流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇〇九年葉月

b3ff1494.jpgおはようございます。

秋の空氣を感じる朝です。

いかがお過ごしでしょうか。

第45回衆議院議員選挙は無事終了した。

民主党は与党に、自民党は野党になり、政権交代が行なわれる。しかしながら、これは30年前に自由民主党内で起こった官僚派と党人派の権力闘争のようなものでもある。体制内での権力の収奪争いという意味ではリフォメーション(維新)であっても、人民から沸き起こったグラス・ルーツ(草の根)運動が見当たらないのでリボルーション(革命)とは言えない。

今、世界から見ると日本の政治または日本国は、存在感を失ってしまった。存在してもしなくても、どの国も困りはしないだろう。その昔、ジャパン・バッシングを受けた時代があったが、これは存在の証でもあった。しかし、悲しいかな、今の日本はジャパン・ナッシング。

加えて、日本を葬ろうとしている外国勢力は確実に存在する。自民党は確実に崩壊するだろうし、民主党は×××(削除)するだろう。バラク・オバマ氏が率いる合衆国政府は、間もなく、大量の合衆国債の購入を日本政府に押し付けてくる。×××(削除)をどう解消していくかも、鳩山由紀夫民主党政権の重要課題となる。

閑話休題(ソレハサテオキ)。

“We can change.”でおなじみの合衆国大統領バラク・オバマ氏は、“We can not change.”を証明して見せてくれた。国務長官から大統領補佐官までシオニスト系の人間で固めてしまったのだ。だから、彼への期待は合衆国には存在しない。

ユダヤ人には国際派と国粋派があり、後者をシオニストと呼び、彼らは選民思想を持ったエリート意識の高い人々で、聖書をこよなく愛し、ハルマゲドンが起きたときには、自分たちのみが救われると信じて疑わない右派ファンダメンタリスト(教条主義者)である。

体制を変えさせないという強い意志を、バラク・オバマ氏の今日の姿を見せつけることで、分からせるという手法が見て取れる。

さて、…

政策、政策と言うけれども、これは解であって、
解を導くためには、課題設定が大前提となる。

今回の選挙では、各党の政策(解)は見えたが、課題設定が見えなかった。

政治に必要な最優先課題は、

『日本に住むわたしたち市民の幸せのために、日本国は何をすべきなのか』

ということ。

これを課題として、新たな解を導き出す健全な頭脳が求められている。

さあ、今日も笑顔で参りましょう。

よき一週間を

感謝

自分自身をほめていらっしゃいますか?

自分をほめる回数をもっと増やしてみましょう♪

声を出して、廊下やトイレや台所でほめてみる。

頭の中だけで自分をほめても、効果は少ない。
声を出して、自分で自分をほめるから、効果100倍。

その効果とは・・・

A)行動がヴィヴィッドになり始める。

B)心が明るくなる。

7637edd3.JPGわたしこそが、わたしの長所を一番知っていて、分かってくれる。

さあ、今日から3日間、力いっぱい声を出して、
自分をほめてあげましょう♪

今日から、わたしは世界一のほめ上手。

よき週末を。

感謝

dfe326e6.jpg妥協には2つある。

ひとつは、「半分のパンでも、ないよりはまし」。

もうひとつは、ソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」との認識に基づくもの。

前者は50%の必要条件を満たす。
パンの効用(目的)は食用であり、半分のパンでも食用となるから。

しかし、半分の赤ん坊では人間としての必要条件を満たさない。
妥協にさえならない。

ドラッカー教授は、何が受け入れられやすいか、何が反対を招くから触れるべきでないかを心配することは無益であるばかりか、時間の無駄だと言う。

なぜなら、心配したことは起こらず、予想しなかった困難や反対が突然に対処しがたい障害となって現れるものだからである。彼は『経営者の条件』に次のように表現した。

「何が受け入れられやすいかからスタートしても得るところはない。それどころか、妥協の過程において大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん、成果に結びつく可能性のある答を得る望みさえ失う」

「決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から誰が正しいか、何が受け入れられやすいかという観点からスタートしてはならない」

閑話休題(ソレハサテオキ)。

日本では、近年、歴代首相は貧困撲滅を公の場で発言していない。現代日本には、OECDの報告を待つまでもなく、間違いなく貧困層がいるというのに。

伝統的に、日本共産党のみが貧困問題を指摘し、救済を叫んできたために、

貧困問題=イデオロギー問題

として捉えられてきた。貧困問題を左翼の十八番(おはこ)と位置づけた軽佻浮薄な右派・中道派は、貧困問題を避けつづけてきた。

貧困問題は、近頃話題になった「格差社会」問題の延長線上にはあるが、本質は別物である。

年収1200万円と900万円、600万円と300万円では、所得格差は同じ300万円。

多様な考え方があり、格差は目的達成能力や努力の違いの結果で、この違いが生じるから社会が活性化するという格差是認論もありえる。

しかしながら、年収100万円では暮らしが成り立たない。

彼/女にとっては、最低限度の生活を営むことができないのだから、わたしたちはその存在を是認、黙認、または無視できない。

なぜなら、同じ人間であるから。

わたしたちの不安や悲しみを取り除くことに、お金を使いたい。

「貧困に苦しむ世帯を、4年以内に日本から撲滅します!」

スッキリとこう言い切る政党があってもいいのに…

貧困のどん底にいる人に、それは運命だから受け入れろ、などとは言いたくない。

自助力で登っていくための、梯子(はしご)に手をかけさせる、足をかけさせてやることが、わたしたち日本人の務めなのだ。

理由は、人間であるということだけで十分。

もう一度。

「何が受け入れられやすいかからスタートしても得るところはない。それどころか、妥協の過程において大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん、成果に結びつく可能性のある答を得る望みさえ失う」


恵みの雨の札幌にて

感謝

このページのトップヘ