流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一五年睦月

天皇陛下のおことば
第189回国会開会式 平成27年1月26日(月)(国会議事堂)
 
本日,第189回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。
 国会が,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,永年にわたり,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。
 ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h27e.html

第189通常国会が26日(月曜日)、召集された。会期は6月24日までの150日間。26日午後に参院本会議場で天皇陛下をお迎えして、開会式が開かれた。この日安倍内閣は、緊急経済対策を盛り込んだ総額3兆1,180億円の平成26年度補正予算案を国会に提出。これを受けて開会式後に、衆参両院本会議で麻生太郎財務大臣が財政演説を行った。安倍晋三首相の施政方針演説は、2月中旬の15年度予算案提出に合わせて行われるようだ。
日本国憲法第七十二条
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。(原文:Article 72. The Prime Minister, representing the Cabinet, submits bills, reports on general national affairs and foreign relations to the Diet and exercises control and supervision over various administrative branches. )

大日本帝国憲法第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

通常国会の冒頭で内閣総理大臣が本会議場で行う演説を施政方針演説という。日本の憲法や国会法に規定はないが、1890年の第1回帝国議会で山縣有朋首相が行って以降、慣習となってる。

本通常国会の冒頭では、今年の内閣全体の基本方針を示す施政方針演説は行われなかった。ならば、せめて首相の個人的な考え方を示す所信表明演説を行ってほしかった。10分もあれば、私たち日本の民衆に彼の個人的な考えは伝わるのだから。

アブドラ前国王の葬儀に各国首脳が参列、サウジアラビア
(AFP 2015年01月24日 09:07 発信地:リヤド/サウジアラビア)
アブドラ前国王
1月24日 AFP】サウジアラビアで23日、同日未明に死去した故アブドラ・ビン・アブドルアジズ(Abdullah bin Abdulaziz)前国王の葬儀が執り行われ、各国の首脳が参列した。
 同国首都リヤド(Riyadh)のイマーム・トルキー・ビン・アブドッラー・モスク(Imam Turki bin Abdullah Mosque)で営まれた葬儀には、トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領や、パキスタンのナワズ・シャリフ(Nawaz Sharif)首相のほか、スーダン、エチオピア、湾岸諸国の首脳が参列。アブドラ国王の異母弟で、王位を継承したサルマン(Salman)新国王とともに祈りをささげた。
 テレビは、赤と白の伝統的なシュマグ(頭にかぶる装身具)を身に着けた王族が、布で覆われた前国王の遺体を乗せた簡素な担架を運ぶ場面を放送した。担架を担いだ王族の中には亡くなったアブドラ国王の子息であるムトイブ・ビン・アブドラ(Mutuib bin Abdullah)国家警備相もいた。
 アブドラ前国王の遺体は、葬儀の後すぐに近隣の公共墓地に運ばれ、2005年に死去したファハド(Fahd)国王と同様にサウジアラビアの厳格なイスラム教の伝統に従い墓標なしで埋葬された。
 アブドラ前国王の葬儀には、バーレーンのハマド・ビン・イサ・ハリファ(Hamad bin Issa al-Khalifa)国王や、カタールのタミム・ビン・ハマド・ビン・ハリファ・サーニ(Tamim bin Hamad bin Khalifa al-Thani)首長、アラブ首長国連邦(UAE)のハイレベルの代表団、クウェートのサバハ・アハマド・ジャビル・サバハ(Sabah al-Ahmad al-Jabir al-Sabah)首長も参列した。(c)AFP http://www.afpbb.com/articles/-/3037545より転載

サウジアラビアは現在、世界で唯一、女性の運転を禁じている国。人権保護活動家たちは長年にわたり、女性の運転を解禁するよう訴えている。90歳だったとされているアブドラ国王の逝去に伴い、88歳のエリザベス女王が世界最高齢の君主となった。イギリス王室は1月23日、チャールズ皇太子が女王の代理としてサウジアラビアを訪問する、とインデペンデント紙を通じて発表した。

1990年にイラクが隣国クウェートを侵略して湾岸危機が起こった。高齢のファハド国王は、合衆国のリクエストがったこととサウジアラビア国土防衛のために合衆国軍の駐留を許可。駐留規模が最大になったのは1991年で、約55万の多国籍軍の部隊がサウジの砂漠に展開した。聖地メッカのある当地に異教徒の軍隊が駐留することに敬虔なイスラム教徒たちは反発した。それが今日のスラム諸国混迷の深層となった。当時、皇太子であったアブドラ国王も反対したと言われる。2005年、第6代国王として即位した後は、アラブの団結を優先し、対合衆国及びヨーロッパ諸国との関係を留意しながら国家経営をしてきた。

サウジアラビアと合衆国の関係を知るとき、フト、思い浮かんでくるのは1853(嘉永6)年、代将(Commodore)マシュー・ペリーが率いる合衆国海軍東インド艦隊の蒸氣船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。当初久里浜に来航したが、そこは砂浜で黒船が接岸できなかったので幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導。合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。私たちは、この事件から明治維新までを幕末と呼んでひとくくりにする。しかし、1945年の敗戦までをひとつの時代としてくくってみてはどうだろうか。そして、1945年から2014年までを、もうひとつの時代に。さらに、2015年からはじまるこの時代を、過去の歴史を学び直した私たち民衆の新時代としてスタートさせたいものだ。


閑話休題(それはさておき)


日本国憲法前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
 われらは、いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.)
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

日本国憲法 第一条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the People, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. )

私見によれば、この条文の根底に流れるものは「八紘為宇(はっこういちう):Universal brotherhood」。その大意は、世界同胞、道義的に天下を一つの家のようにする、ということ。「八紘一宇」の出典は、日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」。
上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎
(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん事、亦可からずや)

先の大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で神道指令により「八紘為宇」という言葉は国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書上での使用が禁止された。そして、先の大戦中の日本の海外侵略を正当化したスローガンとして、この言葉が私たち日本の民衆のマインドに刷り込まれてきた。

八紘為宇(アメガシタイエトナス)を、戦後70年の封印から解き放ちたい。
それは日本が再び世界の希望となる必要条件である。


静かに輝く太陽を見つめながら

大きな笑顔の佳き週末を  感謝

両陛下 4月に初のパラオ訪問決まる
(NHK 1月23日 10時57分)
初のパラオ訪問天皇皇后両陛下が、ことし4月、太平洋戦争の舞台となったパラオを戦没者の慰霊などのため訪問されることが正式に決まりました。

 これは、23日の閣議で決まったもので、両陛下は、戦後70年に当たり、戦争によって亡くなった人々を慰霊し、平和を祈念するため、また、日本とパラオとの友好親善関係に鑑み、4月8日から2日間の日程でパラオを公式訪問されます。
 両陛下のパラオ訪問は初めてで、関係者によりますと、8日午後、民間からチャーターした特別機でパラオに到着し、空港で歓迎行事に臨んだりレメンゲサウ大統領夫妻と会見したりしたあと、最大の町コロールで開かれるレセプションに出席される予定です。
 そして9日、激戦地となったペリリュー島をヘリコプターで訪れ、戦火を交えた日本とアメリカ双方の慰霊碑に足を運んで戦没者の霊を慰めるなどして、夜、帰国されます。
 日程の詳細については、来月下旬に派遣される先遣隊の調査結果も踏まえて調整が進められますが、全体の日程調整の中で、両陛下の宿泊先を海上保安庁の巡視船とするなどの異例の対応も検討されています。
 天皇陛下の外国訪問は、おととし、皇后さまとインドを公式訪問されて以来になります。

パラオ大統領「大きな喜び」
 パラオのレメンゲサウ大統領は「パラオ国民を代表して、とてもうれしく思います。パラオにとって、天皇皇后両陛下の歴史的なご訪問は大きな喜びであり、われわれは、この貴重な機会に立ち会えることに心からの誇りと喜びを感じます」というコメントを出しました。

日本軍1万6000人が犠牲
 パラオは、東京から南におよそ3200キロ離れた太平洋の島国です。
 サイパンと同様、第一次世界大戦で占領した日本が、終戦の頃までおよそ30年にわたって統治し続けました。
 多くの日本人が移り住み、太平洋諸島の島々を管轄する「南洋庁」が置かれ、太平洋戦争で軍の拠点となりました。
 終戦の前年になるとアメリカ軍の侵攻を受け、日本軍だけでおよそ1万6000人が犠牲になりました。
 このうちペリリュー島は、日本が統治していた、この島の飛行場が戦略上、重要な意味を持つようになったため、精鋭部隊どうしの激しい戦闘が繰り広げられました。
 最後まで戦って生き残った日本兵はわずか34人で、アメリカ軍にも甚大な犠牲が生じるなど、戦闘の苛酷さや犠牲者の多さが際だった戦いでした。
 パラオは、アメリカの統治をへて平成6年に独立しましたが、日本人の血を引く人たちが大勢暮らし、歴代大統領には日系人もいて、親日的な国として知られています。

遺族「知ってもらえるきっかけに」
 ペリリュー島の戦いで父親を亡くした東京・台東区の橋本※みつ子さん(75)は、「国のために亡くなっていった父親たちも喜ぶと思い、戦後の苦労を忘れるくらい感激しています。天皇陛下の訪問で多くの人がペリリュー島に興味を持つと思いますが、大変な激戦地だったことを知ってもらえるだけでもうれしいです」と話していました。(※にんべんに光)。
 ペリリュー島の戦いで兄を亡くした千葉県の高橋こうさん(86)は、「自分もいつかペリリュー島に慰霊に行きたいと思いながら果たせずにきたので、両陛下が自分の代わりに行って下さるような気がして、ありがたいことだと思います。これをきっかけにこれまであまり注目されてこなかったペリリュー島での戦いについて多くの人たちに知ってもらいたい」と話していました。

慰霊会「慰霊の歩みの集大成に」
 ペリリュー島の戦没者の戦友や遺族らでつくる「水戸二連隊ペリリュー島慰霊会」の影山幸雄事務局長は、「両陛下の訪問が正式に決まり、ペリリュー島などパラオで戦死した人たちがいちばん喜んでいると思う。戦後70年に当たっての今回の訪問は、両陛下の戦没者慰霊の歩みの集大成として、ペリリュー島だけでなく、およそ240万人の海外戦没者すべてに対し慰霊の気持ちを示されるものになると考えている」と話しています。

両陛下 戦没者慰霊への思い
 天皇陛下は、一貫して先の大戦と向き合い、皇后さまとともに各地で戦没者の慰霊などにあたられてきました。
 天皇陛下は、戦後50年を迎えた平成7年、「慰霊の旅」で国内各地を回り終えると、宮内庁の幹部に、太平洋諸島を訪れて戦没者の慰霊をしたいと話されるようになりました。
 これを受けて実現したのが、戦後60年に当たる平成17年の天皇皇后両陛下のサイパン訪問でした。
 サイパンでは、多くの日本人がアメリカ軍への投降を拒んで「天皇陛下万歳」と叫びながら身を投げた「バンザイ・クリフ」などを訪ね、遺族らが見守るなか黙とうをささげられました。
 天皇陛下は出発前のおことばの中で、「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べられました。
 皇后さまも、この年、海外で亡くなった戦没者に寄せる天皇陛下の思いについて、「南太平洋の島々で戦時下に亡くなられた人々のことを、深くお心になさっていらっしゃいました。外地のことであり、なかなか実現に至りませんでしたが、戦後60年の今年、サイパン訪問への道が開かれ、年来の希望をお果たしになりました」と文書で述べられました。

 前侍従次長「10年越しの悲願」
 前の侍従次長で、天皇皇后両陛下のサイパンへの慰霊の旅に同行した佐藤正宏さんは、「両陛下のパラオ訪問は、戦後60年にあたっても検討されたが、空港の設備が十分でなかったことなどから断念せざるを得なかった。天皇陛下は当時から、太平洋諸島で亡くなった方々への慰霊の気持ちを強く持たれていたが、サイパン訪問後もその思いを抱き続けてこられたのだと思う。10年越しの悲願がかなうことになり本当によかった」と話しています。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150123/k10014908301000.htmlより転載


日本は第一次世界大戦の戦勝国側として、ドイツの植民地となっていた南太平洋の島々をわが国の一部としていった。しかし、植民地とすることはしなかった。白人支配の植民地経済の仕組みに異を唱え、国際連盟に「委任統治領(a mandated territory)」(※注)という新しい仕組みを作って、地域発展の後ろ盾になろうという英知ある人財がいたからだ。この着想を得たキリスト者・新渡戸稲造博士は、西欧列強に日本を理解してもらうために『武士道』を紹介するとともに、日本の行動原理を世に知らそうとした方でもあった。日本は領土ほしさの戦争をしたわけではなく、委任統治の目的は独立不羈(ふき)への準備であることを知らしめた。

私たち民衆は今、真の日本文化の持つ精神(大和心)を再発見するときを迎えている。そして、それを世界に向けて再発信したい。ペリリュー島に隠された真実の歴史というものを世に知しらすことが、ペリリュー島の英霊たちのご帰還に相違ない。


SunSunと輝く朝陽を浴びながら

大きな笑顔の佳き週末を  感謝


(※注):Japan had mandatory rule over certain South Sea Islands.(日本はある南洋諸島に対し委任統治権を有したのであった) 第一次世界大戦後、日本が委任統治を行った赤道以北の旧ドイツ領太平洋諸島に関する年次報告書(「日本帝国委任統治(地域)行政年報」)は、外務省記録「委任統治 行政年報(日本年報)」、「国際連盟委任統治問題一件 帝国年報関係」等に含まれている。この年報は、国際連盟規約第22条に定められた「受任国は其の委任地域に関する年報を連盟理事会に提出すべし」という規定に基づき、1921(大正10)年6月連盟理事会において採択された決議によって各受任国が作成を義務づけられたもの。連盟理事会に提出された年報は委任統治委員会において審査され、この審査結果に基づいて同委員会は理事会に対して委任統治の実施に関する意見具申を行った。年報の内容は、該当地域における行政一般や財政、教育、産業、労働、貿易など広範囲にわたり、対象となった地域の当時の様子を伝える史料として興味深い。日本政府による年報の作成は、国際連盟脱退後の1938(昭和13)年に連盟諸機関との協力を終止するまで継続された。

(※注2):「英霊」は戦死者の霊を敬っていう語として定着している。元来は英華秀霊の氣の集まっている人物の意味。

参照「日の本」(2014年03月20日)

安倍首相は当初、日本時間21日の朝にイスラエルから発つ予定であった。しかし、20日夜(日本時間21日未明)、中東歴訪を終え、イスラエル・テルアビブ近郊のベングリオン国際空港から政府専用機で帰国。「イスラム国(ISIS)」を名乗るグループが日本人男性2人の殺害を予告し、身代金を要求している事件への対応のためであった。日本政府はヨルダン・アンマンに設置した現地対策本部に、2004年8月発足の警察庁の国際テロリズム緊急展開班(TRT-2 : Terrorism Response Team-Tactical Wing for Overseas)を派遣し、中東の情勢に詳しい外務省職員も増員するなど、態勢を強化している。 

TRT-2 は警察庁警備局外事情報部国際テロリズム対策課の組織で、日本人が海外でテロに巻き込まれた場合に出動する。警察庁組織令で以下のように規定されている。
(国際テロリズム対策課)
第四十一条  国際テロリズム対策課においては、次の事務をつかさどる。
一  外国人又はその活動の本拠が外国に在る日本人によるテロリズムに関する警備情報の収集及び整理その他これらの活動に関する警備情報に関すること。
二  第三十八条第二号並びに前条第二号イ及びロに掲げる犯罪その他警備犯罪で前号に規定する活動に関するものの取締りに関すること。 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29SE180.html

日本では、ISIS(Islamic State in Iraq and al-Sham)を「イスラム国」と訳しているが、「イラクとシリアのイスラム教徒の国」が文字通りの訳となる。

昨日1月21日、外務省サイトに「安倍総理大臣のイスラエル訪問」と題した記事が掲載された。安倍首相が1月18日(日曜日)〜20日(火曜日)にイスラエルを訪問した概要を抜粋する。
2 主要行事の概要
(1)ネタニヤフ首相との会談
(2)同行経済ミッションとネタニヤフ首相との会合同席,経済セミナー出席
(3)リヴリン大統領への表敬
(4)ヘルツォグ労働党首による表敬
(5)ヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)訪問
(6)「イスラエル・パレスチナ合同青年招へい」及び「中東和平プロジェクト」参加者の同窓会出席
(7)マケイン米上院議員他による表敬
 (ア)1月19日午後,安倍総理大臣は,同地訪問中のジョン・マケイン上院議員(軍事委員長)をはじめとする米連邦上院議員7名(コーカー議員(外交委員長),グラハム議員,バラッソ議員,ドネリー議員,ケイン議員及びキング議員他)による表敬を受けた。
 (イ)安倍総理から,日米関係への貢献に謝意を述べるとともに,戦火を交えた日米両国が戦後和解して強固な同盟国となったこと,今後も両国で連携して地域と世界の平和と繁栄に貢献してきたこと,今後も両国で連携して貢献していきたい旨述べた。両者は,アジア太平洋地域における日米同盟の重要性につき認識を共有した。
 (ウ)安倍総理は,日米間で幅広い分野での安保・防衛協力を進めていきたい旨述べた。マケイン委員長からは,日米間で安保・防衛協力や米軍再編の取組を進めることの重要性につき賛意が示された。
 (エ)この他,両者は,アジア太平洋の安全保障情勢,中東情勢,TPP,エネルギー協力についても意見交換を行い,日米同盟の枠組みで両国の協力を強化していくことを確認しました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/il/page4_000911.htmlより転載

同行経済ミッションとは何ぞや。下記の記事によると「Executives from nearly 30 companies, including big electronics and food makers, accompanied Abe on his visit.(大手電子機器と食料品メーカーを含む約30社の上層経営陣が、安倍首相の訪問に同行した)」という。詳細が広く伝わらないのは、「人道的支援」(※注)に似合わない内容だからかも。

件の日本人男性2人のうちひとりは、昨年8月14日にISISから「ハルナ・ユカワ(湯川遥菜)という日本のスパイを拘束した。彼は日本の軍事会社のCEOだとしている」と公表された人物。銃を持って入国したのが拘束の理由か。もうひとりは、現地で彼の通訳もしていたジャーナリスト後藤健二氏。彼は東日本大震災の被災地、アフガニスタン、そして中央アフリカで子等に焦点を当てた取材を続けていたそうだ。二人の最初の出会いは、昨年4月下旬、外務省から渡航禁止令が出ている状況下のシリアのようだ。ISISと戦うクルド人部隊と撮影した写真には両名が収まっていた。本人曰く、彼は元自衛隊員ではない。しかしながら、どこかで訓練を受けたことは分かる。

昨年10月下旬、後藤氏は極めて短期間に湯川氏を引き取って戻ってくるつもりであったらしい。彼は10月22日にトルコに向う。そして、翌23日にトルコのコーディネーターと電話連絡を取る。24日にその彼とトルコとシリアの国境で会う。25日にはその国境を越えてISISが首都と宣言した北部のラッカに向かうも、連絡が途絶えた。帰国予定は10月29日であった。
イスラム国邦人人質:後藤さん家族に身代金10億円メール毎日新聞 2015年01月21日 00時04分(最終更新 01月21日 19時00分)
 ◇昨年11月に「イスラム国」側から届く
イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」とみられるグループが、昨年シリア入りして行方不明になった千葉市の湯川遥菜さん(42)とジャーナリストの後藤健二さん(47)とみられる2人を拘束している映像がインターネット上で公開された問題に絡み、昨年11月に「イスラム国」側から後藤さんの家族に約10億円の身代金を要求するメールが届いていたことが分かった。政府関係者が明らかにしたhttp://mainichi.jp/select/news/20150121k0000m040149000c.html

日本政府は昨年11月から2ケ月間、ISISと解放交渉をしていたのかもしれない。彼ら二人は政府を含めた何者かのエージェントであった可能性が見え隠れする。

(※注)人道的支援(Humanitarian assistance)とは開発支援ではなく、国際連合総会決議46/182や災害軽減における国際赤十字及び国際赤新月社並びにNGOに関する運営規約によると政府当局者や非政府組織、その他の非政府人道当局者により行われている。したがって政府が主導できるものではないし、政治戦略が形を変えたものでもない。しかしながら、ISISの支配地域の難民をイスラム諸国の赤十字社を通じ、身代金2億ドル相当の食料や医薬品や食料などで援助することは可能だ。先の大戦前の日本は、植民地となった地域の民衆の希望であったことを想いだしてほしい。


閑話休題(それはさておき)


ISISの目的は、カリフ制国家建設。カリフは預言者ムハンマドの後継者。ムハンマド亡き後の632年〜661年の間は選挙でカリフが選ばれた。しかし4代目カリフのアリー暗殺は、後にイスラムがシーア派とスンニ派(スンナ派)に分裂していく契機となった。シーア派は4代目カリフのアリーの血統を重視する人々。一方、スンニ派は代々のカリフをムハンマドの後継者として認める人々。現在、イスラム教徒の9割がスンニ派といわれる。ISISの過激組織もスンニ派。ISISの最高指導者アブ・バルク・バグダディ(イラク人)という方は1924年から空位であったカリフの座を自ら名乗って、かつてのカリフに導かれた理想国家建設を目指しているらしい。

2003年、合衆国軍がバクダッドに侵攻しフセインを逮捕。その後も合衆国軍はイラク国内に滞在し続けた。時を同じくして、ISISの起源となる集団がイラクでのアルカイダとして勢力を伸ばし始めた。しかしながら、合衆国軍の支配下にあっては好き勝手ができない。2011年、合衆国軍がイラクから撤退した頃に、イラクの隣国シリアが内戦状態に。ISISもこの内戦に参戦し、後に首都として宣言するシリア北東部のラッカに定着。ここは石油の原産地らしく、その密輸出により経済力を維持できる。だが、シリアにはアル=ヌスラ戦線と呼ばれるISISに好意を持たないアルカーイダの下部組織があり、ISISはアルカイダと袂を分かつことになった。それから、十分に基盤を固めたスンニ派ISISは、8年間にわたって政権を担ったシーア派マリキ政権時のイラクに戻った。(ブッシュへの靴投げ事件は記憶に新しい。)イラク国内にもシーア派マリキ政権を良しとしないスンニ派の勢力があり、マリキ政権打倒を目的にISISに賛同するようになった。これがISISが勢力を拡大した背景の一側面。
ラッカ
イスラム国の拠点とされるシリアの街ラッカにて。手前右にいるのがイスラム国戦闘員、腹に自爆ベルトを巻いている。2014年3月撮影((C)Toru Yokota)

現在の中東の国境線は西欧列強により線引きされたもの。この線引きを否定して自分たち民族の国家をつくることがISISの宣言の本質だとしたら。第一次世界大戦以降世界秩序をつくってきた人間の階層と、それに対抗する民族や地域に根ざした価値(文化)を重んじる人間の階層により地球が二分されているようにも見える。

イエス・キリスト(紀元前4年頃~紀元後28年頃)に続く預言者であり、最後の予言者としてムハンマド(570年頃~632年6月8日)が現れ、ユダヤ教とキリスト教を引き継ぐ宣言をした。悲しいかな、人間のマインドがつくり出したに過ぎない教義に翻弄された人間たちは、彼を敵としてしか認知できなかったのだろう。だからこそ、十字軍(crusade)が聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還するために派遣された。聖地をめぐる争いの根の深さには、理解を絶するものがある。しかし、このような行動原理を超える知求人(地球人)である私たち民衆は、誰もがイエスやムハンマドと同様に、フェイス・トゥ・フェイスで、神(God)というものと向き合うことができるのだということ(福音)を知っている。2015年という年を大乱から小乱へ、そして地球を覆う戦争のベクトルを解き放つ年にしたい。

「ルカによる福音」にあるイエスの発言(17:20〜21)は示唆に富んでいる。
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。


静かな夕刻の旭ケ丘にて    感謝


参考:
January 20, 2015 3:28 am JST
Japan, Israel want to forge investment pact this year
YUKIHIRO SAKAGUCHI, Nikkei staff writer

JERUSALEM -- Japanese Prime Minister Shinzo Abe and his Israeli counterpart, Benjamin Netanyahu, agreed here Monday to seek a bilateral investment treaty this year as a steppingstone to a free trade deal.
Netanyahu proposed setting year's end as the target for concluding an investment pact, to which the visiting Abe assented. The two leaders confirmed they would instruct officials to speed up working-level talks.
Such treaties spell out protections for investors and other ground rules that companies like to know before deploying capital in another country.
Corporate Japan is keen on doing business in Israel, home to high-tech players in software, cybersecurity, health care and other industries. Executives from nearly 30 companies, including big electronics and food makers, accompanied Abe on his visit. Abe hopes to see the two countries' economic relationship flourish through greater interaction among business leaders and other exchanges, he said in a news conference with Netanyahu. At a meeting Sunday, the Israeli prime minister told Abe his country is ready to move toward an investment pact and a free trade agreement.
Earlier this month, Netanyahu's cabinet approved a plan for deepening economic ties with Japan that calls for tens of millions of dollars in investment over three years. It also aims for a 45% increase in Japanese tourists by 2017.
Israel imported $1.11 billion of Japanese goods in 2013, much of it in the form of automobiles, electronics and chemical products, according to the Central Bureau of Statistics. The country's exports to Japan reached $720 million, with industrial and medical equipment, machinery and electronics leading the way. http://asia.nikkei.com/Politics-Economy/International-Relations/Japan-Israel-want-to-forge-investment-pact-this-yearより転載
(以上)

このページのトップヘ