流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一三年皐月

過去に囚われ、過去に拘(こだわ)るあまり、今現在のあり方をスポイルしている自分に氣づかない事は多々あろう。日本維新の会の若い共同代表・橋下徹(43歳)氏は、旧日本軍の慰安婦について「慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と発言した。もう一人の年輩の共同代表・石原慎太郎(80歳)氏は、「軍と売春ってのはつきもので、歴史の中の原理みたいなもの。お金をもうけるために一番安易な手段として昔からあった。好ましいものではないが、基本的に橋下氏はそんなに間違ったことを言っていない」と擁護した。彼らには、自分たちは事実を言っているという自負があるように見える。そして、彼らは慰安婦問題の解決策を提言し実現しようとしているわけではないことも明らかだ。

2007年3月に解散した組織があった。元「慰安婦」に対する補償(償い事業)、および女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題の解決を目的とした半官半民の「財団法人・女性のためのアジア平和国民基金(後に、アジア女性基金・Asian Women's Fund)」である。日本政府からの出資金と国内外からの6億円の募金によって運営されていた。償い事業は(1)国民からの拠金による「償い金」(一人一律200万円)、(2)政府予算からの医療・福祉支援事業(総額約5億1,000万円)、および(3)小泉内閣総理大臣のお詫びの手紙からなっていた。インドネシアの場合、同国政府が個人支給を認めなかったので、高齢者福祉施設を建設した。これまでにフィリピン、韓国、台湾の285人に約5億8,000万円を支給し、「女性のためのアジア平和国民基金」の償い金支給事業は終了した。事務局運営費が政府負担で、「償い金」を国民から集めるという方式をとったのは、日本人の元慰安婦や元看護婦、恩給年限に満たない兵士、東京大空襲等の民間人被害者に対して、日本政府による公式の補償がなされていないことが背景にあったと言われる。 (参考:2012年9月4日「氣の毒なこと」)

2007年3月6日の解散に当たり、村山富市理事長は以下のように挨拶した。
 基金の解散にあたり、私たちはこの場を借りてこれまでにお亡くなりになられた多くの元慰安婦の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また今日なお多くの元慰安婦の方々が老いと病いと消えざる記憶の重みに耐えて、生きておられます。この方々のために、アフターケアをおこなっていくことは、重要な課題です。基金としては、政府に対して、生存しておられる元慰安婦の方々が安らかに暮らして行かれるのを温かく見守っていただけるように、くれぐれもお願いするものです。
 女性の尊厳事業は、いかなる意味でも取り組みを中断すべきものではありません。基金が解散しましても、政府として、この面でのとりくみを継続してくださるようにお願いいたします。
 最後に慰安婦とされた方々のために醵金をして、国民的な償い事業を支えて下さった国民の皆様、こころのこもったメッセージをよせて下さった方々に衷心より感謝の気持ちを表します。皆様のご支持があったからこそ、私たちは12年間アジア女性基金の活動をつづけることができたのです。 アジア女性基金のなしとげたことは小さなことであったかもしれませんが、国民のみなさまの深いご支援なくしては、なしえなかったことです。その意味で、みなさまの示してくださった償いの気持ちが支えであり、すべての根源でありました。 この国民の気持ちが、アジアの方々に、さらに世界中の人々の心にとどまることを心より祈っております。
 ありがとうございました。 

ここに実現可能な慰安婦問題の解決策が見える。私たちは同じ人間として、人の痛みを分かって共有できるからこそ、黙ってはいられないのだ。

今月の1日に公表された33頁からなる「Japan-U.S. Relations: Issues for Congress(日米関係: 議会の争点)」は、
Emma Chanlett-Avery、Mark E. Manyin、William H. Cooper、Ian E. Rinehartの4名により連名で報告された。彼らのエッセイは合衆国の大学で間違いなくB+以上の評価を得ることができる分かりやすい内容となっている。

5頁から始まるの「Abe and History Issues」に、「Comfort Women Issue(慰安婦の争点)」(6頁)がある。彼らは、”The issue of the so-called comfort women has gained visibility in the United States, due primarily to Korean-American activist groups”.(いわゆる慰安婦問題が合衆国で表面化したのは、主に韓国系アメリカ人の活動家グループによるものだ)と教えてくれる。以下、その箇所のみを引用する。
Comfort Women Issue
 (前略)
 The issue of the so-called comfort women has gained visibility in the United States, due primarily to Korean-American activist groups. These groups have pressed successfully for the erection of monuments commemorating the victims, passage of a resolution on the issue by the New York State Senate, and the naming of a city street in the New York City borough of Queens in honor of the victims. In addition, former Secretary of State Hillary Clinton reportedly instructed the State Department to refer to the women as “sex slaves,” rather than the euphemistic term “comfort women.”(拙訳:いわゆる慰安婦の争点が合衆国で表面化したのは、主に韓国系アメリカ人の活動家グループによるものだ。これらのグループは、犠牲者を忘れさせないモニュメントを建設すること、 ニューヨーク州議会上院(62人)で慰安婦問題の決議案を採択すること、そして犠牲者に敬意を払いニューヨーク市クイーンズ地区(韓国系移民が多い居住区)のひとつの市道のネーミングを首尾よく押し進めた。さらに、伝えられるところでは前国務長官ヒラリー・クリントンは国務省に、争点の女性たちを婉曲表現の「慰安婦」よりも「性奴隷」と呼ぶように指示した。)http://www.fas.org/sgp/crs/row/RL33436.pdfより転載

前国務長官ヒラリー・クリントンが国務省に争点の女性たちを「性奴隷」と呼ぶように指示できたのは、日本人兵士たちがきちんと金を払った買春であったことを知らないか、売春宿の経営者が彼女たちを奴隷扱いしたのを旧日本軍による組織的な行動と間違って理解しているからだろう。この辺の理解とセマンティックスを持ったなら、「慰安婦よりも性奴隷」ではなく、「従軍慰安婦よりも慰安婦」と呼ぶように指示できたであろう。

「日米関係: 議会の争点」の公表から1週間後には、ニューヨーク州議会下院で慰安婦問題に関する決議が採択されていた。
NY議会下院「慰安婦」で決議
(NHK 5月16日 13時50分)
 アメリカ東部ニューヨーク州の議会下院が、いわゆる従軍慰安婦の問題について、「人道に対する罪に当たる」として、巻き込まれた女性たちの尊厳をたたえるとする決議を採択していたことが分かりました。
 これは、ニューヨーク州の議会下院に決議を提出したチャールズ・レヴィン下院議員が明らかにしたもので、決議は今月7日に採択されたということです。
 決議は、第2次世界大戦中のいわゆる「従軍慰安婦」の問題について、前例のない残酷なもので「人道に対する罪に当たる」として、巻き込まれたアジア各国やオランダなどの女性たちの尊厳をたたえるとしています。
 アメリカでは、2007年に連邦議会下院で慰安婦問題を巡って日本に謝罪を求める決議が採択されたほか、州レベルでも、ことし1月にニューヨーク州の議会上院でこの問題を巡る決議が採択されています。
 関係者は、ニューヨーク州の上下両院で決議が採択されたことで、今後こうした動きが全米の他の州にも広がることを期待していると話しています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130516/k10014617661000.htmlより転載

この「関係者」の中心が、韓国系アメリカ人の活動家グループなのはもはや周知である。よって、問題解決策のひとつとして、彼らの活動を収束及び終息させる施策が必要となる。「女性の尊厳事業は、いかなる意味でも取り組みを中断すべきものではありません」という助言を現実の政治に活用して、再び半民半官で国内外に向けて女性の尊厳事業を再構築・再開したい。

過去の解釈や事実探求よりも、今ある課題を解決し、人間を大切にする社会を築きたい。


閑話休題(それはさておき)


「日米関係: 議会の争点」で作者たちは”the so-called comfort women” と使うが、NHKも「いわゆる従軍慰安婦」と「いわゆる」という言葉を冠している。先の大戦中に「従軍慰安婦」という言葉は存在しなかった。1970年代に千田夏光によって造語された呼称であり、彼には著書『従軍慰安婦』(双葉社 1973年)がある。女性を慰安婦にするため戦地に強制連行したという主張が社会問題となった1980〜1990年代にこの呼称が社会に浸透したことで、慰安婦は「従軍慰安婦」と呼ばれるようになった。NHKと報告書の作者は 共に、Nominalist(ノミナリスト)である。

ノミナリストに関して、少し敷衍する。今は普通に誰でもが躊躇なく「天皇制」という言葉を使うが、由来は1932年のコミンテルンテーゼ(いわゆる32年テーゼ)で共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえ「天皇制」と訳したものであった。事実、先の大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、明治後期から敗戦までは「天皇制」と表現することは反体制であるとみなされた。現在、右翼や中道右派の方々が「天皇制は維持すべきだ」などと言っていたら、彼らはノミナリストではない。

今夜はもう少し、お付き合いください。

前出の橋下氏は26日にまとめた「見解文」で「世界各国の兵が戦場で女性を利用してきたことは厳然たる事実」と指摘した。それは間違っていないが、「ミスター橋下、あなたの仰った事は正しいです。しかし、私たちは、あなたたち日本人のように女性を“sex slaves” (性奴隷)としては扱っていませんよ」と言われる可能性はある。奇しくも同じ26日に、時事通信が以下の記事を配信した。

米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発−大戦中の欧州
(時事2013/05/26-19:29)
 【ワシントンAFP=時事】第2次世界大戦中、ノルマンディーに上陸しフランスに進撃した米軍兵士の多くが地元女性との性行為に躍起になり、トラブルの種になっていたことを示す研究書が米大学教授によってまとめられ、6月に刊行されることが分かった。ナチス・ドイツからの欧州解放の立役者となった米軍の影の部分に光を当てたものとして注目される。
 この本は、米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)が著した「兵士たちは何をしたのか−第2次大戦時のフランスにおける性と米兵」。米仏両国の資料を分析したもので、同教授によれば、米軍進駐後のフランスでは、公園や廃虚などさまざまな場所で米兵が性行為を行っている姿が見られた。レイプも多発し、数百件が報告された。米兵による買春もあった。
 フランス女性たちは既婚者でも米兵にしつこく誘われ、ある住民は「ドイツ占領中は男たちが隠れなければならなかったが、米兵が来た後は女性を隠さねばならない」と言っていたという。
 当時のある市長は駐留米軍幹部に苦情を寄せたが、問題は改善しなかった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013052600172より転載

このような記事が配信された背景には、合衆国軍にはきちんとお金を払い売春した者や恥ずべきレイプ行為に及んだ性犯罪者はいたが、軍が組織的に現地女性を「性奴隷」(=従軍慰安婦)にしたことはなかったと主張する目的があるかもしれない。

 現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。
 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。(小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」より)

慰安婦強制連行はなかった、謝罪はしない、請求権協定があるから補償はしない、などと言ってみたところで何の解決にもならない。アジア女性基金が解散した今、日本の民衆として、日本国政府として、基金の目的を継承発展させることも視野に入れたい。私たちがこのようなかたちで償うのは、「従軍慰安婦」を組織したことを認めたからということではなく、互いに仲良く和を大切にして共生していきたいという善の精神の発露であることも伝えていきたい。加えて、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、大日本帝国は人種差別の撤廃を明記するべきという人種的差別撤廃提案(Racial Equality Proposal)を主張したが、強硬に反対され裁定で否決されたことも伝えたい。これは、国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した世界最初のプレゼンであった。私たち日本人及び日本は、今も昔も人種差別撤廃を望み、人間に対するある種の平等意識を持っている。万葉集の一般人のやまとうたが象徴しているように、天皇だ庶民だと言ってはみても、所詮同じ感情・感性をシェアできる同志であり、天上も天下も同一空間にあるという意識。つまり、みんな同じ人間だという直観と、みんなが自分と同質の人間性をシェアしているという感動があり、これこそが言霊(ことだま)言語空間のパワーに違いない。私たち日本の民衆は、自分たちだけが特別なのだということではなく、世界の人々がみな共生しながら未来を共に創造していく必要があるのだということを魂レベルで知っている。改めて、肝に銘じよう。最善の今を生きるために、みんなで一歩踏み出したい。(参考:「氣の毒なこと」)


静かな夜に。 感謝

10日午前11時頃、北海道神宮の前を車で通った折のことであった。フト、お参りさせていただこうと思い立ち、車を停めた。午前の太陽光がSunSunと降り注ぐ好日である。台湾からの観光客を始め、多くの参拝者で賑わっていた。いつものように手水舎にて手を洗い身を清める。もし、境内近くの自然の川や山の湧き水を利用できるなら嬉しい。しかしながら、今は境内に人工的な手水舎を設け活用するのが一般である。北海道神宮も例外ではない。伊勢神宮は五十鈴川の御手洗場で口と手を清めることができ素的だ。古来より、水は「罪(つみ)」や「穢(けが)れ」を洗い流すものと考えられて来た。

口と手を清め、空を仰ぐと、鯉たちが太陽の下、悠々と泳いでいた(写真)。日本の5月の歌といえば、『背くらべ(せいくらべ)』、『茶摘(ちゃつみ)』、そして『こいのぼり』が知られている。面白いことに、「こいのぼり」は2曲ある。

5月10日@北海道神宮
こいのぼり 作詞:近藤宮子/作曲:不明

やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとおさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

みどりのかぜに さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる

こいのぼり 作詞:不詳/作曲:弘田龍太郎

甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

開ける広き 其の口に
舟をも呑(の)まん 様見えて
ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり

百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり


閑話休題(ソレハサテオキ)


おみくじを引いてみた。

さびしさに 何とはなくて 来て見れば
うれし桜の 花ざかりかな


とあり、裡面の「神の教」に次のように記されていた。
 いつもにこにこ感謝の氣持ち、家もあかれば、身もひかる
食う事着る事、いや生きて居る事が、自分ひとりの力でない。天地に充ちみちた神様の御かげ、社会の人々のなさけの賜物である。感謝せねばならぬ。感謝の心が湧いた時、身も心も明るくなる。其の思いの消える時、不平、不満で心が暗くなり、世の中が狭くなる。

さあ、一週間の始まりです。
大きな笑顔で、何事にも心静かに参りましょう。

感謝
平成25年5月吉日

「IT革命(information revolution)」という言葉が生まれ、30年を超える。情報革命が起こった社会は、工業社会から情報社会に移行すると予言され、現実のものとなった。今、私たちは好きな時に、好きな場所から、瞬時に情報を発信・更新する自由を手にしている。しかしながら、information revolution に私たちが期待したのは労働時間の減少による、人間を大切にする社会の到来であった。幸か不幸か、私たちは自らが発信した情報とその更新を自己実現だと思い込んでしまう幻想社会を創り出した。その情報やヴァラエティに富んだ情報端末機器は私たち民衆を虜(とりこ)にしているが、それは人間そのものの大切さを希薄にする「国体革命(formation revolution)」であったのかもしれない。

被曝エリアの児童の40%以上に甲状腺異常が確認された。それは他人事ではなく、いづれ近隣都府県に波及することは容易に察知できる。先月、700キロのプルトニウムを含む10トンのMOX燃料が英・仏軍による警備体制下で日本に向けて輸送された。これは運転中の高浜原発第3号機(福井県)で使用される。断層とプルトニウムの組合せに向き合うならば、核物質の拡散を阻止したいと思う防衛意識が芽生えるのが自然だ。今も多くの国々が日本製食品の輸入禁止措置を取っている。他国が輸入禁止している食物を食べても良いのだろうか、という懐疑の精神が働き食材のトレイサビリティーに無関心ではいられないはずだ。にもかかわらず、私たち民衆の関心はスポーツ中継とバラエティ番組に集中させられ、売る側・与える側にいる科学者と技術者とメディアは無関心を貫いている。今後は、人間が何よりも大切だといういうライフスタイルを顕現する 「information evolution(情報改善)」にシフトしたい。


こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日に。

感謝

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