流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一四年葉月

先日、友人のI氏から「3泊5日でラスベガスに行ってきました」と電話があった。「ギャンブルには縁遠いあなたが、ベガスですか?」と聴いたところ、「ラスベガスのみで公演しているシルク・ドゥ・ソレイユのショーを2夜連続で観てきました」と言う。彼は大いにCIRQUE DU SOLEIL(太陽のサーカス団)に感動し、情熱的に語るのであった。

旅行代理店の担当者は彼に、時間的にパワースポットのセドナに行くことができますがいかがでしょうかと申し出たそうだ。パワースポットなる場に情熱が湧き出てこない彼はそれを断った。日月星辰世界に畏敬の念を持っている彼ではあるが、その観光地には興味を持てなかったようだ。パワースポットは和製英語だが、スピリチュアルスポット(spiritual spot)、エネルギースポット(energy spot)、聖地(holy ground)などを指す言葉。

若いころに勉強したニューヨークの大学・大学院の教授たちの数人が、自らを I am a student.と言うのを聞いたことがあった。日本の中学ではこのセンテンスを「私は生徒です」と訳すことになっていた。だから当初は、教授といえども師事する先生たちがいるので謙虚な氣持ちでそう言っていると思った。ある日、T教授にAre you a student?(誰の生徒なのですか)と聴いてみた。

彼は、ステューデン(student)とスタディ(study)はどちらもラテン語のストゥディウム(studium)に由来し、情熱・熱意という意味だと言った。そして、I am glad that I passionately devote myself to my study everyday.(毎日私の研究に情熱的に専念することがうれしい)という氣持ちが、I am a student.に込められていると教えてくださった。

Are you a student?と聞かれたなら、Yes,I am.(学ぶことに情熱を燃やしています)と応えたい。


SunSunの朝陽を浴びながら

大きな笑顔の佳き日曜日を  感謝
大国さま140831_053607
朝陽を浴びるわが家の大国さま@今朝5時30分撮影

合衆国では1997年に、国防総省が軍レベルの装備の余剰品(様々な武器や特殊車両)を合衆国全土の警察に寄贈することでリサイクルを可能にする「1033プログラム」が法的事実として制度化された。約8,000の地方警察がこのプログラムの恩恵を受けている。最近は必要以上にSWAT(警察特殊部隊:Special Weapons and Tactics)が出動しているが、緊急事態といえるのは1割ほどで、約8割は禁止薬物等を探すための家宅捜査だという。地方警察にとってSWAT創設は、戦闘用に作られた武器や備品の運用策として自然なことであったのだろう。今月9日に中西部ミズーリ州セントルイス郡ファーガソン(Ferguson)で、丸腰の黒人マイケル・ブラウン氏(18歳)が郡の警察官に射殺された。民衆の警察への抗議デモは暴徒化し、事態は収る兆しが見えなかった。それに対し郡警察は通常通りの催涙ガスの使用に加え、防弾チョッキを着用しM4カービン(小型のライフル)とスタングレネード(ガスで炸裂音を発生させる殺傷力のない手投弾)を手にした部隊を配置した。13日、このデモを報道していた複数のジャーナリストが拘束。14日、オバマ合衆国大統領は沈静化を図るために「警察に対する暴力は許されないが、治安当局による過剰な実力行使も正当化されない」と発言した。映像で見るファーガソンの様子はまるで戦争のようだ。連邦政府の「1033プログラム」は結果、地方警察の小さな軍隊化をリードしてしまった。合衆国各地の小さな美しい街々には戦車は似合わないのだし、人造国家アメリカ合衆国のlight(輝き)はもうすでに失せているのかもしれない。


閑話休題(それはさておき)

両陛下、静養の一部予定お取りやめ
(産経 2014.8.20 18:50)
 宮内庁は20日、広島市の土砂災害で大きな被害が出ていることを受け、天皇、皇后両陛下が22日から予定していた長野、群馬両県での静養について、一部の予定を取りやめられると発表した。
 宮内庁によると、両陛下は災害について心を痛め、長野県軽井沢町滞在中に予定していた散策やテニス、コンサート鑑賞を取りやめられるという。
 両陛下は、昨年10月の台風26号で伊豆大島などに大きな被害が出たことを受け、バレエ公演の鑑賞や、皇后さまの誕生日祝賀行事を取りやめられている。http://sankei.jp.msn.com/life/news/140820/imp14082018500003-n1.htmより転載

以前、聖母マリアの血を受け継ぐ方が、「始めて天下を馭(ぎょ)した」天皇という意味の「はつくにしらすすめらみこ」として日本をおつくりになったとしたら・・・。と記した。「しらす」は「知る」を語源とし、天皇はどんな物事にも優先させて民の心、すなわち私たち民衆の喜びや・悲しみ・願い・神々の心を知り、それを鏡に映すが如く、あるがままにシェアなさるという意味。
両陛下が犠牲者への哀悼と被災者へのお見舞いのお気持ち、県知事に伝えられる
(産経 2014.8.21 18:15)
 天皇、皇后両陛下は21日、広島市の土砂災害で多数の死者、行方不明者が出ていることに対し、犠牲者への哀悼と被災者へのお見舞いの気持ちを、侍従長を通じて湯崎英彦広島県知事に伝えられた。災害対策に当たっている関係者へのねぎらいも伝えた。宮内庁が同日、発表した。
 両陛下は今回の災害を大変心配しており、22〜29日に予定していた長野・軽井沢と群馬県草津町での静養を取りやめた。
 皇太子ご一家も22日から9月3日までの日程で予定していた那須御用邸(栃木県那須町)での静養を取りやめた。http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140821/waf14082118150027-n1.htmより転載

井上毅(1844〜1895)は、明治19(1886)年末から明治20(1887)年初めにかけて、彼の国典研究の助手を務めた小中村義象(池辺義象:1861〜1923)を随伴して相模・房総を訪ねる。鹿野山登山中のことであった。小中村の示唆から『古事記』における「シラス」と「ウシハク」の区別に氣づく。以後、彼は「シラス」の統治理念を研究し始める。明治14年の政変後、井上が提出した憲法草案(甲案・乙案の2案)には研究成果が反映されていた。彼は甲乙両案共に、次の条文から始めた。
「第1条 日本帝国ハ万世一系ノ天皇の治(しら)ス所ナリ」

彼は天皇の正統性は「シラス」にあると喝破した。古事記の中に出てくる大國主神(オオクニヌシノカミ:大国さま)の国護りの一節では、高天が原の天照大神の命を受けた建御雷神(タケミカヅチノカミ)が出雲を治めていた大国主神に「汝之宇志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國〔汝がウシハクこの中国(なかつくに)は、我が御子のシラスところの国(知国)ぞ〕」と交渉を開始する。井上は天皇のあり方が宇志(ウシ=主人)が権力を以て土地を支配・私有する「ウシハク」とは異なるのだから、公私を峻別して敢えて「シラス」という表現にしたかった。しかし、伊藤博文が中心となり、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らの協力を得て1887(明治20)年6月4日頃から9月初旬までの3ヶ月余にわたって伊東夏島で検討・起草した憲法草案「夏島草案」では、「シラス」を「統治」に置き換えてしまった。そして日清戦争〔1894(明治27)年7月〜1895(明治28)年3月〕後は、高山樗牛や井上哲次郎らが主唱した「君民一体の一大家族国家」(文部省「国体の本義」)へとシフトし、「家」を中心とする国民意識に基づき、宗家の家長たる天皇により日本は統治されているというスタイルが定着。天皇が支配者、日本の民衆及び日本が非支配者という私有(宇志波祁:ウシハク)の如き関係を築いてしまった。この事実への無知と誤解は最近まで続いていた。

日本書紀巻二天孫降臨章第二の一『天壤無窮の神勅』では、天照大神が孫の天津日高彦瓊瓊杵尊(アマツヒタカヒコニニギノミコト)に以下のように伝えたと記されている。この神勅を今改めて知っておきたい。
葦原千五百秋之瑞穂國、是吾子孫可王地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。寶祚之隆、當與天壌無窮者矣。

(読み方)
葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の國は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫(いましすめみま)、就(い)でまして治(しる)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)かるべし。
(訳)
葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本國は、私の子孫が天皇として治(シラ)すべき國。さあ私の孫のニニギ尊よ、行って治(シラ)しめなさい。天の日の神の靈統の継承発展は、天地と共に永遠に栄えることでしょう。

大国さまの尊いところは、自分のあり方がウシハク(宇志波祁流)統治であるを知り、このままではいけないと氣づき、納得して早速、国譲りに応じたこと。その後、出雲にはニニギノミコトが高天原から降臨された。これが天孫降臨(てんそんこうりん)のストーリー。これは決して日本民族統合の中心を万世一系の皇室に求めるという物語ではない。

天地の中間に位置する葦原中国(なかつくに)のあり方が治国=知国=しらす国。神ながらの国の真意(まごころ:エッセンス)は、誰もが知ることをシェアするシラス国(知国)であり続けるということ。情報と富を一極集中させ、民衆を私物化する宇志(ウシ)たちから邪氣妖氣を払ってやり、世界を戦争に向かわせるエネルギーを軽減・解消させたい。現在の資本主義社会の次のステージには、情報と富の配分の均衡(equality of distribution)を人類普遍の原理(principle)とした社会システム「しらす国」が登場するに違いない。


大きな笑顔の佳き週末を

2014年8月最終週に   感謝

岬の聖母マリア2
岬の聖母マリア4
(※追記)
世界各地で聖母マリアご出現が報告されている。これも「シラス」であろう。長崎市の神ノ島には4m60cmのマリア像が海を向いて立っている(写真)。フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して1951(昭和24)年に建てられた。現在のマリア像は1983(昭和58)年に再建されたもの。デザインは彫刻家でもあるパウロ・ファローニ神父。マリア像と神ノ島教会の間には1934(昭和9)年に開設された保育園・神ノ島愛児園がある。神ノ島教会は1876(明治9)年に仮教会が建てられ、フランス人宣教師が司牧にあたった。現在の教会は1987(明治30)年に建立。1906(明治39)年8月から日本人司祭が司牧にあたっている。(以上)

このお盆には家族皆でお墓参りをした。祖母の冥福を祈り、こうして家族が無事に暮らしていることを伝え、ご先祖さまに感謝する。お墓参りのときには、小さな子らを連れた家族に出会う。小さな彼らがお墓の意味を分かるには時間を要するだろう。しかしながら、子らは親たちの姿・行為を見てご先祖さまへの供養はどのようにするのかを知らず識らずに覚え、子らの心は素直にご祖先さまを敬い感謝する氣持ちを感じてくれるに違いない。このような高い精神活動に伴って起こる感情を大切にしたい。それは情緒より知的で安定感があり、持続できる生活態度であり、日本の文化である。

お昼ご飯を皆でいただき、午後3時に帰宅。書斎で昔のメモ帳を久々に見返す。十数年前に出口眞人氏の知遇を得て京都府亀岡市天恩郷に5日間滞在させていただいたときに記したもの。有難いことであった。
すんだことは忘れることにしよう。・・・みんな忘れてしまっても、より賢くなっていればよい。・・・どんなことでも、それを踏み台として、一段上へ、より賢くなることを、まず心がけたい。そして、その踏み台に、いつまでも執着しない。こうして、無限に、より真に近づいて行くところに無限の愉楽はある。この愉楽は自分がいかなる境遇に置かれていようとも、求めることができる。

何事も善きに解釈して、ありがたくうれしく日々を送る心になれるなら、もう天国は吾の所有となっている。何事も神意に任せて、あせらず、あわてず、その日その時のベストを尽くして、一生を一日のごとく、悠々とおくる工夫をしたい。

この人生では真剣にならざるを得ない重圧や環境に見舞われることがある。それはすべてを真剣に考えられるようになる契機。ものの有難味がわかる、有難くなり切るには、理屈や理論ではなく、真剣になるに限る。


さあ、大きな笑顔で邪氣妖氣を払って参りましょう

感謝
梅の花

このページのトップヘ