流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一二年神無月

「足利事件」の菅家利和氏、「東電OL殺人事件」のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏、そして「飯塚事件」の久間三千年氏の三名はDNAの違いが分かって無罪になった、と言いたいところだが久間氏は既に死刑が執行されてしまっている。

無実であるにもかかわらず、国家権力が死刑執行してしまったら、それは殺人である。殺人を犯した者は法によって裁かれるのだが、国家権力も例外ではない。

東電OL殺人事件再審、検察が無罪求める
(J-CASTニュース 2012/10/29 13:30)
1997年に起きた東京電力女性社員殺害事件で無期懲役が確定し、11年6月に再審開始が決まったネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)の再審第1回が2012年10月29日、東京高裁(小川正持裁判長)で開かれた。検察側は、「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として、無罪を求める異例の意見を述べた。審理は30分程度で終了し、11月7日に無罪判決が言い渡されて確定する見通し。http://www.j-cast.com/2012/10/29151744.html

飯塚事件“DNA再検証で別の型”
(NHK 10月25日 22時51分)
飯塚事件
 平成4年に福岡県飯塚市で、小学生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」で、元死刑囚の裁判のやり直しを求めている弁護団は、当時のDNA鑑定を専門家に依頼して再検証し、「元死刑囚のものとされたDNAの型とは別の型が確認された」という結果を裁判所に提出しました。
 平成4年に福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、平成20年に死刑が執行された久間三千年元死刑囚の家族が、裁判のやり直しを求めています。
この裁判は複数の証拠を基に死刑判決が確定しましたが、弁護団はそのうちの1つだったDNA鑑定について、専門家に依頼して再検証し、結果を福岡地方裁判所に提出しました。
弁護団によりますと、DNA鑑定をした遺留物は残っていないため、検証は捜査段階でDNAの型を撮影した写真のネガを分析する形で行われました。
 その結果、当時の鑑定で元死刑囚のものとされたDNAの型ははっきりとは確認されなかったとしています。
さらに警察が当時作った鑑定書にはネガの一部が示されておらず、その部分に元死刑囚とも2人の被害者とも違う、別のDNAの型が確認されたとしています。
 弁護団は「この別のDNAが真犯人のものである可能性がある。当時の鑑定は信用性が低いうえ、警察が都合よく改ざんした疑いもある」と主張しています。
 一方、福岡地方検察庁は、「DNA鑑定の資料は、ネガも含めてすべて裁判に証拠として提出し、DNA以外の証拠も評価して有罪と認定された。今後はDNA鑑定に誤りがないことを的確に立証していく」としています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121025/t10013024001000.htmlより転載

参考:http://www.mynewsjapan.com/reports/1526

新聞やテレビは、最優先事項として、このニュースを取り上げてもらいたい。今も日本には代用刑事施設(旧代用監獄)での取調べ体制が公的に存在していて、司法当局の求める自白を容易に引き出せることが指摘されている。そして、それが冤罪の温床となっている。マスコミやアカデミシャンには、ミラの聖ニコライの役目があることを知って目覚めて欲しい。ちなみに、聖ニコライはサンタクロースのモデルと言われている。

明日から11月。早いですねぇ〜。

大きな笑顔で、邪氣を払って、参りましょう。

感謝

新古典派(Neoclassical)経済学者のマーシャル(1842〜1924)は、ケインズ(1883〜1946)が尊敬した恩師であった。彼は、1885年2月24日のケンブリッジ大学政治経済学教授就任講演「経済学の現状(The present position of economics)」の締めくくりに、周囲の社会的な苦難に取り組むために冷静な頭脳をもって、しかし暖かい心情をもって、進んで力を差し出す人物をより多数、ケンブリッジがこの世に送り出すよう尽力することが自分の大望であると伝えた。
It will be my most cherished ambition, my highest endeavour to do what with my poor ability and my limited strength I may, to increase the numbers of those, whom Cambridge, the great mother of strong men, sends out into the world with cool heads but warm hearts, willing to give some at least of their best powers to grappling with the social suffering around them; resolved not to rest content till they have done what in them lies to discover how far it is possible to open up to all the material means of a refined and noble life.
(The present position of economics : an inaugural lecture given in the Senate House at Cambridge, 24 February, 1885 / by Alfred Marshall. London : Macmillan and Co., 1885, p.57)
私がもっとも深く心に期しておりますことは、またそのためにもっとも大きな努力を払いたいと思っておりますことは、すぐれた人々の母でありますケンブリッジで学ぶ人々の間から、ますます多くの人々が、私たちの周りの社会的な苦難を打開するために、私たちの持ちます最良の力の少なくとも一部を喜んで提供し、さらにまた、洗練された高貴な生活に必要な物的手段をすべての人が利用できるようにすることがどこまで可能であるかを見出すために、私たちに出来ますことをなし終えるまでは安んずることをしないと決意して、冷静な頭脳をもって、しかし暖かい心情をもって、学窓を出て行きますように、私の才能は貧しく、力も限られてはおりますが、私にできるかぎりのことをしたいという願いに外なりません。
(「経済学の現状」『経済論文集』アルフレッド・マーシャル [著] ; 永沢越郎訳. 東京 : 岩波ブックサービスセンター (製作), 1991.12.10, p.31)


閑話休題(それはさておき)

福島県 子どもの放射能 尿検査せず 秘密裏に「困難」結論?
(東京新聞 2012年10月25日)
 福島原発事故を受けた県民健康管理調査で、子どもの内部被ばくを把握できる尿検査が行われていない。専門家でつくる公開の検討委員会でも検査の是非がほとんど議論されてこなかった。ところが今月に入り事前の「秘密会」の開催が公となり、尿検査をめぐる議論の不透明さも判明。検査を求めてきた保護者らは不信を募らせている。(中山洋子、林啓太)【こちらは記事の前文です】http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012102502000152.htmlより転載
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やまなかけんじさんのフォトアルバムより引用

with cool heads but warm hearts(冷静な頭脳をもって、しかし暖かい心情をもって)、社会的な苦難に取り組むために、進んで力を差し出すひとでありたい。

大きな笑顔の良き週末を

感謝


コマーシャルは不思議なもので、私たちの「見栄」「体裁」「闘争心」「羞恥心」「嫉妬心」「欲望」を刺激してやまない。必要のないものを買わされてしまったり、そのようなものを買うために要らぬ努力をしたりする。

このような消費を決定する要因は、所得ばかりではなく、私たちを取り巻く社会環境によっても大きく影響される。たとえば、低所得の人々の間で生活すれば消費は小さくなる傾向があり、高所得の人々の間で生活すれば消費水準は高くなる傾向がある。これをJ・S・デューゼンベリー教授(1918〜2009)は「デモンストレーション効果」と呼び、人々の消費水準は相互依存関係にあることを指摘した。まわりの人々の派手な消費生活を見せつけられることによって、個人の消費性向が影響をうけ、所得水準よりも高い消費生活を営むようになると言うのだ。あるブランドの財布が流行しているという理由で自分もその財布を買う、は好例である。

消費の相互依存関係を示すものとしては、このほかに「ヴェブレン効果」がある。これは、人々が生活程度の高さを誇示することを意図して宝石や毛皮のコートなどを購入する場合であって、「衒示(げんじ)的消費(Conspicuous Consumption)」とも呼ばれる。消費は、財・サービスが本来もつ性質だけのために行われるのではなく、自分の地位の誇示や他人にみせびらかすために行われるとする。通常、需要は価格の上昇に伴って減少するが、衒示的消費などの場合、価格が上昇すると逆に需要が増加する。T・ヴェブレン(1857〜1929)言わく、消費者は私的な効用だけでなく他人からどのように見られているかという社会的な効用をも消費している。

彼の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』(1899年)では、「金ぴか時代(Gilded Age)」の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明された。彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。現代は、富豪でなくとも「強欲な消費」を発揮できるマネーの時代である。


閑話休題(それはさておき)


はたして、私たちは最低限の衣食住に甘んじることができるであろうか。子を塾に通わせたい、ローンして家を購入したい、貯蓄したいなど、将来の不安を埋めるための先行投資を余儀なくされている。それらは「安心」を得るための投資ではあるが、そのために時間的余裕を代償として差し出し、心のつながりを持てる人との交流時間を犠牲にした消費でもある。

強欲な消費から脱出し、最低限の生きる環境に満足できたなら、「見栄」「体裁」「闘争心」「羞恥心」「嫉妬心」「欲望」の奴隷にはならずに、自分らしく生きることにエネルギーを使いたい。好きな時に空を見つめる、何時間でも好きなだけ見つめる自由を手にする。波の音を楽しむ、好きなだけ楽しめる自由を手にする。そして、共に見たり、楽しんだりできるパートナーや恋人がいたら・・・。あれもこれも消費していた自分の考え方・生き方がつまらなかったことに氣づく。

私たちが生きていくのに一番大切なのは、消費することではない。もし、消費することで人が幸せになれるなら、一生懸命に消費した人はみんな幸福になれ、消費しない人はみんな不幸になるはずだ。しかし、現実はそうなってはいない。

考え方と価値観を変えるだけでいい。最低限の衣食住に甘んじて、時間的余裕を手にし、心がつながる人との共有時間を味わい、氣楽になることが大切である。

2013年の伊勢と出雲の遷宮によって、私たちのライフスタイルが消費中心から自分時間の生産に変わっていくなら、明治以降の脱亜入欧から目覚めた時代の脱欧入亜へシフトする時間が流れ始める。

大きな笑顔の良き日々を

感謝
脱欧入亜

Emi Sun @Empire State Building: 撮影 まさのりSun

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