流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一二年睦月

天皇制に反対するテロリストが昭和天皇の暗殺を企てるという作品『腹腹時計』で知られる渡辺文樹氏(1953年生)は、出演者はポスター等で募集した一般人のみを起用し、彼(監督)が出演し出演者にインタビューするというユニークな手法を用いる。全国の公民館などを巡業し、1日のみの上映が多く、自主上映スタイルである。興行場所近くの電柱や壁に貼るポスターには「失神者続出!」「ハンカチ必ず持参」「ゲロ袋用意してます」などのキャッチコピーが記されている。最近、1996年作品の『罵詈雑言(バリゾーゴン』がクローズアップされている。

≪あらすじ≫
昭和天皇の生命維持装置が外されたころ、福島県のある村の原子力発電所で、チェルノブイリの事故に匹敵する惨事が起こりうるようなトラブルが発生していた。原発の運転管理責任者はすぐに運転を停止するよう本社に掛け合ったが、「正月の真っ只中に東京に送る電気を止められるか」と逆に一喝され、JR上野駅で抗議の投身自殺をした。彼の四散した遺体を収拾するところを目撃した同じ原発で働くナオユキという青年は、翌月の村長選挙の後、恋愛関係にあった村の美 人教師・ユミの家の汲み取り式便所のコンクリート便槽の中で、腐乱死体となって発見された。警察はいとも簡単にこの事件を覗き目的の事故死として処理し、当のユミもナオユキとは面識がないと関係を否定する。納得のいかないナオユキの両親は地元警察の制止を振り切り、遺体を司法解剖に持ち込んだ。ナオユキの遺体を検視した県警嘱託の監察医は事故死の結論を覆しはしなかったが、その直後に34年間の監察医としての職を突然、辞したのだった。ナオユキの父親から事件について聞かされた渡辺文樹は、事件の関係者たちに次々と話を聞いていく。取材の過程で渡邊は、遺体発見の通報が警察に入るより以前に、2台のバキュームカーの出動要請がなされていたことをつきとめた。ナオユキの死には村長選にからむ買収事件が深くかかわっており、警察を含めた地元の有力者たちに よって徹底した真相隠しが行われたらしい。依然として真実は闇の中であった。村では地元選出の大物国会議員と村長とが、巨大サッカー場を建設する代わりに 全国一のマンモス規模の原発を誘致しようとしていた。(goo映画より引用:
http://movie.goo.ne.jp/movies/p28146/



参照:【福島女性教員宅便槽内怪死事件】 平成元年(1989).2.28発生
http://wiki.livedoor.jp/mikaiketsujiken/d/%A1%DA%CA%A1%C5%E7%BD%F7%C0%AD%B6%B5%B0%F7%C2%F0%CA%D8%C1%E5%C6%E2%B2%F8%BB%E0%BB%F6%B7%EF%A1%DB
上野正彦医師


自分にも関係のある大問題であっても、チョットややこしい問題だと感じるやいなや、視線を逸らす、顔を背けるなどして見なかった・聞かなかったことにしょうと決め込んでしまうという、かなり小心にして卑劣な生き方が蔓延してしまうと、国というものは疲弊し、挙句の果てに消滅してしまう。

今回のフクシマ第一原発のように過酷な大問題を解決できないと知った時から、問題の本質を直視して後世への遺産となるような記録や政策や知恵を残すよりは、お涙頂戴の安上がりな情緒に縋(すが)りつき、騒ぐだけ騒いで、わめくだけわめいて、解決策の発案と実施に置き換える。そして、前進しているかのような氣分に自分自身を包み込んで、自分は大問題から逃げてはいない、解決に向け参加しているのだというナルシス好みの自己満足を問題の解決にしてしまい、問題の本質をさっさと忘れ去ってしまう。

誇りをもった人らしい人でありたいものだ。その必要条件は、自分自身の弱さを知って認めてあげて、成長へと結びつけることである。



閑話休題(ソレハサテオキ)


竹中平蔵世界塾

https://form.wasedajuku.com/f.x?f=743ccc76&cid=sekaijuku_yucasee_media

今年、5月から構想5年を経たという竹中平蔵氏の世界塾が開講されるらしい。もし、前途有望な若者が知り合いにいて、ここで勉強するということを考えていたのなら、以下の論文を読んでもらって、一考を促したほうが良い。彼が言う「グローバルな人材」とは、合衆国へ隷従する売国奴のことである。入塾を決める前には、郵政合衆国(民営)化、かんぽの宿、日本振興銀行などのケースを勉強(自習)してもらいたい。

彼がどのような人物なのかは下記の税経新人会全国協議会の論文に詳しい。
住民税脱税犯における偽計行為(続)
日本大学名誉教授・法学博士 北野 弘久

1 はじめに
竹中平蔵氏(経済財政担当大臣)の住民税脱税疑惑報道をめぐる、本誌504号(2003年10月号)で紹介した損害賠償等請求訴訟について、裁判所の税法お よび税法学への認識の不十分さから、被告のフライデー側が敗訴となった(原告は竹中平蔵氏)。2004年9月14日東京地裁判決がそれである。本件名誉毀 損事件は、竹中平蔵氏の本件住民票抹消行為が住民税脱税犯における偽計行為に該当するという事実を税法学的に証明すれば、他の問題を論ずる必要のない事案 である。この事実を立証するための被告代理人の「人証」の申立てにもかかわらず、裁判所はこの点について全く証拠調べをしようとはしなかった。

被告フライデー側は、直ちに東京高裁へ控訴した。筆者は2004年10月に、控訴審のために以下のような補充鑑定所見書をとりまとめた(乙20号)。なお、控訴人(被告)側代理人は、的場徹、山田庸一らの各弁護士である。

同補充鑑定所見書の概要はつぎのごとくである。

2 住民税と所得税との関係
平 成16年(2004)9月14日に東京地裁から判決(以下「判決」という)の言い渡しのあった平成14年(ワ)第20155号事件について、先に提出した 乙28号証(鑑定所見書)を補充するところの税法学上の所見を申し述べる。被控訴人竹中平蔵(以下「竹中」という)が行なった本件住民票抹消行為が住民税 脱税行為に該当し、判決が法および「税法的事実」(tax legal facts)の理解において初歩的な、重大かつ明白な誤りをおかしていることを明らかにする。

本鑑定所見書は同時に、竹中の本件住民票抹消行為が住民税脱税犯(地方税法324条1項)における偽計行為に該当することを税法学的に証明するものである。 もし、このことに竹中が疑問に思われるのであれば、私の証人調べにおいて私の証言自体を反対尋問にさらしていただきたい。

本件名誉毀損事件の「核」は、竹中の本件住民票抹消行為が住民税脱税犯における偽計行為に該当するという事実を証明することにある。鑑定人は、税法学者とし て誠実に貴裁判所で、同事件を証言したい。もし、この事実が証明されれば、他の問題を論ずる必要がなくなり、本件は自動的に決着することになる。

第1審は、このもっとも重要な問題について証人調べ等の審理を全く行なわないまま、的はずれの周辺問題にとらわれて誤った判決を下した。貴裁判所が憲法32条の趣旨に基づき公正な審理をつくされることを心からお願いするものである。

1. 法律的にも実務的にも住民税は所得税を前提にしており、住民税は実質的には「所得税付加税」である。判決が係争期間中の竹中に関する所得税の課税関係を全く検討・考慮しなかったことは税法学的に誤りである。

判 決は、竹中の一方的・皮相な主張にひきずられて、係争期間中、竹中はアメリカに住宅を有していたこと、妻および子供はそこに居住しており、子供はアメリカ の現地の学校に通っていたこと、竹中自身は住民税の賦課期日(毎年1月1日)現在、アメリカの大学の客員研究員として勤務し、竹中はアメリカで「生活」し ていたことを重視して、竹中にはアメリカに生活の本拠地(住所)があったと認定した。それゆえ、竹中には住民税脱税の疑惑があるとする本件報道(本件フラ イデー・甲2号証)は竹中への名誉を毀損すると判示した。

判決は、係争期間中の竹中に関する所得税の課税関係を全く検討・考慮しないで、竹中には住民税についてアメリカに住所が存在したとする「税法的事実」を認定したわけである。これは、素人でもわかる重大・明白な誤りである。

竹中は、甲2号証(本件フライデー)で、「それは独自の意見です。もし法解釈上そういう見解が成り立つなら条文の根拠を示すべきです」と述べている。右の 「それは」とは、「所得税は日本で納めていたというが、住民税は所得税に基づいて課税されるのだから、所得税を居住者(日本に住所のある者)として日本で 納めるなら、住民税も当然、日本の住所で納めるべきである」(甲2号証)という鑑定人の竹中への疑問である。

甲2号証が刊行される前に公表されていた乙4号証(週刊ポスト)によれば、竹中は、地方税はアメリカで納税していた、という。しかし、所得税については日本 で確定申告を行ない、「全額納付」していたという。のちに述べる慶応大学での勤務状況などに照らして、慶応大学は、源泉徴収義務者として法に従って竹中を 居住者(日本に住所を有する者)として税務上処遇し、そして竹中は、乙4号証における回答の文脈等からみても日本の所得税については居住者として確定申告 をし、全額、日本で納付していたと一般に受けとられるような趣旨の報道になっている。

すなわち、乙4号証によれば、つぎのように報道されている。

そもそも奇妙なのは、米国で生活する場合にも、基本的には住民票を移動する必要は考えにくいという点である。……であれば、竹中氏は何のために住民票をわざ わざ「1月1日」をはさんで米国に移したのか。竹中氏にぶつけた。「ご指摘の期間、春学期(4月〜7月)を慶應義塾大学で教え、それ以外はコロンビア大学 で研究しておりました。ニューヨーク郊外に住宅を所有し、家族とともに生活の拠点はアメリカにありました(子供は現地で学校に通っておりました)。そこ で、地方税は米国にて納めておりました。しかし、この間、私は一定期間日本に戻り、所得を得ておりました。そして、所得税については確定申告により日本に 全額納付していました。」

日米の税制実務に詳しい税理士が竹中氏の説明に次のような疑問を呈する。

「日 米両国で収入を得ている場合、住民票とは別に、税法上どちらの居住者になるかを選択できる。竹中氏は所得税を日本で支払っていると説明しているから、米国 では非居住者扱いとなっていると思える。その場合、米国で支払う住民税(州税や市税)は所得全体ではなく、米国で得た収入だけに課税される。」

北野弘久・日本大学名誉教授(税法学)はさらに厳しく、税法上の違法行為にあたらないかどうかを税務当局はチェックすべきだという。

「日本で生活し、所得を得ている者に課税しないのはおかしい。『1月1日』の前後を通じてトータルにみて、日本に生活の本拠地があるにもかかわらず、形式的に 住民票を米国に移して、税務当局の追及を免れている疑いもあり、道義的にはもとより、法的にも租税ほ脱の疑いが認定されうるかどうか税務調査をすべきだろう。」

……結論は出た。当局は即、竹中氏を税務調査せよ。小泉首相は大臣の納税証明の開示を実行すべきだ。立派な日本国公民たる大臣が改革の舵取りをしてこそ国民は信頼する。

日本の所得税の確定申告書は竹中の日本の住所地(納税地)の税務署長へ提出しなければならない(所得税法15条1項、120条1項)。日本の住民税は、のち に詳論するように、法律的にも実務的にもこの所得税の「税法的事実」を前提にしている。竹中は、この点についての、フライデー側の「求釈明」(平成15年 7月18日被告第3準備書面)には全く答えないで(平成15年10月7日原告準備書面5)、係争期間中、もっぱらアメリカには住居があった、子供がアメリ カの学校に通うなど家族もアメリカで生活していた、などという点に問題をすり替えた。また、アメリカで、地方税を納付していたという自己の発言にもまとも に答えない。アメリカで地方税を納税したという当該納税証明書の提出も拒否している。

これは、「公知の事実」(この事実を判決は全く無視した)であるが、念のために所得税と住民税との関係を以下に明らかにすることとしたい。

(1) 住民税は、所得税と同様に租税論的にはインカム・タックスである。日本における住民税の実態は、法律的にも実務的にも、実質的には「所得税付加税」である。竹中は、所得税は確定申告をして全額、日本で納付していた、と明言している。

この明言は、のちに詳細に紹介するように、竹中の慶応大学での勤務状況、係争期間中の竹中の日本での生活状態(1年分の講義を「前期」に集中講義の形で果た していたこと、会議等のために日本に戻っていたこと、原稿料等を日本の出版社等から得ていたこと、年間を通して日本でマンションを賃借していたことなど) に鑑みれば、税法学上は、所得税を居住者(日本に住所を有する者)として確定申告をし、全額、日本で納付していたという趣旨であると推認される。

税法学の論理からいえば、勤務先の慶応大学では竹中は居住者(日本に住所を有する者)として所得税の年末調整を受け、おそらく配偶者控除、扶養控除の適用を 受けていたものと推認される(所得税法190条、194条参照)。非居住者であれば、配偶者控除、扶養控除の適用を受けることができずまた年末調整を受け ない(所得税法165条)。竹中には、慶応大学以外からの他の所得(原稿料等)もあったので、竹中は、居住者として竹中の日本の住所地の税務署長に所得税 の確定申告をしたものと税法学上、推認される(所得税法120条、15条)。

竹中の、「所得税は全額、日本で納付していた」という明言は、税法学的には以上の「税法的事実」を意味する。

(2) 上記の「税法的事実」に関連して、竹中の、係争期間中の慶応大学での地位について注意を払うべきである。

判決は、1月1日現在、竹中はアメリカの大学で勤務していたという点を重視している。

竹中は、係争期間中は、各1年間を通じて慶応大学専任助教授であり、1年分の給与等を慶応大学から収受するという職業についていた。判決のいうように、春学 期(4月〜7月)だけの勤務という建て前になっていない。乙16号証(衆院予算委員会平成16年2月18日)によれば、竹中は国会で次のように答弁している。これは民主党の五十嵐文彦議員に「竹中さんの住民税、これは節税疑惑と言われておりますけれども、確かめておきたいと思います」との質問を受けてのものであり、平成16年2月という最近においても厳しい追及を受けていることに注目すべきであろう。

「92年から96年までは春学期、4月から7月の中ごろまで3ヵ月半ぐらいを東京で1年分の集中講義をしまして、夏から翌年ぐるっと4月の最初ぐらいまではアメリカで、コロンビア大学で客員研究員をしておりました。」

つまり、慶応大学では各1年間、当該年間を通じて専任助教授として竹中に講義義務を課すという建て前がとられており、竹中の専攻科目の事情に配慮して、1年 分の講義義務を春学期で集中講義の形で果たすことを条件にして、例外的に各年、数ヶ月間だけのアメリカ出張を許容したというのが真相である。しかもアメリ カでの処遇は、無給の客員研究員(交換訪問者)であり、ビザもJビザであって、アメリカでは非居住者として扱われるものであった。

慶応大学での出張辞令は、各年、数ヵ月だけのものであったはずである。また、竹中自身、日本で居住のためにマンションを1年を通じて賃借していた。これ は、所得税法上は「その者が国内において、継続して1年以上居住することを通常必要とする職業を有すること」(所得税法施行令14条1項1号)に該当し、 この点からも竹中は日本に住所を有する者ということになる。だからこそ、税法学の論理上、慶応大学は居住者として竹中について所得税の源泉徴収を行ない、 また年末調整を行ない、また竹中自身が居住者として日本で所得税の確定申告をしたと推認されるわけである。

この点、判決は「……原告の妻及び長女がアメリカに住み続けていたのは、原告と無関係な独自の理由によるものではなく、原告がコロンビア大学で研究するため であったと認めるのが相当である。また、原告は、平成5年から平成8年の間、妻とともにアメリカ合衆国に住宅を所有しており、実際、アメリカ合衆国にいる 間は、そこに住んでいたものと認められる。したがって、原告は、その間、アメリカ合衆国に生活の本拠地があったというべきである」と判示する。この判示 は、竹中自身の日本での生活実態を無視したものであって、税法学的には重大な誤りである。

(3) 住民税においては、賦課期日(毎年1月1日)現在、市町村内に住所を有する者に均等割・所得割が課税 される(地方税法294条1項1号、318条)。どこに住所を有するかについては住民票のある市町村とされている(地方税法294条1項1号、318 条)。ただ、これはいわゆる台帳課税主義を意味するものではなく、事実上の課税便宜措置と解すべきである。住民票がなくても現に当該市町村内に住所を有するとみられる者を「みなし住民」(住所を有する者)として当該市町村長は同人に住民税を課税しなければならないことになっているからである(地方税法 294条3項参照)。

住民税の所得割の課税標準は、所得税の課税標準である「所得税法上の前年の総所得金額等」である(地方税法313条1項、2項など)。毎年1月1日現在において給与の支払いをする者は、当該給与支払いを受ける者の1月1日現在における住所所在地の市町村別に作成された給与支払報告書を各市町村長に提出しなければならないことになっている(地方税法317条の6、7)。これに基づいて、各市町村長は、サラリーマンの住民税の課税を行なうことになるわけである。 住民税の課税資料として、住民税の納税義務者は、原則的には住民税の申告書を3月15日までに1月1日現在の住所地の市町村長に提出しなければならないことになっている(地方税法317条の2、4、5)。

ただし、前記給与支払報告書に記載された者のうち一定のものは住民税の申告書の提出を必要としない。また、所得税の確定申告書提出者は、住民税の申告書の 提出があった者とみなされることになっている(地方税法317条の3)。現実の住民税の課税は、この所得税確定申告書などに基づいて行なわれることとなる わけである。

このことに関連して、昭和41年11月28日に国税庁長官と自治事務次官(当時)との間に「所得税の確定申告書を提出した者について個人事業税および個人住 民税の申告を要しないこととされたことに伴う国と地方公共団体との税務行政運営上の協力についての了解事項」が締結されており、自治省(当時)は、「所得 税の確定申告書を提出した者について個人事業税および個人住民税の申告書を提出したものとみなすこととされたことに伴う国と地方公共団体との税務行政運営上の協力について」(昭和41自治市71)(昭和42自治市25改正)という通達を出している。

具体的に各市町村は税務署で所得税確定申告書を閲覧する。つまり、所得税の課税に基づいて住民税の課税が現実に行なわれるわけである。また、地方税通達自 身が住所に関する住民税の取扱いを所得税の取扱いと一致させることを指示している(たとえば、「外国人等に対する個人の住民税の取扱いについて」[昭和 41自治府54][昭和50自治府39、昭和51自治府45、昭和52自治府42改正]7、12など)。

以上によっても知られるように、所得税と住民税とは法律的にも、実務的にも一体である。

(4) 竹中は、係争期間中は、所得税については確定申告書を提出し、全額を日本で納付していたと明言している。これは、先にも指摘したように、竹中の日本における 生活実態に鑑み、竹中は、居住者として竹中の日本の住所地の所轄税務署長へ所得税の確定申告書を提出し、所得税を全額、日本で納付していたと、税法学の論理上、推認される。所得税と住民税との間の、法律的・実務的関係に鑑み、税法学の論理からいえば、竹中についての住民税に関する地方税法上の位置づけは、 日本に住所を有する者として、日本の住民税を納付しなければならないこととなる。このことは、住民税の「税法的事実」としては自明である。http://www.zsk.ne.jp/zeikei517/ronbun.htmlより引用

マネーやパワーといったものは、時代という一瞬の世界でのみ通用するものです。永い目で見ますと、いかなる世界でも通用するユニバーサル(普遍的)な価値は、愛とか調和といったもののようです。

流れは今、マネーやパワーを手にすることよりも、本質的な生き方を見つめ直す方向にあります。日本の社会が抱える最大の問題は、安易な無力感と挫折感に加え、独立不羈(どくりつふき)の精神の欠落です。東北の復興は、このような日本社会に戻すのではなく、自分で考えて、自分で決定して、自分の責任で行動できる自立した目覚めた人になって、本音で語り合いながらも対立しない知恵を備えた社会環境(コミュニティー)の形成を目指したいものです。

勉強するなら、人の本質に関わる「調和」がよろしいです。特に若い方々に、おススメします。

自分で考えて、自分で決定して、自分の責任で行動するって、人として大切です。


大きな笑顔の佳き一週間を

感謝

昨日、「命を守るということは、生き抜くことであり、自らの行く末を創造する必要条件である」と書いたところ、熱心な読者からもう少し敷衍(ふえん)して欲しいとご連絡をいただいた。リクエストに応えたい。

先ず、次の記事をお読みいただきたい。札幌での出来事である。


40代姉妹死亡:「生活苦しい」区役所に3回相談 札幌
(毎日新聞 2012年1月24日12時21分 最終更新1月24日14時18分)
 札幌市白石区のマンションで知的障害のある妹(40)と姉(42)とみられる遺体が見つかった問題で、この姉は約1年半前から3回にわたり区役所に生活相談に訪れ、生活保護申請の意向をみせていたことが、市役所への取材で分かった。姉は自身の仕事や妹の世話をしてくれる施設も探していたようで、そ の最中に急死し、連鎖的に悲劇が起きたとみられる。
 札幌市保護指導課によると、姉は10年6月、11年4月、同6月の計3回、区役所を訪れ「生活が苦しい」と訴えた。2人の収入は中程度の知的障害 がある妹の障害年金だけだったとみられる。昨年6月、姉は「今度、生活保護の関係書類を持ってくる」と言って必要な書類を聞いて帰ったが、その後は相談がなかった。
 北海道警の調べでは、姉妹の部屋に求職に関するメモがあった。姉とみられる遺体の死因は脳内血腫。姉は3年前に脳外科を受診した記録があり、体調 不良を自覚しつつ職探しをしていた可能性がある。区内の民間障害者施設によると、姉は約1年前に妹の通所の相談に来たが、決まらないまま連絡が途絶えたと いう。
 一方、妹とみられる遺体の死因は凍死で、死後5日〜2週間。料金滞納のためガスは11月末に止められており、室内は冷え込んでいたとみられる。
 姉妹に近所付き合いはなく、地元町内会長の本田鉄男さん(66)は「マンションが町内会に加盟していれば回覧板で変化に気づけたが、非常に残念。せめて市役所から知的障害者がいるとの情報があれば対応できたのだが」と話す。
 ただ市保健福祉局の担当者は「障害を知られたくない人もおり、情報を一元的に出すのは難しい」と話す。民生委員の巡回は高齢者宅に限られ、災害時の要援護者のリストアップも、希望者だけを登録する仕組みだ。
 札幌白石署によると、昨年12月15日に家賃滞納分の振り込みがあり、それから数日内に姉が急死したとみられる。同20日に「111」など複数の発信記録が姉の携帯電話にあった。残された妹が110番など何らかのSOSを出そうとしたのかもしれない。【伊藤直孝、中川紗矢子、小川祐希、佐藤心哉】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120124k0000e040157000c.html


札幌市白石区40代姉妹遺体 死亡した姉、生活や介護などについて区役所に3度相談
(FNN 01/25 18:15)
生活保護受給世帯が増加する中、ある姉妹の死に波紋が広がっている。
北海道・札幌市白石区のアパートで、40代の姉妹の遺体が見つかった。
この部屋は2011年11月末、ガスが止められていた。
発見当時、姉は室内にもかかわらず、何枚も厚着してジャンパーを着ていたという。
死亡したのは、この部屋に住む無職・佐野 湖末枝(こずえ)さん(42)と、その妹・恵さん(40)。
発見時の所持金は4万3,000円で、冷蔵庫に食べ物はなく、料金滞納のため、ガスは2011年11月末に止められており、暖房器具が使えない状態だった。
札幌市では、1月、最低気温が-10度を下回る日があるなど、寒さが続いていた。
姉の死因は、脳内血腫で、死後1カ月たっており、知的障害のある妹の死因は凍死で、死後1〜2週間程度がたっていた。
姉妹と同じアパートの住人は、「いや、寒いね。ストーブをたいても、うちは寒いです。特にこのアパートは寒いね」、「このマンションは、1カ月でも(支払い が)遅れると、ガスでも何でも止めるんだよね。お正月に(ガスを)止めていったガス会社も何なのって思うし」などと話した。
姉妹の両親は、すでに他界しており、2人の生活の支えは、知的障害のある妹の障害者年金だけだった。
そのため、亡くなった姉は、生活や介護などについて、区役所に3度にわたって相談に訪れていた。
区役所は、湖末枝さんに対して、生活保護申請の手続きについて案内したという。
区役所の担当者は「申請に必要な書類を用意するとのことだったが、その後、連絡がなかった」と話している。
しかし、湖末枝さんの友人からは、「何かわたしたち、仲のいい友人にひと言話してもらえれば(状況が)違ったのかと」、「(湖末枝さんが)生活保護を受けようとして(申請を)窓口で拒否された、追い返されたような話を聞いた」といった話が聞かれた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00215981.html



彼女たち姉妹は、今から4年前に滝川市から札幌市白石区へ移転なさった。お姉さんは滝川でも札幌でも、知的障害のある妹さんの世話をなさっていた。彼女たちのご両親は他界なさって久しい。頼みの綱のお姉さんが、脳内血腫で先に昇天なさった。その数日後、障害のある妹さんは、飢えと寒さによる凍死で昇天なさった。

お姉さんの死後に、妹さんは助けを求めようと、お姉さんの携帯から「111番」に何度も電話した。「110番」に電話したかったのだが、最後の番号が違っていた。助けが訪れることはなかった。実に、悲しい。

お二人の天界での幸せを願う。

彼女たち姉妹は最後まで生き抜こうとなさった。
自殺ではない。最期まで健氣(けなげ)に命を守ろうとなさった。
彼女たちの死に尊いもの感じるのは、
生き抜くことで、最後まで身魂を大切にしたからだ。

命を守られた姉妹の魂は、彼女たちを天界へと導いてくれる。
身(肉体の舟)を離れた妹さんは障害から解放され、
お姉さんに、『111番に電話してたのよ』と語りかける。
お姉さんは、『ありがとう、助けてくれたの』と返し、
二人は笑顔で慈しみあっている。

ここに、最期まで生き抜こうとした身魂が救われたのを感じる。
死んでしまったという結果は問題ではない。
そこにたどり着くまでに命を守り、生き抜こうとした姿勢に、
魂がヴァイブレートしブレッシング(祝福)している。


『自らの行く末を創造する』と言うことの意味は、魂がヴァイブレートしブレッシング(祝福)すべく命を守り、生き抜くということです。そのためにも、今日から自分の能力のありったけを使って、無い知恵を振り絞って、生き延びることを決意し実践する人に変身するのです。

人生を楽しみ、悔いのない人生を送ることは、
己の魂の祝福を手にするコツ(知恵)なのです。


笑顔の佳き週末を

感謝

今は、自分自身の判断と能力のみを頼りとして生きて行くしかない時代に突入した。国家もパッとしない、企業は当てにならない、社会は不安定だ、宗教は集金マシン化してしまったし、民族意識と言われても頼り甲斐を見いだせないだろう。「私のようなものには、できっこありません」という弱音や、誰かが何とかしてくれるだろうと他者を当てにする氣持ちが生活姿勢として定着していたら、今日から自分の能力のありったけを使って、無い知恵を振り絞って、生き延びることを決意し実践する人に変身すると良い。さもなければ、冷酷無比な原理でもって容赦なく淘汰されてしまう。命を守るということは、生き抜くことであり、自らの行く末を創造する必要条件である。

今朝は、裁判官弾劾裁判所のお話と氣骨あるひとりの老人−平野貞夫氏(1935年生まれ)−のことをお伝えします。長文になりますが、お付き合い頂ければ幸いです。今の時代を生き抜く大切な内容です。

では・・・


私たちが日本国憲法76条3項に「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される」と定めたのは、裁判官が国会や内閣などから圧力を受け、特定の政治的・社会的な圧力などの影響を受けないようにするためであった。なぜなら、裁判官に「国民の権利を守る」という重責を憲法や法律に基づいて公正に裁判を行ってもらいたいからである。だから私たちは彼ら裁判官を信頼して手厚く身分保障している。

しかしながら、彼らが国民の信頼を裏切るような行為に及んだ時には辞めさせることもできる。だから、日本国憲法15条1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と宣言し、その2項に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」として公務員のあるべき姿を示した。

国民の信頼に値しない裁判官が罷免される民主的手続きには、/歓箸慮両磴里燭畤μ海魏未燭垢海箸できなくなったと司法裁判所の裁判により認められたとき、∈枷輯叡導裁判所の罷免の判決を受けたとき、最高裁判所の裁判官については、国民が直接その適格性を審査する国民審査制度の国民の投票により、その多数が罷免を可としたとき、の3通りある。特に△蓮∋笋燭舛裁判官の弾劾裁判を行うために、国民の代表である国会議員の中から選ばれた裁判員によって組織される特別の裁判所を昭和22(1947)年に設けた時から可能となっている。

弾劾裁判所で裁判を行う裁判員は、衆議院と参議院のそれぞれの議員の中から7名ずつ選ばれた合計14名の国会議員である。裁判員の任期は、原則それぞれの議員の任期の終了までとなっている。また、裁判長は、衆議院選出の裁判員と参議院選出の裁判員から交互に選ばれ、その任期は原則として1年とされた。裁判員はすべて国会議員だが、政党や会派から独立し、国民の代表として、それぞれの良心に従って裁判員の職務を行うことに決めた。

弾劾裁判所は、弾劾裁判を通じて裁判官を罷免する権限をもつが、自ら裁判官を調査して裁判を開始するわけではなく、裁判官訴追委員会という別機関から裁判官の罷免を求める訴えが提起された場合のみ開くことにした。罷免の訴追を行う訴追委員会は、衆議院と参議院のそれぞれの議員の中から10名ずつ選ばれた合計20名の訴追委員で組織される機関。弾劾裁判では、刑事裁判における検察官の役割を担う。この訴追委員会の訴えを「罷免の訴追」という。

訴追委員会は、特定の裁判官について、国民や最高裁判所から罷免訴追の請求があったときや、請求がなくても独自の判断で、罷免の事由があるかどうかを調査する。それから、その結果に基づき、その裁判官の罷免の訴追をすべきかどうかを審議する。この審議で罷免の事由があってその裁判官の罷免の訴追をする必要があると判断したときに、弾劾裁判所に対して訴追状を提出して「罷免の訴追」をする。

一方、罷免の事由がないと判断したときは不訴追の決定をし、罷免の事由があったとしても情状により罷免の訴追をする必要がないと判断したときは訴追猶予の決定をする。また、弾劾裁判の対象になるのは現職の裁判官のみなので、既に退職している裁判官は対象にしない。なお、罷免の事由があったときから3年を経過した場合は「罷免の訴追」ができない。この3年間を訴追期間という。

参考: 裁判官弾劾法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO137.html

参考: 過去の事件と判例
http://www.dangai.go.jp/lib/lib1.html#himen-h20-1


閑話休題(それはさておき)


今、日本で注目すべきことは司法の横暴である。国会は国権(国民を統治し支配する国の権力)の最高機関であったが、清廉潔白から程遠い国会議員たちが司法による逮捕・訴追・判決を恐れたことも手伝って、最高裁判所にその権能を移譲してしまった感がある。国難の時である。

しかし、氣骨あるひとりの老人がこの国難をブレイクスルーすべく立ち上がった。驚愕すべきことであるにもかかわらず、日本のテレビ・新聞(マスコミ)は報道せず無視を続けている。

(引用開始)
日本一新の会 メルマガ配信
━━【日本一新】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                    第85号・2012/1/26
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                      顧問:戸田邦司
                      発行:平野貞夫
                      編集:大島楯臣
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☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、 お取り扱いをよろしくお願い申し上げます。
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      <メルマガ・日本一新第85号>
◎「日本一新運動」の原点―92
               日本一新の会代表 平野 貞夫
 私が、1月12日(木)に、東京地方裁判所の登石裁判官の、「訴追請求状」を提出したところ、『サンデー毎日』と『日刊ゲンダイ』が報道してくれた。ネットでは多数の方々から声援をいただいた。ネットでの議論は民主主義国家の司法のあり方をめぐって、真剣な意見が交換されているが、巨大メディアは無視を決め込んでいる。これからの情報社会では「ネット・メディア」が世の中を動かす予感がしてならない。
 そのネットでも、ある有識者から私に対して厳しい批判があった。「小沢氏側近の平野貞夫元参議院議員が、訴追請求状を裁判官訴追委員会に送ったことは、司法にプレッシャーをかけるパフォーマンスに見え、全く賛同できない。政治家は国民の権利が侵害されたときにこそ反応して貰いたい」という趣旨のものだった。
 私を政治家だと断定するのもどうかと思うが、基本的で重大なことを理解していないようだ。私の「訴追請求」が必ずしも「小沢裁判」に有利になるとは限らない。次第によっては不利に展開する可能性もあるのだ。それでも、登石裁判官については訴追しなければならないと確信している。私を批判した有識者は、私の訴追請求状や「メルマガ・日本一新」で述べた提出理由を知らずにコメントしたのかも知れないが、この機会に「裁判官の訴追・弾劾制度」について解説しておこう。

《裁判官の訴追・弾劾の根拠は憲法第15条にある》
 憲法第15条1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している。この規定は憲法前文の「国民主権主義」に基づくものであり、ここでいう公務員とは、立法・司法・行政のいかんを問わず、広く国および公共団体の事務を担当するすべての公の職員をいう。
《憲法は「裁判官の身分保障」を規定しているが、同時に国民主権に基づく「裁判官弾劾罷免」も規定している》
 憲法第78条を見てみよう。「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことはできない」
 解説をしておこう。「弾劾」とは、国民の意思を根拠に訴追行為に基づいて、公権力により公務員を罷免する制度のことである。
憲法が裁判官について、弾劾によって罷免されることを認めた理由は、司法権の独立を実効あらしめるためには裁判官の身分が保障されなければならないが、司法権も主権の存する国民の信託により裁判所に属させたものであるからだ。それは、裁判官の地位の究極の根拠は、前述した憲法第15条(公務員の選定および罷免など)にあるからである。最高裁判所の裁判官に対する「国民審査制度」もここに根拠がある。
 従って、裁判官が罷免されるのが心身の故障のために職務を執ることができない場合に限るのではなく、裁判官が国民の信託に反すると見られるべき行為をなした場合において、裁判官の身分を保障すべき理由はなく罷免できる制度を憲法に設けているのである。

《裁判官の訴追・弾劾は、国会に弾劾裁判所を設けることが、憲法に規定されている》
 憲法第64条は「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。弾劾に関する事項は、法律でこれを定める」と規定している。これに基づき、国会法第16章に「弾劾裁判所」を設け、弾劾裁判所と訴追委員会の組織と構成を規定し、さらに『裁判官弾劾法』を制定し、裁判官の訴追や弾劾についての手続きや権限などを設けていることは、衆知のことである。
 ごく簡単にこの制度を説明しておく。日本国民なら誰でも、職務上あるいは倫理上問題があるとして、裁判官を罷免するべきと考えたとき、裁判官訴追委員会に「訴追請求状」を提出することができる。訴追委員会は、訴追請求状を受理すると、訴追審査事案として立件し審議を行う。審議には当然調査が伴い、証人の出頭や記録の提出を要求することができる。裁判官を罷免する必要があると認めるときは、訴追の決定により弾劾裁判所に訴追状を提出する。弾劾裁判所は、公開の法廷で審理を行い、罷免するか否かの裁判を行うことになる。
(裁判官訴追委員会事務局作成「訴追請求の手引き」 http://www.sotsui.go.jp/を参照)

《登石裁判官訴追請求の問題点》
 弾劾による裁判官罷免には、当然のこととして理由が必要である。弾劾法第2条には、(1)職務上の義務に著しく違反し、又は職を甚だしく怠ったとき。(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき、と規定している。従って、訴追請求の理由もこれらの条件に該当するものでなければならない。ところが、『訴追請求の手引き』には、「判決など裁判官の判断自体の当否について、他の国家機関が調査・判断することは、司法権の独立の原則に抵触するおそれがあり、原則として許されません」と説明している。
 この説明に従うと、私の訴追請求は訴追委員会で受理されず審議の対象とならない可能性がある。判決の思想・姿勢・内容などに関係しており、司法権の独立に抵触するという理屈をつけてくると思われる。
 さて、罷免の第1条件である「職務上の義務」とは、「憲法尊重擁護の義務」が最大の義務ではないか。さらに、わが国の憲法は、人類が営々と築いた基本的人権を基盤としており、それに基づいて推定無罪、罰刑法定主義、証拠中心主義などのことを規定している。これらを徹底的に冒涜して、多くの国民から「裁判官の暴走」と批判された「登石裁判官」は、前述したとおり「裁判官が国民の信託に反すると見られるべき行為」そのものである。まさに憲法が規定した「裁判官の弾劾」の対象とすべき典型的事例である。仮に訴追委員会が「登石裁判官の訴追請求」を審議しないことになれば、訴追委員会が憲法の期待する職務を怠ることになり、「憲法の遵守義務」に訴追委員会自体が違反することになりかねない。「司法権の独立」はきわめて大事なことである。それは司法権が正常に機能して、社会正義を確保する役割を果たすためである。しかし憲法は、司法権を行使する裁判官が「国民の信託に反する行為」をすることを想定して、弾劾制度を設けているのである。

《登石裁判官の変心》
 登石裁判官は平成14年1月30日、北海道大学で行われたシンポジウムで、次のように発言している。
「刑事裁判も民事裁判も、要するに証拠による裁判が基本中の基本だと思います。なぜいまさらに証拠による裁判を持ち出したかというと、我々には非常に当然なことですけれども、実際の社会では必ずしもそれが理解されていないような気がするからです」 「証拠による裁判が基本中の基本」という考え方を公言していた登石裁判官が、何時からどういう理由で、まったく証拠を無視して、憲法の規定する刑事法の原理を冒涜するような思想・信条になったのか。これはまさに「裁判官の資質」に変化があったといえる。漏れ聞くところによれば、登石裁判官は最高裁事務総局と密接な関係があるとのこと。もしかして、登石裁判官の変心は「最高裁事務総局」の、力強い指導によるものかも知れない。
 私は、日本の司法府について、立法府や行政府よりましな統治機構だと信じていたがそれは誤りだった。むしろ、国民が聖域として尊重してきた影で、どのようなことが展開していたのか、その根本を疑ってみなくてはならない。しかし前述したように、よくよく考えてみれば、憲法の裁判官弾劾制度とは、そういう思想で設けられているのだ。
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