流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一四年長月

今朝7時50分の藻岩山上空の雲。
平成26年9月29日午前7時49分
秋のうろこ雲(巻積雲)

自然への畏敬の念を以て、穏やかに参りましょう。

大きな笑顔の佳き一週間を

感謝

先日、お茶を飲みながら、千円札のマーキングが話題となった。

”舛れている肖像画は野口英世博士だが、その顔を半分に折ってみると日本人というよりはユダヤ系(セファラディ sepharadi)の顔をしているように見える。

描かれている富士山を透かして見ると、富士山のほぼ中央に野口博士の目が浮び上がる。これは合衆国の1ドル紙幣に刻印された合衆国国章の裏面(フリーメイソンリーのシンボルマーク)である「プロヴィデンスの目(Eye of Providence)」に酷似している。

8侈未房未圭个気譴拭峙佞吃抻痢廚蓮▲癲璽爾十戒を与えられたシナイ山のようだという。

好奇心のある方は、どうぞ千円札(※1)をご覧ください。

,亡悗靴討蓮¬邯博士の原画は野口英世記念館が所蔵している写真。
に関しては、旧五千円札にも富士山が千円札と同じ構図で描かれている。それは、関東大震災(1923年)の被害状況を東京府の嘱託として撮影した写真家・岡田紅陽(1895〜1972)が本栖湖から撮った写真『湖畔の春』(1935年)を基に描かれた。彼はこよなく富士山を愛した人であった。


閑話休題(それはさておき)


建国当初、フリーメイソンリーの人造国家アメリカ合衆国は自由・平等・博愛を旗印に首都をワシントンD.C.に置き、諸々のシンボルを配置し、ポスト・キリスト教のパイオニアとして輝きを放っていた。しかし、時代は自由・平等・博愛というLight(光)のエネルギーを宿すと同時に、持てる者たちの代表格である王侯・貴族(royalty and titled nobility)を妬(ねた)み嫉(にく)む(jealous from envy)というDarkness(闇)のエネルギーをもその背後に宿し育てた。それはCommunism(共産主義)やSocialism(社会主義)といったの「宗教は民衆にとってアヘンだ(Religion is the opium of the people.)」と言う無神論のイデオロギーで、大量殺人を厭(いと)わない人間を人類の歴史に登場させた(※2)。

ジョン・F・ケネディー大統領(John Fitzgerald "Jack" Kennedy:1917〜1963)以降の合衆国政府では、有力企業等のマネーの力が大統領に対し覇権(Hegemony)を握った。マネーがホワイトハウスの住人を決めるようになってしまった。自然、その政府は大多数の民衆(people)に奉仕するための仕組み(insutitution)から、極めて少数の持てる者たちのものへとベクトルを替えてしまった。

今上天皇の誕生日である1948(昭和23)12月23日に『大東亜戦争』の責任があるとされた7人(未だ「戦犯」と呼ばれている)を、巣鴨プリズン(巣鴨拘置所)で処刑したグループに彼らの影を感じる。処刑された7人のご遺体は横浜市西区の久保山斎場で火葬され、ご遺骨は合衆国軍により東京湾に捨てられた。同年12月25日に小磯国昭元総理の弁護人・三文字正平弁護士が共同骨捨て場から7人分が混ざったご遺灰を密かに回収し、近くの興禅寺に預けた。翌年5月、密かに伊豆山中の松井石根陸軍大将ゆかりの興亜観音(※3)に納めた。その後、三文字弁護士は1952(昭和27)年のサンフランシスコ平和条約締結と同時に廟(びょう)の建設運動を開始。1959(昭和34)年4月19日、興亜観音に吉田茂元総理の字で彫られた「七士之碑」を建立。ご遺灰は今この石碑の下に埋葬されている。1960(昭和35)年8月16日に愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)が設けられた。殉国七士をお祀(まつ)りしたこの廟は、興亜観音から分骨して安置され建てられたもの。

私たちが『大東亜戦争』と呼ぶと決めたものを、先の大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が『太平洋戦争』と呼び変えさせた。私たち日本の民衆に「アメリカ合衆国との戦争に負けた」という記憶を刷り込み、そこから解放させまいとする強靭な意志が存在している。私たちは事実に氣づき、覚醒し自立(独立)をはじめたいものだ。それは世界の誰かへの復讐を考えることではい。地球の覇者として人間を支配するグループと支配される人間とに分けられてしまった今の人間世界を、どうしたら個々人の元へ取り戻せるかを考えることではないだろうか。覇道を歩み力(マネーと武力)で支配しようとする戦争を仕掛ける勢力に、王道を歩む日ノ本(ひのもと)たるわがシラス国・日本が下男下女の如く召使われていてはいけない。私たちの霊格が望むが如く、より良い地球世界の創建に意識を向けて参りましょう。

長くなりました。上海鮮丼を食べ、氣分転換しましょう。
わがまま丼
小樽 三角市場 北のどんぶり屋 滝波食堂の「わがまま丼」:自家製イクラ、生ウニ、カニ、ボタンエビ、甘エビ、サーモン、イカ、活ホタテ、トビッコの中から好きなネタ3品、または4品を選んでご飯の上に盛るボリューム満点の丼。◇3品チョイス 普通サイズ 1,800円 小サイズ 1,500円 ◇4品チョイス 普通サイズ 2,300円 小サイズ 2,000円 http://list.tabiiro.jp/303112.htmlより転載


大きな笑顔の善き日曜日を

感謝
2014年9月28日の朝陽
※1
千円札を発行しているのは日本銀行法(平成9年6月18日法律第89号)に基づく財務省所管の認可法人にして日本の中央銀行である日本銀行(Bank of Japan)。公的資本と民間資本により存立。資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5,500万円を出資し、残り45%の約4,500万円を政府以外の者が出資している。日本政府から独立した法人ではあるが、政府のコントロール下にある。「物価の安定」と「金融システムの安定」という二つの目的のために日本紙幣の発行、公定歩合の操作、国債の売買などが業務。合衆国の連邦準備制度理事会(FRB:Federal Reserve Board of Governors)と連邦準備銀行(FRB:Federal Reserve Banks)の機能を兼ね備えている。日本銀行の職員は総裁が任命し、みなし公務員とされる。

※2
 たとえば、国家社会主義、国民社会主義、民族社会主義とも訳されるNationalsozialismus(national socialism)を基にしたヒトラー(1889〜1945)のナチズムは、ツィゴイナー(劣等民族)・不穏分子としてスィンティ・ロマ=ジプシーに対するポライモス(50万人以上)、ポーランド人(2万人以上の知識層と3,000人の聖職者;300万人の非ユダヤ系ポーランド人がナチス・ドイツ軍とソビエト連邦軍によって殺害)、セルビア人(50万〜120万人)、ソ連の戦争捕虜、アフリカ系ドイツ人、知的障害者と精神病者への安楽死政策(20万人以上)、同性愛者(5,000〜15,000人)、エホバの証人(宗教上の理由で武器を持つ戦いに参加してはならなかった12,000人中2,000人)、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家などを殺害。ユダヤ人を含めたこれらマイノリティーの合計は、900万人〜1,100万人と言われる。(ヒトラーを批判したことで合衆国亡命に追い込まれたパン・ヨーロッパ連合主宰者の日系オーストリア人貴族リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー伯爵について勉強することは日本を知ることにもつながる。)
 スターリン(1878〜1953)のソ連(ソビエト共産党)では1930年から1953年の時代に反革命罪で786,098人が処刑、農業集団化に伴う富農追放や飢饉による死亡は約700万人。(スターリンは1945年8月16日に日本人を捕虜として用いないという命令を内務人民委員ラヴレンチー・ベリヤに下すも、8月23日には「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜50万人のソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した。世にいう「シベリア抑留」である。ソ連軍との停戦交渉時に日本側とソ連側との間で密約が結ばれ、日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たのではないかというという疑惑・関東軍密約説がある。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証−シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。このソ連の行為は武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に背くものであったが、スターリンは捕虜を労働力としてしか見ておらず人道的な扱いは望むべくもなかった。第二次世界大戦勃発後、ソ連が獲得した外国人捕虜は強制労働の対象となった。)
 毛沢東(1893〜1976)の支那(中国共産党)では1958年から1960年の大躍進(農業・ 工業の大増産政策)で2,000〜5,000万人が餓死。1966年から1977年まで続いた「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた文化大革命では死者40万人、被害者1億人と推計されている。この死者数の公式推計は存在しないが、内外の研究者による調査では40万〜1,000万人以上と諸説ある。また、中国共産党が今も部分的に支配・統治するチベットでは1950〜1976年の間に120万人(刑務所・強制収容所で死亡173,221人;処刑死156,758人;餓死432,705人;拷問死92,731人;自殺9,002人)が犠牲となった。

※3
松井石根陸軍大将(1878〜1948)は、1937(昭和12)年7月に勃発した支那事変における上海派遣軍司令官であった。退役後の1940(昭和15)年、彼は日支両軍の戦没将兵を怨親平等に祀るため、私財を投じ伊豆山中に聖観音を建立。観音像は彼が転戦した南京周辺地等の戦場の土を材料として作られた。同年2月24日には芝増上寺大島徹水僧正(浄土宗)他朝野の名士を集めて開眼式が行われた。松井大将はこの聖観音近くに庵を建てて住み、毎朝御山に登り観音経をあげていた。彼は、「対清意見」と「対清弁妄」を著し日中提携によるアジア保全を唱えた先覚者である荒尾精(あらお せい)陸軍大尉(1859〜1896)の信奉者として、日中提携・アジア保全の運動に生涯をかけた方であった。しかしながら、ポツダム宣言受諾後、南京事件の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受け処刑された。松井大将は東京裁判でA級戦犯容疑で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪で有罪となった。よって所謂B級戦犯である。彼はA級戦犯であるかの如く印象付けられているが、事実に反する。

追記
日本は華北分離工作によって1935 年、河北省東部を国民政府の支配下から独立させ、12 月に冀東(きとう)防共自治政府を成立させた。1937年7月29日にこの政府の保安隊5,000人が挙兵し、北京郊外の通州(つうしゅう)の日本軍人や居留民を襲撃・殺害した。日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺。女性はほとんどが強姦され、殺害された。この「通州事件」については、『通州事件の語られ方(国際ワークショップ : 日中全面戦争と地域社会変容II)』を一読願います。→
http://jairo.nii.ac.jp/0018/00009026
本文→ http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/18156/1/19_57-68.pdf
(以上)

一昨日のこと。朝刊の折り込み広告に、『上海(しゃんはい)鮮丼』とあった。

ハテ?と広告の写真をジッと見つめるも、日本の丼物にソックリ。ワイフなら「上海(しゃんはい)鮮丼」を知っているに違いないと思い、その広告を見てもらう。

「これ、『上(じょう)海鮮丼』でしょう」と、一言。

ふたり、大笑いをした。

さて、今朝は以前記した「勝縁とは何ですか」をお楽しみください。
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常日ごろ、なんでも善いものには縁を結ぶようにする。

善いものとは、善い人・善い物・善い書物・善い教え・真理・道理など。

とにかく善いもの・勝れているもの・尊いものには、
可能な限り縁を結んでおく。

この生活態度を善縁といい、勝縁という。

善い人というのは、中々、見分けが着かないものだが、
何でもないようなことにも、真剣に耳を傾け、
眼を輝かせる人がいたら、その方は何か見どころのある人間に違いない。

見た目、身体は眠っているようでも、魂が輝いている人がいる。
凡眼では中々見分けがつかない。

人を見る目、眼識が求められる所以。
これは多くの人々に会って、自ら学問するのが一番。

見極めて、できるだけ勝縁を結びたい。

今日、勝縁がやってくると思っていると、
幸せな一日が始まるのです。


大きな笑顔の善き週末を

感謝

つづき・・・『上海鮮丼(2)』

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