもを育てていた頃に読んだ、けして忘れられないひとつの詩があります) The poet spoke to me from afar telling that a mother, though she may be uneasy and weak-hearted, should never let her shadow fall upon the newly born, (その詩人はわたしに遠くから語りかけたのです。清い子どもたちを、不安で心根の弱い母の闇で汚してはなりません) for the future of the child holds enormous potentialities. (未来の子どもは計り知れない能力を持つのですから、と)
The poem begins like this:(詩は次のように始まります)

On the cheeks
Of your innocent newly born,
Mothers,
Do not drop
Tears
Of your own despair.

Though now these cheeks Are red and small,
Hardly more than damson-plums,
Who knows that someday
They would not flush and glow
In a battle
For humanity.

生まれて何も知らぬ 
吾が子の頬に
母よ 
絶望の涙を落とすな

その頬は赤く小さく
今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも
いつ 人類のための戦いに 
燃えて輝かないということがあろう…

(引用終わり)

大人の闇で子どもたちの芽を塞がないこと
新しい能力を持つ子どもたちなのだから … 希望

感謝


※この詩人は、竹内てるよ(1904.12.21〜2001.2.4)・札幌生まれ
参考:『わが子の頬に―魂の詩人・竹内てるよの生涯』(たま出版・2002年)
参照:国際児童図書評議会
参照:外務省

このページのトップヘ