流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一四年弥生

沖縄名物だと思って食していた「海ぶどう」が、ベトナムで養殖されていたとは・・・。
チト、驚いた。沖縄産のシェアはどれくらいなのだろう。
日本向けに養殖されている「海ぶどう」
日本向けに養殖されている「海ぶどう」

“原発輸出”最前線のベトナムの村を歩く
ズン首相「着工延期」発言のなぜ
木村 聡 :写真家/フォトジャーナリスト
(東洋経済 2014年03月20日)
(前略)
日本とかかわりを持ったベトナムの海
 珊瑚礁からの白砂がコバルトブルーの海を抱え込む。自然の地形が作った穏やかな入り江では、あの海藻の天然養殖が行われていた。ベトナム語で「ロン・ニョウ(ブドウ海藻)」。緑のつぶつぶが房のように並ぶ、沖縄特産としてわれわれも知る「海ぶどう」である。
 名前の言い回しが似ているのは偶然ではない。もともとベトナムには海ぶどうは自生しておらず、種を沖縄から持ち込んで養殖が始まった。初めて目にする珍しい海藻に、ベトナム人は日本での通り名を当てたわけだ。むろんベトナムで食べる習慣はない。今のところすべて日本への輸出用である。
 場所はベトナム中南部のニントアン省。省都ファンランから車で30分ほど走った、南シナ海に面した静かな漁村である。にんにくや小玉ねぎといった規模の小さい砂地の畑を抜けると、青い空の下にひたすら美しい砂浜と海の風景が広がる。
 以前からワカメなどの海藻養殖が行われていたこの土地に、新顔が登場したのは2年ほど前のことだ。汚染のないきれいな海は、ミネラルなどの栄養分も豊富で、手間をかけずとも良質な海ぶどうが育った。国内消費や中国に輸出していたほかの海草類より、日本向けの海ぶどうは高値がつくのだという。
 さらに近年、ここにはもうひとつ、日本と深くかかわらざるをえないものが生まれた。海ぶどうの生産現場からほんの数キロ先にあるタイアン村。ここはベトナム初の原子力発電所の建設予定地であり、しかもその建設は日本が請け負う。日本が初めて行う原発輸出のまさにその現場なのである。
 豊かな自然環境を利用し、海ぶどうを日本に輸出するベトナムの美しい海辺。お返しに日本からは、原発が輸出されてくる。(後略)http://toyokeizai.net/articles/-/32444より転載


閑話休題(それはさておき)


地の恩を感じる産業に見るサウンド・マネジメント(健全運営)。
イタリア農業の「グリーンドリーム」とは?
(日経 2014.3.25 14:15)
 経済危機にあえぐイタリアで唯一成長を続けている分野が、農業だ。特に好調なのが有機農業で、輸出が増加しているだけでなく、イタリア国内でも健康や環境のために選択する人が増えている。
グリーンドリーム
 農業の総売上高と輸出が増加している。大学の専攻でブームになっていて、若者や女性にとっても大きなチャンスとなっている。農業は人気があり、イタリア経済を牽引する存在だ。都市のカオスや汚染から遠く離れた美しい田園風景が、彼らにとって理想的な環境だというのもあるだろう。
 かつて、ヨーロッパの人々にはアメリカンドリーム(チャンスに満ちた新しい世界で身を立てる希望)があったが、現在その夢は消え去ったようにみえる。経済危機とグローバル化により、どこかに脱出することさえ無駄であるように思える。いずれにしても、非常に困難な時代だ。
 反対に、田舎に戻るという「グリーンドリーム」が、よりいっそう堅固な基盤の上に根を下ろしている。なぜなら、農業は極めて時局に合ったビジネスであり、多くの人々にとって失業や解雇に対する解答となるからだ。

掛け値なしの成長と記録的な輸出
 農業はしばらく前から唯一の成長分野だ。2013年の最初の四半期に関するイタリア国立統計研究所(ISTAT)の最近のリポートは、前期比においても(+4.7%)、前年同期比においても(+0.1%)、付加価値の増加を記録することのできる唯一の分野であることを裏づけている。そしてこれは、食料消費が3.7%減少しているにもかかわらずの結果だ。
 「Short-Term Agricultural Outlook 2014」、すなわち短期展望についてのリポートによると、イタリアの穀物の収穫は、2013年は10.3%の成長をもたらしたのに対し、年末には12.2%の成長となるだろう。輸出量は3,700万tという記録的レヴェルに達するかもしれない。
 牛肉や豚肉の生産も、14年には上昇が予想されている。乳製品の分野もまた成長している。しかし、本当のブームが予想されるのは15年にミルククオータ(生乳生産割当制度)が終了して、世界市場への輸出(特に粉ミルクとチーズ)の新しいチャンスが生まれるときだろう。

本当のチャンスは有機農業にある
 経済危機にもかかわらず、イタリア有機農業協会(AIAB)のデータによると、イタリアでは有機農産品の消費が8.8%増加したことが記録されている。輸出ではヨーロッパでトップで、約5万人が生産に携わり、120万haの土地が利用され、総売上高は3億ユーロ以上となっている。
 イタリア産の有機農産品を購入するのは主にドイツ人だが、国内需要も、経済危機にもかかわらず著しい成長率を記録していて(年平均+7.8%)、それまで(08〜09年は+3%)よりも多い。専門店や大規模チェーンストア、農業企業による直接販売、グループ購入、レストラン、その他の直販ルートの総売上高は、約20億1,100ユーロにも上る。
 EURISPESの調査がこれを裏づけている。従来の食料消費が停滞したままなのに対し、有機農産品は成長している。70%のイタリア人が少なくとも20%の有機農業由来の製品を購入すると述べている(71%が健康のため、46%が環境のため、40%が嗜好から、20%が動物のよりよい生活のためだと答えている)。そして77.6%のイタリア人が「イタリア産」を選択していて、46.4%がしばしばDOP(保護原産地呼称)、IGP(保護地理表示)、DOC(統制原産地呼称)の製品を購入している。

女性にもポストがある
 農業は、伝統よりも成果を重んじるのかもしれない。3月8日の女性の日にイタリア専業農家連盟(COLDIRETTI)が指摘したように、イタリアには女性の経営する農業企業が227,894あり、全体のほぼ3分の1を占めている。

農業スタートアップに対する地方自治体の支援
 しかし最も興味深いのは、農業が支援を受けている活動だということだ。多くの地方自治体が、農業や同種の事業にわかわる中小規模の活動を援助している。以下のリンクに、詳細が書かれている(イタリア語):ロンバルディア、ピエモンテ、ヴェネト、リグーリア、エミリア=ロマーニャ、ウンブリア、ラツィオ、プーリア。http://sankei.jp.msn.com/wired/news/140325/wir14032512510000-n1.htmより転載

「苦い米」(1952年)というイタリア映画があった。これはイタリア北部の水田地帯の稲作労働者のストーリー。そこでは昔から米がたくさん取れ、その米をお粥に似たリゾットにして食べてきた。今風にいう地産地消の典型。その米に関して、吉野家はサウンド・マネジメントを問われている。それは日本ではなく、香港でのマネジメントだという。チト、びっくり。
香港吉野家「福島産なし」 全店にポスター
(東京新聞 2014年3月29日 朝刊)
吉野家@香港
【香港=共同】大手牛丼チェーン、吉野家の香港にある全六十一店舗で「香港吉野家は、福島の米や食材を一切使っていません」として「良心的な品質、安全食材」と主張するポスターを張り出していることが二十八日分かった。福島県の担当者は「残念としか言いようがない」と話している。
 吉野家ホールディングス(HD、本社東京)は昨年十月、福島県の農家と共同出資で米などの生産を手掛ける農業生産法人「吉野家ファーム福島」(同県白河市)を設立し、復興支援につなげる考えを表明した。
 しかし香港では同年末ごろから「吉野家は全ての米を福島産にすると発表した。がんになることを恐れないなら食べに行って」などと、吉野家を中傷する誤った情報が携帯電話のアプリで拡散した。香港吉野家によると、ポスターはこれに対応するため作製された。http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014032902000150.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitterより転載

日本の1 人当たりGDP推計額は大幅に円安が進んだ結果、イタリア・スペインに近づいた。
世界GDP予想
http://nikkan-spa.jp/573260/mane_140128_02より転載

今日は、もう一つ。ロシア国営メディアが「浮説」としながらも、深層に肉薄した内容を手短に伝えた。
不明ボーイング機、米国の指導でディテゴ・ガルシアに着陸?
(VOR 30 3月 2014, 11:46)
 失踪したマレーシア航空のボーイング機は米国に捕まえられ、ディエゴ・ガルシアの米軍基地に着陸させられたとの浮説が流れている。
 同基地は重量級爆撃機を収容可能なものである。
 それによれば米国は、乗客の中の20人の中国人に目をつけていた。彼らは中国の研究者だった。最近彼らは飛行機を100%見えなくする技術で特許をとっていた。この技術の創案者を確保するために米国がボーイングを掠奪した可能性も排除されない。
Vesti.ru http://japanese.ruvr.ru/news/2014_03_30/270431538/より転載

見られると撃沈・撃墜されてしまう。このような時代には、隠す事が高度なミリタリー・テクノロジーとなる。

さあ、何が起ころうとも沈着冷静に対処しましょう。
大きな笑顔で善行を。

SunSunの朝陽を浴びながら  感謝

苦い米

刑事裁判には「疑わしきは罰せず」(in dubio pro reo)又は「疑わしきは被告人の利益に」(in doubt, for the accused)という原則がある。これは、刑事裁判においては検察側が挙証責任を負うが、被告人が不利な内容について被告人側が合理的な疑いを提示できた場合には被告人に対して有利に(=検察側にとっては不利に)事実認定するということ。日本の再審では1975年の「白鳥決定」からこの原則。それ以前は、真犯人が名乗りでない限りは裁判をやり直す再審請求は叶わぬ願いであり、開かずの扉とも呼ばれていた。「袴田事件」では、科学捜査の一部であるDNA鑑定の精度向上と刑事訴訟法の改正による法運営のあり方の変化が寄与した。

本件は1966年6月に発生した、静岡県清水市(当時)のみそ製造会社専務及びその家族計4人が全焼した家屋から遺体で発見された事件。すべての遺体に多くの刺し傷あとが認められ、県警察本部は8月、社員の袴田巌氏(当時30歳)を強盗殺人および放火などで逮捕した。9月に静岡地方検察庁が静岡地方裁判所(1審)へ起訴し、68年9月に死刑判決が下された。袴田氏は初公判から起訴事実を全面否認。東京高等裁判所への控訴、最高裁への上告を行うが、76年5月に控訴が棄却、80年11月に上告が棄却され、彼の請求は受け付けられずに、死刑判決が確定した。地裁段階から、袴田氏は冤罪ではないのかという声が上がり、確定後も裁判のやり直しを求め続けた結果、昨日の裁判のやり直しを認める決定を手にした。

1審では捜査で取られた自白調書45通のうち44通を取り調べに違法性があると断じて証拠採用しなかった。日本国憲法は「強制,拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留 若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない」(38条2項)、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」(38条3項)としており、1審判決は「強制的、威圧的な影響を与えており任意性がない」「極めて長時間にわたり」「取り調べ、自白を得ることに汲々として、物的証拠に関する捜査を怠った」と非難した。しかし検察側が出してきた「5点の衣類」という証拠により、「自白がなくても有罪は明らか」としてしまう。控訴審ではズボンが着目され、弁護側の「小さすぎて被告にははけない」という検証・確認に対し、検察側は「ズボンはみそに漬かっていたので縮み、被告も太った」と対抗した。妙なことだが、高裁・最高裁ともに弁護側の主張を退け、検察側の主張を認めたのであった。

白半袖シャツ右肩に付着したB型血液が袴田氏のものと一致するかどうかも争点となった。1981年からの第1次再審請求で「鑑定不能」とされたDNA型鑑定の精度は、「1000人に1.2人」別人の可能性を示すレベルであった。しかしながら、2008年からの2次再審請求の頃には、「一致」が別人である可能性は4兆7000億分の1までの精度になっていた。弁護側推薦の鑑定人が「一致しない」と判定できるほどにDNA鑑定の精度は向上していた。だから検察側推薦の鑑定人も「完全一致するDNA型は認められない」とした。

裁判員制度の導入をにらみ、刑事裁判の充実・迅速化を図るため、2005(平成17)年11月の改正刑事訴訟法施行で公判前整理手続が導入され、刑事訴訟法316条の2以下に規定された。裁判員制度では対象となる刑事裁判全てがこの手続に付される。この法改正により弁護側も検察が持つ証拠を開示できる権利が認められた。本件では、袴田氏の供述や元社員の証言など新たな証拠が開示された。

本件を契機として、死刑制度の在り方を再考したい。死刑が執行されてから、間違いと氣づいても時すでに遅し。国家権力が無実の罪を誰かに着せることはあってはならない。
袴田事件の再審認める「証拠ねつ造の疑い」
(NHK 3月27日 12時10分)
 昭和41年に静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、静岡地方裁判所は死刑が確定していた袴田巌元被告の再審=裁判のやり直しを認める決定を出しました。
 また、裁判所は「捜査機関が証拠をねつ造した疑いがあり、無実の人を陥れて長期間拘束を続けたことになる」と当時の捜査を厳しく批判し、釈放を認める異例の決定を出しました。
 昭和41年、今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務の一家4人が殺害された事件では、当時、会社の従業員で強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌元被告(78)が無実を訴え、弁護団が再審=裁判のやり直しを求めてきました。
 最大の争点は事件の1年2か月後に現場近くのみそタンクで見つかり、判決で元被告が着ていたと認定された「5点の衣類」が本人のものかどうかという点でした。
 決定で静岡地方裁判所の村山浩昭裁判長は「元被告が犯行時に着ていたとされた、シャツの血液が、本人のDNAと一致しないという鑑定結果は信用できる。ズボンはサイズが合わない可能性があるほか、衣類の色も長期間みその中に隠されていたにしては不自然だ」と指摘しました。
 そして「犯行に使われたとされた衣類は、捜査機関によるねつ造の疑いがある」と結論づけて再審を認める決定を出しました。
 また、裁判長は「人権を顧みることなく元被告を犯人として追及し、無実の個人を陥れて、長期間、拘束を続けたことになる」と当時の捜査を厳しく批判したうえで、「これ以上の勾留は正義に反する」と指摘して、袴田元被告の死刑の執行と勾留を停止し、釈放を認める異例の決定も行いました。
 静岡地方裁判所が再審の開始を認める決定を出したことについて、静岡地方検察庁の西谷隆次席検事は「予想外の決定であり、本庁の主張が認められなかったのは誠に遺憾である。上級庁とも協議のうえ、速やかに対応したい」と話しています。
 また、静岡県警察本部は「決定内容を聞いていないのでコメントは差し控えさせていただく」と話しています。

死刑囚の再審認める決定は6件目
 死刑囚の再審を認める決定は、9年前・平成17年の、いわゆる「名張毒ぶどう酒事件」以来、6件目です。
 死刑が確定した事件で初めて再審が認められたのは、昭和25年に香川県で63歳の男性が自宅で殺害されて金が奪われた「財田川事件」です。
 その後も、昭和23年に熊本県で夫婦2人が自宅で殺害された「免田事件」。
 昭和30年に宮城県で住宅が全焼して一家4人が遺体で見つかった「松山事件」。
 昭和29年に静岡県で当時6歳の女の子が連れ去られて殺害された「島田事件」があります。
 この4つの事件は裁判をやり直した結果、いずれも無罪の判決が言い渡されました。
 一方、昭和36年に三重県で女性5人が殺害された「名張毒ぶどう酒事件」は、平成17年にいったん再審を認める決定が出た後、別の裁判官が取り消しています。
 この事件については、その後再審を認めない判断が最高裁判所で確定したため、弁護団が新たに再審請求を行っています。

再審認められるケース相次ぐ
 ここ数年、科学的な鑑定や新たに開示された証拠が決め手となって殺人など重大な事件で再審が認められるケースが相次いでいます。
 このうち、無期懲役が確定した事件では平成17年に茨城県で1人暮らしの男性が殺害された「布川事件」で男性2人の再審が認められたほか、平成21年には栃木県で当時4歳の女の子が殺害された「足利事件」で再審が認められました。
 そして、おととしには平成9年に東京電力の女性社員が殺害された事件で、ネパール人の男性に対する再審が認められ、いずれもやり直しの裁判で無罪が確定しています。
 足利事件と東京電力の女性社員が殺害された事件では、新たにDNA鑑定が行われて別人のDNAと判明したことが大きな理由となりました。
 また、布川事件では検察が開示していなかった無罪をうかがわせる当時の証言が明らかになったことなどが再審の決め手となりました。

死刑囚の勾留停止は初めて
 死刑が確定した事件について再審開始決定の段階で、死刑囚の勾留を停止し、釈放を認める判断を裁判所が出したのは今回が初めてです。
 法律では再審開始の決定をしたときには裁判所は刑の執行を停止することができると定められています。
 しかし、死刑囚の場合、停止する対象は死刑の執行で、勾留については明確な規定がありません。
 これまで確定した死刑判決が再審で無罪となった4つの事件でも勾留されていた人が拘置所から出たのは再審の裁判で無罪判決が言い渡されたあとでした。
 今回、裁判所が「これ以上、勾留を続けることは耐え難いほど正義に反する」と強い姿勢を示し、袴田被告の釈放を裁量で認めた決定を検察が受け入れるのかどうか焦点となります。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140327/k10013280161000.htmlより転載

本件発生の直後、警察は「ボクサー崩れで身持ちも悪く、妻と別居中」の袴田氏に目をつけたという報道があった。それを正当化するためにDNA鑑定(科学捜査)という演出が行われた。本来は、そのような警察の捜査(操作)姿勢に、ジャーナリストは懐疑の精神を発揮すべきであった。警察・マスコミ・検察・裁判所の協働関係がみえてくる。警察は問題ある逮捕をし、マスコミは逮捕を疑問視することなく報道し、検察は起訴し、裁判所は死刑の判決を出した
再審決定「KO勝ち」=袴田事件でボクシング関係者
(時事 2014/03/27-11:46)
 袴田事件で再審開始が認められたのを受け、元プロボクサー袴田巌死刑囚(78)を支援していたボクシング関係者は「KO勝ちの気分だ」と喜びを爆発させた。

再審開始「予想外」=袴田事件で静岡地検
 日本プロボクシング協会は支援委員会を設置し、署名活動を行うなど同死刑囚を支援。後楽園ホールのリングサイドに「袴田巌シート」を設け、釈放されたら観戦できるようにしている。
 ボクシングの元世界ジュニアミドル級王者輪島功一さん(70)は静岡地裁で「やったねという気持ち。袴田さんをボクシング会場に連れて行きたい。気持ちを高揚させてほしい」と顔を紅潮させて語った。
 同協会の支援委員を務める真部豊さん(45)も再審決定を見届け、「瞬間まではどきどきしたが、KO勝ちした気分。シートに座ってもらう日が目の前に見えてきて興奮している」と語った。http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014032700372より転載

大きな笑顔で邪氣を払って参りましょう

SunSunの朝陽を浴びながら

感謝
真珠

先の大戦の激戦地サイパンや硫黄島などを、自らのご意志で訪れた今上天皇と皇后の魂には、たぶん、約束ごとのようなメッセージが天界から伝えられている。それは、2011年3月11日以後のおふたりの行動を見ても、明らかとなるだろう。
天皇皇后両陛下 沖縄訪問の方向で調整
(NHK 3月18日 19時45分)
 太平洋戦争中、沖縄から九州に向かう学童疎開船の「対馬丸」が、アメリカ軍に撃沈されて70年になることし、天皇皇后両陛下が悲劇を伝える記念館に足を運ぶため、沖縄県を訪問される方向で調整が進められていることが分かりました。
 「対馬丸」は太平洋戦争中の昭和19年8月22日、疎開する学童らを乗せて沖縄から九州へ向かう途中、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、確認されただけでも977人の15歳以下の子どもたちを含む1500人近くが犠牲になりました。
 関係者によりますと、沈没から70年になることし、両陛下が悲劇を伝える記念館に足を運ぶため、沖縄県を泊まりがけで訪問される方向で調整が進められているということです。
 訪問の時期は6月下旬を軸に検討が行われていて、両陛下は10年前、那覇市に開館した「対馬丸記念館」を訪れ、対馬丸の生存者や遺族にも面会するほか、糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」なども訪ねられる見通しです。
 両陛下の沖縄訪問は、おととしの「全国豊かな海づくり大会」以来2年ぶりで、皇太子夫妻のときからですと10回目になります。
 両陛下は、戦後50年に当たる平成7年に沖縄や広島、長崎などを回り、その10年後には太平洋の激戦地サイパンも訪れていて、戦後70年を翌年に控えた沖縄への訪問も、戦争と向き合い、平和への思いを表されるものとなりそうです。

両陛下対馬丸への思い
 戦争中に学童疎開を経験し、対馬丸が撃沈された昭和19年当時、小学生だった両陛下は、対馬丸の悲劇に強く心を寄せられています。
 対馬丸は、大正初期に建造された民間の貨物船で、太平洋戦争中は旧日本軍に徴用されて軍事輸送に使われました。
 終戦前年の昭和19年7月、本土防衛の重要拠点と位置づけられていたサイパンが陥落すると、政府は沖縄での戦闘に備えて、県内の子どもや女性、それにお年寄りたちを疎開させることを決め、対馬丸は疎開船としての役割も果たしました。
 8月22日、対馬丸は国民学校の学童などを乗せて九州に向かっていましたが、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、確認されただけでも977人の15歳以下の子どもたちを含む1500人近くが犠牲になりました。
 沖縄では昭和20年3月までの9か月間で、九州や台湾などにおよそ8万人が疎開しましたが、延べ187隻の疎開船のうち、撃沈されたのは対馬丸だけでした。
 戦争中はかん口令が敷かれ、表立って被害を語ることはできませんでしたが、戦後、那覇市に慰霊碑が建てられ、遺族たちが毎年、対馬丸が撃沈された8月22日に慰霊祭を行ってきました。
 平成9年には、海底に沈んでいた対馬丸の船体が発見され、翌年、2回にわたって政府主催の洋上慰霊祭が行われました。
 遺族たちは船体の引き上げを求めましたが、技術的に困難だとの結論が出され、代わりに対馬丸の悲劇を伝えるための記念館が那覇市に建設されました。
 記念館では、犠牲になった人たちの遺品が展示されているほか、対馬丸が撃沈された際に生き残った人たちが語り部となって、当時の体験を伝えています。
 天皇陛下は、平成9年12月の記者会見で、53年ぶりに海底で発見された対馬丸の姿を数日前テレビで見たことに触れたうえで、「私と同じ年代の多くの人々がその中に含まれており、本当に痛ましいことに感じています」と述べられました。
 この年には、「對馬丸見出ださる」と題して「疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされけり」という短歌も詠まれています。
 また、皇后さまも、戦後60年を迎えた平成17年、71歳の誕生日にあたっての文書で、「対馬丸の撃沈で亡くなった沖縄の学童疎開の児童たちも、無事であったなら、今は古希を迎えた頃でしょう。遺族にとり、長く、重い年月であったと思います」とお気持ちを述べられています。
 両陛下は、対馬丸が見つかった翌年の平成10年、政府主催の洋上慰霊祭が行われた際、お住まいの御所で黙とうをささげ、おととし沖縄を訪れた際には、宿泊先のホテルのロビーで出迎えた関係者とことばを交わすなど、機会あるごとに対馬丸への思いを示されてきました。

両陛下の沖縄訪問
 天皇陛下はこれまで、皇太子として5回、即位後に4回、皇后さまと沖縄を訪ねられていて、今回の訪問が10回目となります。
 最初の訪問は昭和50年。
 沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁として開会式に出席されるためでした。
 戦後30年を経てもなお県民に複雑な感情が残るなかでの訪問で、女子学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられた際には、訪問に反対する過激派のメンバーが火炎瓶を投げつける事件が起きました。
 昭和62年には、病気療養中のため訪問がかなわなかった昭和天皇の名代として、沖縄で開かれた国体の開会式に出席されました。
 即位後の平成5年には、全国植樹祭に出席するため、歴代の天皇として初めて沖縄を訪れ、平成7年にも戦後50年の「慰霊の旅」で再び沖縄を訪ねられました。
 その後も、平成16年には「国立劇場おきなわ」の記念公演を鑑賞するため、また、おととし11月には全国豊かな海づくり大会に出席するため、沖縄を訪問されています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140318/k10013071261000.htmlより転載

天皇家の仕事は、日本国憲法第1条に記された「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴統合の象徴で」あるよりも、日の本たる日本(大御體:おおみからだ)と私たち民衆(大御宝:おおみたから)のために祈念し言動にそれを現すこと(大御心:おおみこころ)。すなわち、政(マツリゴト)である。マツリは「真釣」であり、「魔釣」でもある。政を司る者には、真理を釣りあげる能力と、魔を見極めて釣り出す能力の二つが必要とされる。真の政をする能力とは、天道よりは魔道を選択し歩もうとする特性を持った私たち人間が形成する社会集団から魔的なものを釣り出し、排除していくこと。だから、魔的なものを学び乗り越えた者でなければ政治はできない。現代の世界の政治家は欲望の調整係レベルで、本来の政治をしていない。ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolo Machiavelli:1469〜1527)は、『君主論(Prince)』に「君主は、悪しきものであることを学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、 会得すべきなのである」と記した。政治は魔的なものであるが、正しく学び知ることができるのなら、魔に負けて服従せずとも、政治はできる。

東洋における統治を成り立たせる根本的なルールは、天の意を受けて、この世に理(ことわり)による道をつくること(道理)にある。それは、日の本(日本)では、言霊(人間の心の先天構造)の原理を継承・保持する「アマツヒツギ(皇位)」と呼ばれたり、人間精神の原理に基づき世界人類の心を統一する「スメラミコト(天皇)」と呼ばれたりする、天によって選ばれ送り出された身魂(みたま)の持主にアサインされた義務である。見極めのポイントは、利他の精神の有無。東洋の精神は、「世の為、人の為」という人間本来の魂のあり方を今生で追求するように、福化(進化)してきた。それは、経済という言葉が「経世済民」に由来することにも示されている。これが、マツリゴトたる政治のエッセンス。しかしながら、昨今の欲深な資本主義の前に「経世済民」は消えてなくなりそうだ。昔話を紐解いて、『花坂爺さん』の意地悪爺さんや『舌切り雀』の大きいつづらを開けて しまったおばあさんなど、強欲に駆られた人物と社会の行く末を魂にリライトする(想いだす)ことが必要。進化し続ける智慧である。

誰かが救済してくれるという救世主願望もあろうが、人間はみな神の子であるということを知ったなら、自分という小宇宙の救世主のライセンスは自分以外には与えられていないことに氣づく。さもなければ、自分の欲望のためだけに生きるようにプログラムされがちな現代文明の迷子になってしまう。2012年には、精神世界の情報にアクセスした人々が、本来は(キリストの)昇天を意味したアセンション(ascension)という言葉を惑星地球の次元上昇の意味で広め、古代中米に栄えたマヤ文明の暦が区切りを迎え「マヤの予言」で世界が滅びるとされた12月21日の終末予告とリンクさせ、日の本の民である私たち日本の民衆とは無縁のスピリチュアル・ビジネスを展開した。これは、日の本を目覚めさせないディスインフォメーションにも見えた。物質世界の対義語としての精神世界の情報が輸入物と過去の人間霊のストーリーに物質化された時代でもあった。

進化するという覚醒への道を歩む人間の要諦は、精神的な能力が限りなくブッタやイエスに近いということ。この能力を持った時、私たちは自分自身の中にブッタを再受肉化し、イエスを再受肉化して、彼らの段階を乗り越えた新しい舞台に立つことになる。肉体を持ったひとりのブッタやひとりのイエスが私たちの目の前に現れるのではなく、彼らと同じ能力を持って次のステージへ進む人が何百、何千、何万も現れる。日本の人口1億2,000万人の0.1%の12万人、1,000人に1人(1厘)が目覚め、そこへ神や神々が情報を伝えてきたなら。それこそがお社(オヤシロ)であり、本物の神社。ご自分の魂が天界からのコンタクトを感知したなら、人間として健全であることを心掛け、他者の不幸や悲惨へ関心を持つ利他の精神、自らが未来を切り開いていくフロンティア・スピリッツを意識し福化したい。
007白山連邦
一昨日、小松市に暮す友人のEI女史が送ってくれた雪を頂いた白山。


大きな笑顔の佳き木曜日を

SunSunの朝陽を浴びながら  感謝

(追記)

両陛下、伊勢神宮参拝へ 20年ぶり「剣璽動座」も
(西日本新聞 2014年03月06日(最終更新 2014年03月06日 22時04分)
 宮内庁は6日、20年に1度、社殿を造り替え、ご神体を移す式年遷宮「遷御の儀」を昨年終えた伊勢神宮を参拝するため、天皇、皇后両陛下が25〜28日の日程で私的に三重県伊勢市などを訪問されると発表した。
 この間、皇位とともに伝わるとされる「三種の神器」のうち、剣と璽(じ=曲玉)を携える「剣璽動座」も行われる。剣璽が皇居から持ち出されるのは、前回の式年遷宮後に伊勢神宮を参拝した1994年以来、20年ぶり。両陛下の神宮参拝は2001年11月以来。
 宮内庁によると、両陛下は25日に伊勢市入りする。
天皇皇后両陛下@1990年11月伊勢市
三種の神器の剣(後方)と共に伊勢に到着された天皇、皇后両陛下=1990年11月、三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/73970より転載

このページのトップヘ