流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一二年師走

今日は南方熊楠(1867年5月18日〜1941年12月29日)の命日。

先日、「螺旋」は英語でスパイラルですよねと問われて、蚊取り線香のような2次元平面の渦巻は「spiral(スパイレル)」で、 DNA構造に見られる3次元立体の螺旋は「helix(ヒーリックス)」 ですと伝えた。螺旋を平面に投影したものが渦巻である。そして、ダブルは二つとか二倍の意味だが、デュアルは二つの部分からなるという意味で「二重」と訳されることが多く、二重人格(デュアルパーソナリティ)や DNAの二重構造に見られる相互に行ったり来たりする相互依存関係です、と加えた。

『相互依存関係です』と自ら発した言葉により、両界曼荼羅が頭の中に発露してきた。それは密教の教えの中心たる大日如来の説く宇宙の真実の姿(真理)や悟りの境地をヴィジュアルに表現した二つの曼荼羅のことだが、Mandala of the Two Realms も良いが、その二つが相互作用を起こして天網恢恢たる宇宙を現しているのだから Dual Mandala が良いなどと考えた。胎蔵曼荼羅(上の方)は真理を実践的な側面・現象世界のものとして捉え、金剛界曼荼羅(下の方)は真理を論理的な側面・精神世界のものとして捉えていると言われる。
胎蔵曼荼羅

金剛界曼荼羅

さて、南方熊楠は彼独自の世界観を立て、「南方マンダラ」の図を残した。ここに「萃点(すいてん)」というさまざまな物ごとの“ことわり”が通過し、交差する地点を描いた。彼は「萃点」を押さえてそこから始めたら、物ごとの研究ははかどると言った。両界曼陀羅における大日如来であろうか。「萃点」は、南方熊楠の造語である。「萃」は「萃聚(すいしゅう=あつめる・あつまる)」とか「萃美(すいび=よいものをあつめる)」、また「抜萃(=抜粋)」と使われように、「あつめる」の意味である。萃点では、すべての人々が出会い、異質なものが相互に交流または衝突することで影響し合う場が形成される。それは1903(明治36)年7月18日付の土宜法竜(どぎ・ほうりゅう)宛書簡の一部に見ることができる。この書簡には、仏教の「因縁」の因は因果律(必然的法則)のことであり、縁は偶然性であると指摘して、偶然性という概念を提出しその大切さも記されている。
南方マンダラ
http://www.minakata.org/より転載
鶴見和子女史はつぎのように説明する。
 宇宙には、事不思議、物不思議、心不思議、理不思議があると南方はいう。近代科学が比較的うまく処理しつつあるのは、物不思議である。数学や論理学は、事不思議を解くが、形式論理学では、複雑な事不思議を十分に解き明かすことはできない。心不思議、理不思議に至っては、近代科学ではまだわからないところが多い。(上図の)曼荼羅は、世界宇宙のすべての現象および物事の相互関連のみちすじ(理)を示したものであって、そのみちすじは無限であるが、「どこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることもなしうるようになっておる」という。
 どこをとっても、すじみちを辿ってゆけば、おなじ真理に到達するはずなのだが、辿りつきやすい道と、辿りつきにくい道とがある。図の中に、(イ)(ロ)(ハ)(二)・・・・・(ヌ)(ル)と記されているのは、(イ)がもっとも多くのすじみちのあつまるところで、ものごとの説明をするのに、最も重要なポイントである。(ヌ)(ル)は遠縁である。最も多くのすじむちのあつまる(イ)を、南方は「萃点(すいてん)」とよぶ。ここをおさえることが、謎解きのカギである。
 物不思議というのは、人間の意識と離れて存在するものの間の客観的法則をさしている。心不思議は、人間意識に関する法則である。南方が最も関心をもったのは、物と心との相互作用の結果として生ずると南方が定義した、事不思議にかんする法則である。
(鶴見和子著「南方熊楠」・講談社・昭和53年、78‐79頁)より引用

熊楠は1911年10月25日付け柳田國男宛書簡で、数学者・法学者・外交官であったライプニッツについて「ドクター・ユニヴァーサル(一切智)といわれし」と記した。ライプニッツの「グローバルナレッジ」という構想を彼は「一切知」と訳したのであった。翌1912年、45歳の熊楠は地方紙の連載原稿の末尾に「大東一切智 南方熊楠」と署名した。つまり、自らを「東洋の一切智」と称したのであった。「一切智」は、無辺無数の衆生の心とその能力の“一切を知る”という意味。

自分の与えられているものだけにフォーカスし、それが最大限の幸せまたは不幸だと決め付けて現状維持に慢心するなかれ。一切智を持ち本氣で考え、自分が想い描いた夢・希望・最高の人生をめざして一歩踏み出そう。

今日ある自分が、明日あるとは限らない。

今日が最後だとの想いを常に持ちたい。目の前の人に対して、苛立ちを一切無にして、やさしくなりたい方は、「今日が最後であったなら」とお考えになっていただきたい。


今年も多くの皆さまにこの『流れのままに』を読んでいただきました。
ありがとうございます。

大きな笑顔の良き新年を迎えましょう。

感謝

参照:音楽の捧げ物 より No3 各種カノンから『螺旋カノン』

12月10日に小沢昭一さんが昇天なさった。83歳であった。彼の俳号は「小沢変哲」で変な哲人という意味である。ラジオから流れる「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は子供の頃から聴いていて、随分と笑わせていただいた。

最愛の妻に看取られ…小沢昭一さん、先月16日のラジオ出演が最後の仕事に
(サンケイ 2012.12.11)
昭和の語り部また1人天国へ
 俳優でエッセイスト、小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため死去した。83歳だった。自宅で夫人の英子さん(79)に看取られ、亡くなった。小沢さんは1998年に見つかった前立腺がんが、2010年に頸椎(けいつい)に転移。入退院を繰り返し、10月22日に退院してからは自宅療養しながらラジオ番組の収録をするなど、本格復帰へ並々ならぬ意欲を見せていた。が、それもかなわず、帰らぬ人となった。(サンケイスポーツ)小沢昭一さん
(たばこをくゆらせ取材を受ける小沢昭一さん。お酒は一滴も飲めなかった)

 個性的な脇役として活躍し、日本の語り芸にも通じた小沢さんが、大好きだった自宅で最愛の妻に看取られ、逝った。
 関係者によると、9日深夜、英子さんが小沢さんの異変に気付いたが、手を施す時間もないまま息を引き取った。苦しんだ様子はなかった。
 小沢さんは1998年に前立腺がんが見つかり、2010年に頸椎への転移が判明。11年2月にがんを公表後、入退院を繰り返しながら闘病生活を続けてきた。が、今年8月に体調不良と体力低下で約10日間入院。9月13日に再入院したものの「自宅に帰りたい」という強い意志を主治医が尊重し、10月22日に退院して自宅療養に入った。
 自宅では、出版を予定していた俳句集や自ら撮影した写真集の打ち合わせをこなしてきた。今月17日にはTBSラジオ系の長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の収録を予定するなど、最後まで本格復帰に意欲をみせた矢先の死だった。この1カ月間は食も細くなり、点滴と流動食に近い食事をしていたという。
 先月16日放送の「−小沢昭一的こころ」への出演が最後の仕事に。自宅のベッドで声を収録した際には「早く元気になって、この心の空(くう)の穴を、みなさんと埋めていきたい、そう思うんであります。よろしく」と小沢節を披露した。
 小沢さんは早大在学中に俳優養成所に入所。卒業後に俳優座公演で初舞台を踏み、大学の同窓だった故今村昌平監督の紹介で54年に映画デビューを果たした。「幕末太陽伝」「にあんちゃん」など多くの映画に出演し、脇役中心ながら、鮮烈な存在感を示した。特に性風俗を描いた今村監督の「『エロ事師たち』より 人類学入門」で主演し、賞を総なめに。以降も名脇役として200本以上の映画に出演した。
 73年には「−小沢昭一的こころ」がスタート。軽妙洒脱な語りが人気を集め、放送1万回を超すギネス級の長寿番組に。また、浪花節や猿回しなどの伝統芸、放浪芸の収集にも力を注ぎ、69年に著作「私は河原乞食・考」を刊行。早大演劇科大学院に入学して芸能史研究を深めるなど、小沢さんならではの視点から放浪芸を見つめ直した。
 俳優にとどまらず、芸能と風俗を愛した昭和の語り部が、また1人天国へ旅立った。

葬儀・告別式
 通夜は14日午後6時から、葬儀・告別式は15日午前11時から、いずれも東京都新宿区南元町19の2、千日谷会堂で。喪主は妻、英子(えいこ)さん。

■小沢 昭一(おざわ・しょういち)
 本名同じ。1929年4月6日、東京都生まれ。旧制麻布中を経て、52年に早大文学部卒。俳優座養成所に通い、51年に初舞台。多くの映画に出演し、個性派俳優として、数々の映画賞や演劇賞を受賞した。82年には1人だけの劇団「しゃぼん玉座」を創設。一人芝居「唐来参和」を660回も上演した。94年紫綬褒章、01年勲四等旭日小綬章を受賞、07年菊池寛賞を受けた。http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121211/ent12121108160006-n1.htmより転載

戒名は「洽昭院澹然一哲居士」で、世の中に豊富な見識をユーモアと優しさを持って伝えた活眼の士という意味が込められている。

「絶対に若い人たちにあんな経験をしてはしくない」と『徹子の部屋』で語っていらしたのが耳に残っている。「戦争反対、戦争反対」と言うが、私たち民衆の大部分が戦争を体験していない。お二人の対話を通じて知ることができたのは、「戦争になると食物がなくなって、生きていけなくなる」こと、「戦地ではもちろんだが、私たちが暮らす平和な街でさえも空襲され、情け容赦なく人がバタバタ死んでいく」ことである。観念的に「戦争はいけない」と言うことは容易(たやす)いが、現実的な体験談も必要だ。戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな気配が出そうなときに止めないと、という小沢昭一さんの声が聴こえてくる。


閑話休題(それはさておき)


昨日は午後6時半にワイフとともに旭丘高校へ行き、一票を投じた。たとえ白紙投票であっても、これは積極的な意思表示であり、投票行動である。自分の意見・理想に見合う候補者や政党が登場するまでつづけたい。

一夜明けてみると、政権与党の民主党が惨敗し(230→57)、野党・自民党が大勝している(118→294)。これが投票に行った60パーセントの民衆の民意である。(集計する者の手が加えられていなければの話だが・・・) 「原発ゼロ」を掲げた日本未来の党は議席数を激減させ(61→9)、小選挙区で勝ったのは小沢一郎氏と亀井静香氏の2名のみであった。福島第一原発事故から2年近く経っても依然収束の目処が立っていないが、その改善がこの選挙の争点になることはなかった。

信頼の置けない候補者は軒並み落選させられた。卒原発や脱原発を掲げた「知識トーク」も通用しなかった。今回の自民党は、空約束は言わずに現実の厳しさへの対処を語る「見識トーク」が目立った。加えて、過去の自民党政治の責任を認め反省して詫びを入れ、再びチャンスを与えてほしいとお願いを繰り返した。威張った・知ったかぶりの物言いの上から目線ではなく、一から出直しますという謙虚な下から目線であった。

老子第六十六章が浮かんできた。この章は「後己」のタイトルが付けられることが多い。それは「己を後ろにする」 ということ。

大河や海がもろもろの河の王と言われるのは、常にその下流にとどまってへりくだってっているからである。 下流にいるからこそ河の王と言われるのだ。 だから、民衆の上に立とうとするならば、必ず謙虚な言葉遣いで民衆にへりくだる。民衆の先に立とうと思うと、必ず自分の身を民衆の後に置く。 よって、民衆は聖人が上にいても重荷とは感じず、先にいても邪魔だとは思わな。 結果、天下の私たち民衆は喜んで彼を指導者として認め、誰も嫌がることがない。他人を押しのけて指導者になるわけではないので、誰も彼と争うことができない。(拙訳による)
                     
「無為自然」 による 「不争謙下」 である。

謙虚であったからこそ、自民党は大勝できたのだ。そして、自民党の幹部の誰もが勝利に浮かれた顔を見せていない。これは再び政権政党になり、日本をリードしていくことになった彼らの現状認識の深刻さを示している。

冷静に見極めるなら自民党に政治能力を望むのは無謀なことで、彼らは既得権益グループの代弁者にして実践組織なのだから、私たち民衆の生活と福祉の課題解決は最優先事項ではなかった。うんざりしたはずの自民党にチャンスを与え返り咲かせた私たち民衆は、なんと性懲りも無い人々なのだろうか。
東電株がストップ高−自民政権奪還で柏崎刈羽の再開に期待
12月17日(ブルームバーグ):東京電力 株は17日、ストップ高のまま取引を終えた。原発維持に前向きな立場をとっている自民党が16日の衆院選で圧勝したことで、東電黒字化の必須条件となっている柏崎刈羽原発の再開に一歩近づいたとの見方が好感された。(後略)http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MF5Q1K6KLVR401.htmlより転載

にもかかわらず、私たち民衆は、もっと元氣に、もっと笑顔に、もっとやさしく、もっと明るく、歩むのだ。

大きな笑顔の良き日々を

感謝

【追記】
【原文】
江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不爭、故天下莫能與之爭。
【書き下し文】
江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王たる所以(ゆえん)の者は、その善くこれに下るを以(も)って、故に能く百谷の王たり。ここを以って民に上(かみ)たらんと欲すれば、必ず言(げん)を以ってこれに下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以ってこれに後(おく)る。ここを以って聖人は、上に処(お)るも而(しか)も民は重しとせず、前に処るも而も民は害とせず。ここを以って天下は推(お)すことを楽しみて厭(いと)わず。その争わざるを以って、故に天下能くこれと争うことなし。

「『お陰さま』は英語でなんと説明したら良いですか」と知人から尋ねられたことがあった。"Thank you." や "fortunately" に置き換えることはできた。しかしながら、『お陰さま』は自分の身辺状況が良い時に、これを相手や不特定の広範囲の対象に感謝する表現であり、「陰」は神仏などの偉大なものの陰でその庇護を受けたことをキャッチする力のことであることから、the connection above and beyond thanks and imagination(感謝したときに覚える何ものかとの縁)とした。
赤霧島
お陰さまで赤霧島をいただきました。ありがとうございます。


閑話休題(それはさておき)


哲学なきアメリカン」は、4度目の核実験を行ったにもかかわらず、北朝鮮のロケット報道の影に隠れてしまった。
4回目の臨界前核実験=「安全確保のため」と説明−米オバマ政権
(時事 2012/12/07-12:29)
 【ワシントン時事】米エネルギー省の国家核安全保障局(NNSA)は6日、西部ネバダ州で核爆発を伴わない臨界前核実験を5日に実施したと発表した。「核なき世界」を目標に掲げるオバマ政権による臨界前実験は2011年2月以来で、計4回目。米国の臨界前実験は通算27回になった。
 実験では、高性能の火薬を爆発させ、衝撃波によるプルトニウムの反応を確認した。NNSAはこれについて、保有する核兵器の安全性と有効性を維持するためだと説明。NNSAのダガスティーノ局長は「大統領が抱える核安全保障上の課題遂行に役立つ」と強調した。大統領は、世界に核兵器が存在する限り、核戦力を保持する方針を示している。http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012120700393

合衆国も役割を担っているから、大変だ。日本は先ず日本人が得することを考えてから、合衆国が一番得するように導いてやることができれば、ハッピーだ。

今の時代、私たち個人が絶対にしてはいけないことは3つある。デフレなので借金しない・威張らない・他者の短所を笑わないこと。そして、積極的にしたいことも3つある。自他にやさしく・自他に明るく・やさしさと明るさを常に拠り所とすること。

もし今日、嫌なことが身に降りかかったのなら、以前蒔いた悪い種が刈り取られたと受け取ると良い。そして、良いことが起こったのなら、以前蒔いた良い種が芽を出し成長し恩返ししてくれていると捉えよう。大切なことは、自分の機嫌をとりながら、自分をハッピーに導き、笑顔の毎日を過ごすこと。世界中のみんなが笑顔で生活できた時、この世は地上天国になる。the connection above and beyond thanks and imagination を大切にしましょう。

大きな笑顔の良き一週間を

感謝

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