流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

2012年02月

≪天皇陛下のご手術について≫
 天皇陛下の冠動脈バイパス手術は,本日11時01分に執刀開始し,3時間56分後の14時57分に終了いたしました。すでに発表しましたように,手術は東京大学医学部附属病院心臓外科と,順天堂大学附属病院心臓血管外科の合同チームで行われました。
 術者は3名で,東大チームは小野稔教授,順天堂チームは天野篤教授と稲葉博隆准教授です。手術は予定通りに順調に進み,終了いたしました。すなわち,狭窄が認められた二本の冠動脈(左回旋枝と前下行枝)のそれぞれに左右の内胸動脈を吻合してバイパスを形成することができました。術中の出血もほとんどなく,また術後の麻酔からのお目覚めも順調で,ほぼ予定通り15時55分に手術室からICUにお移りになりました。17時過ぎに は,皇后様が,やはりご手術の少し前より付き添われた黒田清子様とともにご面会になり,短時間ではありましたがご一緒の時を過ごされました。(平成24年2月18日:皇室医務主管)http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h24-0212.html

今上天皇の心臓手術は成功した。手術成功の知らせにより氣持ちが軽くなった方々や血流が良くなった方々がいらっしゃる。そのような方は皆さん、明るい笑顔を取り戻されている。今上天皇は日本の雛形(縮図)となられているという説を想い出した。

今上天皇(1933年12月23日生まれ)が第125代天皇と知って伊勢神宮をイメージなさる方は多い。伊勢神宮は、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上に鎮座する皇大神宮(内宮)と伊勢の山田の原に鎮座する豊受大神宮(外宮)及び14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社の合計125社の総称で一般的に「神宮」で通っている。125代と125社という数字を重ねると、共通性をなんとなく感じることができる。神宮の御神体が天皇の身長と同じ長さであったことを知ったなら、共通性・同一性は揺るぎないものとなるに違いない。まずは、御神体の話から。

来年、平成25(2013)年は式年遷宮(せんぐう)の年。遷宮とは、神社の正殿を造営・修理する際や、正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すこと。式年とは定められた年という意味で、神宮では20年に一度行われる。第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のこと。それから1300年にわたって続けられ、昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、来年に第62回を予定している。ここに日本の永遠性と継続性の雛形(縮図)を見ることができる。

さて、この御神体を心御柱(しんのみはしら)と言い、正殿の御床下に建てられる特別なヒノキの御柱で、忌柱(いみばしら)・天ノ御柱(あめのみはしら)・天ノ御量柱(あめのみはかりのはしら)とも呼ばれる。心御柱の奉建は、遷宮諸祭の中でも特に重んじられてきた深夜の秘事(非公開)で、限られた神社関係者によって行われ、心御柱がいかなるものかは知られていない。しかしながら、出雲大社の心御柱が三本柱で成り立っていたように、神宮の心御柱も三本柱から成り立っている可能性は高い。

この心御柱が時の天皇の身長に合わせて切られているという伝承がある。
寛文年間(1661−73)に自省軒宋因の書写した「大神宮心御柱記異本」によると、心御柱にする檜は長さを8尺に切り八角に削って朝廷に差し出し、天皇の身長の処に印をつけてもらって、そこで切ったという。そしてこの柱に鏡をかけて、黄金の鉢にのせ、これも黄金の榊をそえて立てた。それゆえ、心御柱は天皇の玉体そのものである。また黄金の色は葦牙を示している。

宮家準(國學院大學神道文化学部教授)の論文『民俗宗教における柱の信仰と儀礼(4.伊勢神宮の心御柱)』より引用。→http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf

今上天皇は国の魂を宿し、神宮の動く御神体でもあり、日本国と国民の諸々が反射する相関関係にあると見ることができる。今回の手術によって「狭窄が認められた二本の冠動脈(左回旋枝と前下行枝)のそれぞれに左右の内胸動脈を吻合してバイパスを形成することができ」て陛下の心臓が改善されたことは、日本国と国民そして地球に暮らす人々すべての心(臓)に反映し、佳き方向にすべてが運ぶ兆(きざし)となると感じる。

宮家準教授は、「柱を天と地を結ぶ、宇宙軸とする見方となる。伊勢神宮の心御柱を天皇の身長にあわせていたのは天子を天と地を結ぶ軸とする思想にもとづくと思われる」と記されている。古事記に記された宇宙の三層構造が浮かんできた。

1)高天原(日本の王権の権限をなす天照大神を中心とする天上界)
2)黄泉の国(根の国と言われるイザナミを葬った死者の他界)
3)葦原の中っ国(地上の世界のことで、高天原と結びつく東の大和と根の国にかかわる西の出雲にニ分される)

これら天上・地下・地上が一本の宇宙軸で貫かれ、それが天ノ御柱・天ノ御量柱とも呼ばれる「心御柱」である。そしてそれは天皇のご身体(ご神体)そのものであることを意味している。


閑話休題(それはさておき)


神宮参拝の順路は、まず外宮からというのが古来からのならわしとされる。外宮は、伊勢市駅から歩いて7分程。その後内宮ヘとお参りする方が多い。中には、それから伊雑宮(いざわのみや)へ参拝される方もいる。

伊雑宮は三重県志摩郡磯辺町大字上之郷に鎮座し、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)をご祭神とする。一般には「イゾウグウ」とか「イソベさん」とよばれ、内宮(大神宮)の別宮で、古くから皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称せられている。

ここで、チト、不思議なお話を。お付き合い願います。

『神代皇代大成経』という総題が付された神書がある。これは延宝4(1676)年から7年にかけて、江戸で知られた戸嶋惣兵衛の店から神儒仏一体の教えを説く書物として出されたものである。序文には、聖徳太子と蘇我馬子が編纂し、さらに太子の没後、推古天皇が四天王寺、大三輪社(大神神社)、神宮に秘蔵させたものと記されている。ここに伊雑宮に関する記述があり、それがために後年この書は権力によって焚書となってしまった。

そこには、伊雑宮を日神の社とし、外宮・内宮をそれぞれ月神・星神の宮とする内容が記されていた。外宮と内宮の神官たちはこの内容を危惧し、神宮が国家の宗廟であり、幕府も朝廷の権威に支えられている以上、その秩序を乱すような異説は厳しく取り締まられなければならないと考えた。内外両宮からの度重なる訴えにより、幕府は本書刊行の背後を詮議し、天和元(1681)年幕府は『神代皇代大成経』を偽書と断じ禁書とし、版木を焼いた。戸嶋惣平衛は追放され、この本を版元に持ち込んだ神道家・永野采女と僧・潮音道海および偽作を依頼したとされる伊雑宮神官は流罪となった。


さあ、今日一日、笑顔で参りましょう。

感謝



伊雑宮


参照:見落されがちな真相; 見落されがちな真相

この「流れのままに」のリンク集に「女将(おかみ)」があります。女将は東日本大震災で被災してしまいました。私が『女将(おかみ)』と呼ばせていただいているのは、彼女が南相馬の新地の小さな旅館『朝日館』の女将だからです。数年前に宿泊しました。海の幸が美味しく、ゆったりとした時を過ごさせていただきました。懐かしいです。でも、すべて波に呑まれてしまいました。いま、女将がアクリルの毛糸を求めています。

以下、女将のブログから転載させていただきます。

・・・・・・
■緊急 毛糸の支援求む!
ブログのお返事もできないですみません。

昨日、エコたわし編み隊の二回目の集まりをしました。

みなさん、すっかり編み物にはまってしまっていました。

けれど支援していただいたのは毛糸の玉が30個だったのです。あとは、それぞれのお友達などに呼びかけて、残り糸をもらって編みました。

皆は楽しいので継続したいと言います。毎週、金曜日の午後に集まることになりました。
けれど、編む毛糸がないのです。

そこで、もし、お宅のどこかにアクリル毛糸が残っていたら送っていただけないでしょうか?残り毛糸で十分です。ちょっとだけでもいいです。配色を考えて編むことにしますので。

支援をお願いいたします。

送り先は


979−2703
福島県相馬郡新地町小川字川向9−1小川公園仮設7−6
       エコたわし編み隊 村上美保子


ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

それから売ってくださるとお知らせくださった皆さん。ほんとうにありがとうございます。
売れても売れなくてもいいのです。もちろん、売れたら嬉しいですけれど。
コメントくださった方、二、三日忙しいので、後ほど必ずお返事いたします。

4月末までお店においていただいて、もし売れ残りった場合は、着払いで返品してください。
返品のたわしは、仮設にボランティアで来てくれた方のお礼にしたいなと考えています。

どうぞご支援をよろしくお願いいたします。

エコたわし編み隊

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http://asahikanok.exblog.jp/17210838/より転載
※後列の左から3人目の方が女将です。みなさんお元氣のご様子で、めでたし、めでたし※


ご協力をお願いいたします。


閑話休題(それはさておき)


ハビエル・バルデム(1969年生まれ)は、2004年の映画『海を飛ぶ夢(Mar adentro)』に主人公のラモン・サンペドロ役を好演したスペインの俳優です。2007年の『ノーカントリー(No Country for Old Men)では冷酷無比な悪役を演じ、話題となりました。昨年10月に彼は合衆国ABCニュースの報道番組『Nightline』に以前から取り組んでいる「モロッコに占領された旧スペイン領、西サハラの難民問題」について取材を受けました。番組では国連総会の小委員会でスピーチを行うなどして、国際社会から忘れ去られているこの問題について意識を高めようと努力する姿が紹介されました。最近、彼は映画'Sons of the Clouds: The Last Colony'を『チェ28歳の革命』『チェ39歳別れの手紙』のアルバロ・ロンゴリア(Alvaro Longoria)監督作品としてプロデュースし、ベルリン映画祭に参加しました。
http://www.berlinale.de/en/das_festival/im_fokus/videostreaming/06_streaming_2012.html#item=2621

本作品は、スペイン人の彼がいかにして仕事を通じて、映画人として、西サハラ問題解決に貢献できるかを問い続けた答え(成果)です。

モロッコの南側に「西サハラ」は地域として存在しています。ここは以前、「スペイン領サハラ」と言われ、スペインの植民地でした。戦後、アフリカ諸国の独立が相次ぎ、北側のモロッコは1956年にフランスから独立しました。1975年にはスペインが領有権の放棄を決めました。しかしながら、「西サハラ」は主権国家としての独立を目指して活動し続けています。

スペイン撤退後、モロッコは「他の保護領と同様に返還されて当然だ」と主張し、西サハラの全人口より多い35万人の非武装のモロッコ市民(空軍機による上空援護はあった)による「緑の行進」を行いました。流血を恐れたスペインとモロッコ、モーリタニアの間で西サハラの分割について秘密条約が結ばれ、76年2月にスペインは撤退し、西サハラはモロッコとモーリタニアが南北に分割したのです。そして、73年5月からスペインを相手に地元で武力闘争を続けていたポリサリオ解放戦線がこれに抵抗し、「2ヵ国による分割は新たな植民地支配」だと、スペイン撤退の直後にサハラ・アラブ民主共和国の独立を宣言しました。アルジェリアの支援を受けながらモロッコとモーリタニアを相手に武力闘争を継続し、アルジェにサハラ・アラブ民主共和国の亡命政府を作るとともに、アルジェリア領内の難民キャンプと内陸の砂漠の「解放区」を出撃拠点にしてゲリラ活動を続けたのでした。

現在、サハラ・アラブ民主共和国は「砂の壁」に国土を分断され、壁の西側はモロッコによる占領地でモロッコ軍が監視、東側はポリサリオ戦線による「解放区」で戦線側が監視しています。「砂の壁」とは、西サハラ領域内を南北に貫く軍事的な約2,000kmに及ぶ境界線のことです。西サハラの領有を主張し、同地の独立を主張するポリサリオ戦線と対立するモロッコがイスラエル軍の協力によって、ポリサリオ戦線のゲリラ攻撃から沿岸主要都市を防衛する名目で建設したのです。国際連合の停戦活動もあり、両者の停戦は厳守されています。その名の通り、モロッコ軍がサハラ砂漠の砂を高さ数メートルに積み上げて作ったもので、その周辺は鉄条網と地雷で防御されています。

このサハラ・アラブ民主共和国は、アフリカやラテンアメリカを中心に約58ヵ国が承認しています。国際連合は承認していません。1984年からはアフリカ統一機構(OAU)に国家として加盟しています。これを理由にモロッコはOAUを脱退しました。砂の壁の西側をモロッコ軍が監視し、実効支配(不法占拠)していることに関して、国際司法裁判所は「モロッコの論拠とする国内的、国際的行動のいずれも当時における西サハラとモロッコ国家のあいだに領土的主権に関する法的拘束の存在、あるいはそれに対する国際的認知を示すものではない。モロッコ国家特有の構造を考慮してさえ、それらの論拠はモロッコが西サハラにおけるいかなる実効的排他的活動をも示すものではない」と指摘しています。モロッコによる領有権の主張は大多数の国から認められていません。わが日本は、モロッコと同じ王国のためか、または合衆国に同調したのか、今のところサハラ・アラブ民主共和国を国家として承認していません。

参考:国連のマップ http://www.un.org/Depts/Cartographic/map/dpko/minurso.pdf

ところで、わが日本は北方領土をロシアに、竹島を韓国に不法占拠(実効支配)されています。しかし、それを承認してはいません。旧ソビエトはサンフランシスコ講和条約に署名しておらず、結果として、日本はロシアとは未だに平和条約を締結していないのです。ソ連崩壊後の日本とロシアは、日ソ共同宣言に明記されている「平和条約締結後の歯舞群島・色丹島の日本への引き渡し」を再確認しているのですから、争点は国後・択捉両島の取り扱いと不法占拠となります。今のところ、現政府は平和条約の締結を政治課題としているようには見えません。次に、韓国に関してです。わが国は昨年、国際司法裁判所に提訴しましたが、韓国は国際司法裁判所への付託に同意しなかったので審議は開始されませんでした。当事国が領土の帰属問題について合意することが困難な場合、国連機関である国際司法裁判所を利用することができますが、この制度の下では、付託するためには紛争当事国両国の同意が必要なのです。ですから、竹島に関しては、毎年、国際司法裁判所に提訴し続け、韓国に付託を同意してもうよう働き続ける必要があります。

東日本大震災の復興も、北方領土も、竹島も、いちどきれいに道を整えて、立て替え、立て直しを始めたいものです。新しいステージにシフトさせるために、自分が自然に出来ることを考え行動しましょう。一度限りの一過性的なものではなく、遠い先を見届けた、新しい道を開く、継続的行動にしたいものです。

さあ、今日も大きな笑顔で参りましょう。

感謝



【追記】
JavierBardem


Berlin 2012: Javier Bardem Talks About Alvaro Longoria's 'Sons of the Clouds: The Last Colony' (Q&A) - 6:44 AM PST 2/15/2012 by Pamela Rolfe

Few people outside of Spain have even heard of the post-Colonial drama of the Sarhawi people who live to this day in the Western Sahara. But that's something Javier Bardem wants to change. The Spanish actor has thrown his weight behind the documentary as producer and star to focus some of his starlight on one of the darker corners of the world. The Hollywood Reporter's Spain Bureau Chief Pamela Rolfe talked to Bardem about the documentary, the Sahara and optimism.
THR: This is clearly a personal project. I know that your contact with the Sahrawi people came while at a film festival, but what was it that really moved you about that experience?

THR: Outside Spain, the Western Sahara is largely an unknown problem. It's not even on the radar. How would you explain the situation and Spain's historic role to a complete outsider?Bardem: There are many reasons why I was moved by the experiences I had in the refugee camps. I suppose if I had to identify one to summarize it would be seeing the legacy as Spaniards that we left to the Sarhawis. That really gives you a different kind of responsibility. Of course, it wouldn't be the same if the Sarhawis weren't how they are-- so generous. I didn't find any hate or resentment toward us, but the opposite. The Spanish population helps the Sarhawis in a big way -- in a private way. So we want to help and we made the documentary because that's the way we can. You cannot change the world. But we can bring that story to some other people who may not be aware of it. In the end, those stories that are not told are stories that don't exist in people's minds.

Bardem:
That's actually why we tried to do the documentary, because it's not very easy to make sense of it. This film is about the Sarhawis. But in the end, it's about a lot of stories in the world that happen to be the same. Because they are not on the radar, as you say, they're not important. If they're not "important," then people don't move to try to change them. When I say people, I do mean society -- but I also mean governments that have the power to change the landscape. Imagine the situation between Israel and Palestine. It's such a big mess. You can be on one side or the other. But what's clear is that there's an urgent need for a solution there and that's been dragging on for so long. So you can imagine how much more difficult for a people like the Sarhawis that are so much less -- less population, less support. It's important to talk about a situation that people are not aware of and yet those people are having a really hard time to survive. The world is full of these stories. We didn't choose it. It chose us.

THR: There's a moment when you are interviewing Aminatou Haidar when she talks about the growing frustration with non-violence by saying she can no longer find the words to guide younger generations. It's a key moment. What do you see as the path for the Sarhawi people?

Bardem:
She's an amazing lady who has lived through so many incredible situations. She presents the Sarhawis as they are -- a people who have been trying peacefully to demand legal rights, common sense rights, with the knowledge and consensus of the United Nations and yet they still feel they don't have a right. It's like Aminatou says -- they are a people that are really peaceful and don't want to move forward in a violent way, but "what can I tell the youth when after all these years and so many betrayals, we still don't matter." What can you say? It's very powerful to hear that from a person recognized as a peace leader in the world.

THR: Something depicted nicely in the film is not just a possible changing in strategy, but a changing of the guard from one generation to the next.

Bardem:
People have been born and raised in refugee camps. Those people don't know what the older generation knew, their land, their future, their possibilities. There is a whole generation of people who have grown up in refugee camps asking themselves, "Why? What have we done wrong?" And Aminotou and others are still telling them that peace is what will bring us farther as a movement. But these generations are saying "no," because they see how the world changes and they see that if you do not make some noise, you are not in the news. And we -- society, the media -- either voluntarily or not we make them make decisions like that. It's a pity, because they are an example of people moving forward in the hardest situations with their very peaceful, positive and creative spirit.

THR: Not to minimize the effect of the film, but I'm curious if there's anything else aside from the hefty weight of your prestige and celebrity and the cost of the film that you have invested in this cause? Have you created some foundation or some economic support?

Bardem:
Alvaro and I and others I know try -- and sometimes we succeed -- in a private, anonymous way in order for them to have better conditions. But that goes along with all the Spanish society that I mentioned before. There is a lot of awareness in the Spanish society. They bring kids here in the summertime because summers there are unbearable. They bring them here to Spain to see doctors. They send money and they send food. But that's not the goal. The goal is to try to change the scenario and for them to have what they deserve -- their land, their right to make a living out of their land. I could name thousands of people who are helping in a private way. That's not what it should be. We wanted to put it all together so people understand and can know what to ask of their governments in the political forums. But if you're asking about foundations, there are many pro-Sarhawi foundations in Spain and, of course, we can work through that, but if this film makes any money at all, it'll go straight to the refugee camp. But it's not just the film, there are many private initiatives.

THR: Many people outside Spain might not know the Bardem family's link with political activism. But it's something you come by honestly, no?

Bardem:
It's not something you choose. It's not something you carry like a flag. It's a part of your education. I've seen people in my family doing whatever they could, however they could, in order to help to create a better way in a very humble way. What you see when you are little, stays with you. It stays a sense of humor, a way you eat or the way you enjoy a book. It's a part of your education.

THR: Would you consider yourself an optimist?

Bardem:
Wow. In general? Ah … I believe in people. I'm going to be 43 years old, and my experience in life so far is that I've met way more good people -- people that are trying to help, people that are doing the best they can do to create a better world -- than people that I've met that are the opposite, people that are destroying or creating a horrible world. So I'm optimistic in that way. The bad news is that only the bad people reach the news because they are noisier.

THR: And with respect to this particular situation?

Bardem:
I do. Alvaro and I were at the United Nations and we had the chance to be there for three or four days and speak to a lot of people. And there's an awareness for example of the violation of human rights is so strong that I'm optimistic in that sense that it will be supervised there's a sense that it has to be transformed. Transformed so they can have the freedom of speech, freedom to belong to different ideologies without being in prison or tortured. In that sense, the Arab Spring has taught us that it's possible. Even in the darkest regions, people have discovered their right of freedom. And yes, I'm optimistic in that sense.

THR: The number of languages used in the film highlights what an international problem it is.

Bardem:
When we got there, we thought it was a local problem with the Spanish government. We made a journey, and as we make the journey, we discovered how many governments are actually involved in this problem. And of course, how many languages. I was amazed about the knowledge of the situation in so many different forums. Of course, on a street level, it's not a very well known crisis. But in political circles, it is.

THR: So what do you take away from the experience of making this documentary?

Bardem:
I'm lucky in that I know a lot of good and capable people that can make it happen. We all need people. Human beings are not an island. I know a lot of people in different crafts. In this one, Alvaro has really worked hard to make it happen over the past four years. It's been a long road, and we're happy we have something to show. We wanted to make something real that people can have an opinion after watching it. In this case, it wasn't easy because you have to fight hard for people to speak. We weren't looking to jeopardize anyone. We just want people to learn and to take them through the journey of why this situation keeps being the same for so long.
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http://www.hollywoodreporter.com/news/berlin-2012-javier-bardem-talks-291381 より転載

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