流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一五年文月

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、合衆国軍が広島市に対して原子爆弾(原爆)を投下した。 これは実戦で使われた世界最初の核兵器。この一発の核兵器により広島市の人口35万人(当時)のうち9万〜16万6千人が被爆から2〜4カ月以内に死亡した。

当時多くの外国人が広島にはいた。1944(昭和19)年末の内務省警保局の調査によれば、広島県全体で朝鮮の人が8万863人登録。そのうち3万人前後が広島市内にいたと推定されている。その他、中国・モンゴル・東南アジアからの留学生、ヨーロッパの宣教師、白系ロシアの亡命者が原爆の犠牲に。 被爆死した合衆国兵は10名。中には1945年7月28日に広島市郊外で撃墜された米軍ローンサム・レディ号の捕虜も6名いた。 日本政府は、1951年に連合国に原爆で死亡した捕虜名簿(命日記載)を提出したが、合衆国ではこの事実は遺族には伏せられた。1970(昭和45)年には原爆慰霊碑の原爆死没者名簿にローンサム・レディ号の射撃手であったジョン・ロング伍長の名が記載され奉納。

NHKが広島市で世論調査をしたところ、「(原爆投下は)やむを得なかった」と答えた人が4割を超えたという。リサーチクエスチョンの「やむ得なかった」と「今でも許せない」という選択肢は、「原爆投下の責任は合衆国軍にある」と「抑止核は認めることができない」に替えてもらいたい。なぜなら、「やむ得なかった」を選択することは「抑止核(軍用核)を認める」に同意するのと同じことだから。長崎の回答結果も報じてほしかった。
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(引用開始)・・・・・・
原爆投下「やむを得ず」4割超
(NHK広島 07月27日 07時13分)
 被爆70年に合わせてNHKが行った世論調査で、広島と長崎に原爆が投下されたことについてどう思うか聞いたところ、広島市では「やむを得なかった」と答えた人が44%で、ごくわずかですが、数字の上では「今でも許せない」と答えた人を初めて上回りました。
 NHKでは先月、広島市や長崎市の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける方法で調査を行い、広島市では1130人から回答を得ました。
 このなかで「アメリカが広島と長崎に原爆を投下したことについて、今どう考えていますか」と尋ねたところ広島市では「今でも許せない」と答えた人が43%でした。
 これに対し「やむを得なかった」と答えた人は44%で、ごくわずかですが、数字の上では「許せない」と答えた人を上回りました。
 前回・5年前の調査から方法が変わったため、単純に比較はできませんが、広島で「やむを得なかった」が「今でも許せない」を上回ったのは昭和50年の調査開始以来初めてです。
 「やむを得なかった」と答えた人は男性では50%、女性では40%でした。
 また、年代別では70歳以上が51%と高くなっています。
 一方、全国の人を対象に行った調査では「今でも許せない」が49%、「やむを得なかった」が40%で「許せない」と答えた人が上回りました。
 これについて、広島大学大学院の布川弘教授は「核による戦争の抑止が期待されている世界情勢と、原爆が戦争を終わらせたという誤った認識が背景にあるのではないか。原爆投下がやむを得なかったという認識が広まることには大きな懸念がある」と話しています。http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20150727/3443681.html
・・・・・・(引用終わり)

軍産複合体を批判したあの有名な告別演説の直後に、アイゼンハワーは広島の決定についても公に発言している。1945年に日本の都市に対して原爆が使用されることをヘンリー・L・スティムソン陸軍長官から知らされたときのことを想起して、アイゼンハワーはこう述べている。

 彼が関連の事実を述べるのを聞いているうちに、自分が憂鬱になっていくのがわかって、大きな不安を口にした。まず、日本の敗色は濃厚で、原爆の使用はまったく不必要だという信念をもっていた。
 第二に、アメリカ人の命を救うために、もはや不可欠ではなくなっていた兵器を使用することによって世界の世論に波紋を広げることは避けるべきだと考えていた。日本はまさにあの時期に「面目」を極力つぶさない形で降伏しようとしていると、私は信じていた。
ガー・アルペロビッツ著(鈴木俊彦・岩本正恵・米山裕子・訳)『原爆投下決断の内幕(THE DECISION TO USE THE ATOMIC)』(上)(ほろぷ出版・1995年刊・12頁)より。

広島と長崎を一瞬に壊滅させた原爆投下の背景には世界的なウランビジネスがあるといった説を給わったことがあった。それはそれで興味深いものがある。しかしながら、

私たち日本の民衆が望んでいるのは、核による抑止ではなく、核の廃絶。


大きな笑顔で邪氣を払って参りましょう。  感謝

憲法59条4項には、衆議院で可決され参議院に送付された法案が60日以内に議決されない場合、衆議院は参議院が法案を否決したものとみなす、みなし否決の規定がある。衆議院は再議決により法案を成立させることができるとされる。これが60日ルール。

しかし、「衆議院は再議決により法案を成立させることができる」とは限らない。なぜなら同59条第2項には「衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」と規定されている。「三分の二以上」とは{475‐1(欠員・町村信孝氏}÷3×2=316名以上、すなわち賛成315名以下だと法案は成立しない。

7月18日付けの東京新聞【安保法案 衆院本会議採決の投票行動】によれば、賛成票は327名。大島理森衆議院議長は憲法第56条2項「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」(議長決裁)により、そして担当閣僚の中谷元防衛相の二人は採決に加わっていない。よって、実質的な賛成票は327+2=329名となる。すると、再決議で329−315=14名が新たに反対票を投じるなら、本法案の成立はない。

14名は可能に違いない。例えば、野田聖子代議士は、彼女の7月19日付ブログにこう記した。

支持率急落のニュース。先輩議員が支持率はどうでもいい的発言。違和感。下がって犠牲になるのは当選回数の少ないこれからを担う若い議員たちだ。今回の急落の原因は、法案の中身そのもの、と同じく与党自民党のあり方に対する不満不安不信、に思える。政権を失った時の傲慢さ、不親切さをもう一度反省し、おそらく戦後初めての抜本的な安全保障の議論を進めなけれならない。この法案を賛成する日本人も反対する日本人も決して戦争はしないというコンセンサスあり、だから。賛否両論のメッセージをたくさん頂きました。今言えるのは、ムスコさんの鉄母として、激変期の日本での持続可能な安全保障を見出していきます。

野田代議士は支持率低下により選挙戦で不利をこうむる若手議員たちを代弁すると同時に、法案の内容と採決を強行する今の自民党へ疑問を呈している。自公には「鉄母」候補が25+3=28名もいる。なんと、14名の倍ではありませんか。

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自由民主党 290(25
民主党・無所属クラブ 72(9)
維新の党 40(1)
公明党 35(3
日本共産党 21(6)
次世代の党 2
生活の党と山本太郎となかまたち 2
社会民主党・市民連合 2
無所属 無 10(1)
欠員 1
計 475 (女性議員45)
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(引用開始)・・・・・・・・・・
【安保法案 衆院本会議採決の投票行動】自民の2氏 本会議欠席
(東京新聞 2015年7月18日)
 衆院本会議で十六日に行われた安全保障関連法案の採決は起立採決で行われたため、議員一人一人の賛否は公式記録に残らない。起立方式だと自民、民主など会派ごとの賛否として記録される決まりだからだ。そのため、本紙は各党や議員事務所への取材などで全議員の投票行動を確認した。
 集計では、賛成三百二十七人、退席百三十六人、欠席七人、反対二人。与党議員のうち、自民党の村上誠一郎、若狭勝両氏は本会議を欠席した。
 衆院事務局によると、採決に反対の意を込めて退席した民主党などの野党議員は、法案への賛否が明らかではないとして「態度不明」とされる。本紙は退席に数えた。
 採決は、出席議員の五分の一以上が求めれば本会議場での記名投票とすることができた。その場合、議員一人一人の投票行動が議事録に掲載される。
安保法案7月16日20150724
http://www.tokyo-np.co.jp/politics/anpo_touhyou/
・・・・・・・・・・・(引用終わり)

「鉄母」候補の代議士諸氏には、赤崎勇氏の安保法案絶対反対の見識と知恵によって目を覚まし、本来の投票行動を取っていただきたい。そして、それは1945年に婦人参政権を獲得して70年目の痛快な行動となるだろう。

(引用開始)・・・・・・・・
銃持てば巻き込まれる ノーベル賞・赤崎さん、安保法案絶対反対
(東京新聞 2015年7月3日 夕刊)
 青色発光ダイオード(LED)の実現により昨年のノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大教授(86)が2日、本紙のインタビューに応じ、空襲で九死に一生を得た自身の戦争体験を打ち明けながら、反戦への思いを語った。集団的自衛権の行使容認など、日本が守り続けてきた平和主義の在り方を変容させかねない安全保障関連法案について「絶対に反対です。歯止めが利かなくなる危険があります」と力を込めた。 (今村太郎)
 赤崎さんは特攻隊の出撃拠点だった鹿児島県知覧(ちらん)町(現南九州市)の生まれ。鹿児島市に住んでいた旧制中学時代には、学徒動員で旋盤工として潜航艇の部品などを作っていた。一九四五年の鹿児島大空襲では実家が焼夷(しょうい)弾により全焼。焼け野原で機銃掃射を受けた経験などから反戦への思いは強く、学問に励む時間を奪われたつらさを振り返り、「いかなる理由でも戦争はいけない」と語気を強めた。
 また他国を守るため、海外での武力行使に道を開く集団的自衛権の行使容認について「自国に踏み込まれたら自衛するというのが、自衛隊の本来の在り方。専守防衛に徹するべきです」と強調した。「戦争は偶発的に起きる。銃を持っていれば、どこでもありうる。(海外での武力行使によって)日本も巻き込まれかねません」と懸念を示した。
 <あかさき・いさむ> 京都大理学部を卒業し神戸工業(現富士通)に入社。1959年名古屋大工学部助手、その後助教授。松下電器産業(現パナソニック)を経て81年名大教授。92年名城大教授。窒化ガリウムの結晶化に成功し、89年に青色LEDを実現した。天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(61)とともに昨年のノーベル物理学賞を受賞した。91年中日文化賞。紫綬褒章、文化勲章などを受章し、2014年日本学士院賞・恩賜賞。名大特別教授。名古屋市西区在住。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015070302000243.html
赤崎勇
・・・・・・・・・(引用終わり)

合衆国は70年に渡り日本を占領統治し、平和憲法と名付けたものも与えてくれた。そして、それを願ってもないことと感謝する意識をインプラントして、偽りの独立も与えてくれた。「平和憲法」下にあっても、今回のような法案が成立可能となることに危機意識を持ち、軍産複合体の危うさに警鐘を鳴らしホワイトハウスを去ったアイゼンハワー合衆国大統領の慧眼に学び、真の独立に向けて目を覚ましたい。そして、世界中から戦争をなくしたい。

大きな笑顔の佳き週末を  感謝


(追記)
Iron Lady(鉄の女)は、しばしば女性の政府の長につけられる愛称で、「強い意志を持つ」女性を描写するもの。マーガレット・サッチャー女史が"The Iron Lady"(鉄の女の中の鉄の女)と呼ばれたのは、彼女の政治家としての見識と胆識(勇氣)がiron will(鉄の意志)によって貫かれたことに起因する。野田聖子代議士の用語「鉄母」は、Iron Motherということだろうか。是非とも、"The Iron Mother"として政治行動をお取りいただきたい。(以上) 

 コストやデザインに目を奪われがちだが、陸上世界選手権400メートル障害銅メダルの為末大氏は以下のようにツイートした。
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新国立競技場はサブトラックがないために、五輪後には陸上の国際大会は開けないので、陸上競技場というよりも、ラグビー場やサッカー場またはイベント会場として捉えた方がいいと思う。
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 陸上の主要国際大会を開く必要条件に、ウォーミングアップ用サブトラックがある。2020年の東京五輪・パラリンピックは、明治神宮外苑の軟式野球場に仮設でサブトラックを作る計画。しかし、五輪後には撤去される。常設サブトラックなしでは、第3種公認競技場ということになる。世界陸上や日本選手権は第1種公認が必要条件なのだから、第3種公認のままではその開催は望めない。


閑話休題(それはさておき)


 敗戦から数年後、日本は、「平和な日本の姿をオリンピックで世界へ示したい」として、オリンピック招致の声明を出した。そのための国際的なアピールとして、昭和33(1958)年、「第3回アジア競技大会」を東京で開催した。そのメイン会場として生まれ変わったのが国立競技場。
 国際大会の舞台となる競技場の建設は、神宮競技場の取り壊しから始まった。建設計画のリーダーは、建設省関東地方建設局(当時)の角田栄氏と設計・デザインの片山光生氏。着工は昭和32(1957)年1月で、大会を2ケ月後に控えた昭和33(1958)年3月、ついに完成した。
 そのアジア大会が成功裡に終了し、東京オリンピックの招致も実現すると、国立競技場は日本を代表する国際的競技施設という存在を国内外にアピールしていった。
国立競技場

大きな笑顔の佳き祝日を

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