流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一五年神無月

ユネスコ記憶遺産(Memory of the World: MOW)は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業の一つ。危機に瀕した古文書や書物やなどの歴史的記録物(可動文化財)をデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とする。ユネスコ事務局長が任命する委員14名によって構成された国際諮問委員会(ICA)を通じ、1997年から2年ごとに登録事業を行っている。情報・コミュニケーション局情報社会部情報アクセス・保存課が担当部署。歴史的出来事を検証・顕彰できる記録物が対象で、ユネスコでは「ドキュメントヘリテージ」と呼んでいるのだから「記録遺産」とした方が良いだろう。申請国には法的保護根拠が条件として求められてはいない。無形文化遺産は「無形文化遺産の保護に関する条約」、世界遺産は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)を申請国が締結していることが条件となる。

日本の登録は以下の通り。
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2011年 5月: 炭鉱記録画家・山本作兵衛が描き残した筑豊の炭鉱画など697点の作品
2013年 6月: 御堂関白記
          慶長遣欧使節関係資料(スペインとの共同推薦)
2015年10月: 舞鶴への生還 1945−1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録
          東寺百合文書
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中国が世界記憶遺産にと申請した「南京大虐殺」が登録された。そのドキュメント(Nomination Form International Memory of the World Register Documents of Nanjing Massacre) を一読。5.2 World significanceの8頁に事実誤認があった。

The Nanjing Massacre took place in the country’s former capital. Disarmed Chinese
soldiers were mass murdered, while peaceful civilians including seniors, women and children
were slaughtered. After the war, both the Far East International Military Tribunal, which was
organized by 11 countries including the United States, United Kingdom, France,the Soviet
Union and China, and the Nanjing War Criminals Tribunal set special trials on the war
criminals of the Nanjing Massacre. Iwane Matsui and Tani Hisao, respectively class-A and class-B war criminals, were both sentenced to death by court ruling.

『松井石根と谷寿夫(それぞれA級戦犯とB級戦犯)両名は、裁判所判決によって死刑を宣告されました』とある。しかし、南京攻略時の中支那方面軍司令官の松井大将はA級戦犯の疑いで起訴されたが、判決はB級戦犯で、罪状は「捕虜及び一般人に対する国際法違反」であった。

ユネスコには以下の文章を昨夜メールした。オープンレター(公開状)としての意味を込めて原文と日本語をここに載せる。
Dear person in charge,

I would like to confirm International Memory of the World Register
“Documents of Nanjing Massacre”- 5.2 World significance on page 8.
http://www.unesco.org/new/fileadmin/MULTIMEDIA/HQ/CI/CI/pdf/mow/nomination_forms/china_nanjing_en.pdf

If my understanding is correct, the correction is as follows;

Error: Iwane Matsui and Tani Hisao, respectively class-A and class-B war criminals, were both sentenced to death by court ruling.

Correct: Iwane Matsui and Tani Hisao, respectively class-B war criminals, were both sentenced to death by court ruling.

Please let me know whether my understanding is correct or not and contact me at the following address.
******@way6.com
Your confirmation would be much appreciated.

Best regards,

Masanori Saito
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ご担当者様

世界記憶遺産「南京大虐殺文書」の5・2世界的な重要性(8頁)を確認していただけますでしょうか。
もし私の理解が正しければ、正しくは下記の通りです。

誤)松井石根と谷寿夫(それぞれA級とB級戦犯)両者は、(東京軍事)裁判所判決によって死刑を宣告されました。

正)松井石根と谷寿夫(それぞれB級戦犯)両者は、(東京軍事)裁判所判決によって死刑を宣告されました。

私の理解が正しいかどうか、下記のアドレスへ知らせてください。
******@way6.com
確認のほど、よろしくお願いします。

その他にも、文献が真に当時の物か否かの検証が必要だ。誤認の情報が入っていたのでは「 World significance (世界的な重要性)」があるとはいえない。アカデミシャンを動員して問題点を指摘した文書を作成し、ICA関係委員に送りたい。このような反論はしておこう。

戦後70年の今年は、このように南京の30万人殺害と2万人の女性をレイプしたという、人為的なストーリーによる、敗戦国・日本へのプロパガンダ(洗脳オペレーション)が強化されている。30万という数字から広島と長崎の原子爆弾の犠牲になった死者の数を想像するのは容易なことだ。南京の真実に興味がある方には、松井石根大将の精神性を知っていただきたい。連合国側は東京軍事裁判で彼をA級戦犯にできずに、B級戦犯として処刑した。世界記憶遺産「南京大虐殺文書」で再び彼をA級戦犯と記載する彼らの精神性も合わせて知っておきたい。

松井石根陸軍大将(1878〜1948)は、1937(昭和12)年7月に勃発した支那事変における上海派遣軍司令官であった。退役後の1940(昭和15)年、彼は日支両軍の戦没将兵を怨親平等に祀るため、私財を投じ伊豆山中に聖観音を建立。観音像は彼が転戦した南京周辺地等の戦場の土を材料として作られた。同年2月24日には芝増上寺大島徹水僧正(浄土宗)他朝野の名士を集めて開眼式が行われた。松井大将はこの聖観音近くに庵を建てて住み、毎朝御山に登り観音経をあげていた。彼は、「対清意見」と「対清弁妄」を著し日中提携によるアジア保全を唱えた先覚者である荒尾精(あらお せい)陸軍大尉(1859〜1896)の信奉者として、日中提携・アジア保全の運動に生涯をかけた方であった。しかしながら、ポツダム宣言受諾後、南京事件の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受け処刑された。松井大将は東京裁判でA級戦犯容疑で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪で有罪となった。よって所謂B級戦犯である。彼はA級戦犯であるかの如く印象付けられているが、事実に反する。(http://blog.livedoor.jp/way6/archives/53072133.htmlより引用)

参考:ながれのままに「平和と安全」2005年09月01日


閑話休題(それはさておき)


合衆国のオバマ大統領(54)は、再来年までの任期中に、アフガニスタンでの戦争を終結させることを公約に掲げていた。しかし、15日にそれを反故にした。現地の治安維持を担うアフガニスタン軍の能力は発展途上にあり、まだ十分ではないと判断。そして来年末までに合衆国軍の部隊を撤退させる現計画を見直し、当面、現在の9,800人態勢を維持し、再来年以降も5,500人を駐留させる新方針を打ち出した。

ジョー・バイデン副大統領(72)の出馬是非の決断や如何に。大統領候補にはならないかも。

2012年にリビア東部ベンガジで起きた米領事館襲撃事件調査のため設置された下院特別委員会では未だ、当時の国務長官で、民主党の大統領候補として最有力となってしまったヒラリー・クリントン女史(67)の追及ができないでいる。特別委員会であるならば調査に専念し、遅ればせながら合衆国史の不名誉な出来事を解明できるというのに・・・。

悪に力ある如く、合衆国=イスラエルの戦争屋(warmakers)にも力がある。フセインのイラクとカダフィのイラクは巧くいっただろう。しかし、ウクライナではプーチンにクリミアを与えてしまった。シリアもプーチンのロシアが手にするのだろうか。合衆国を中心とした連合は、国連安保理の決議などを得ようとせずに、かつシリア政府の意向を無視して、シリア国内を空爆した。これは国際法上の違法行為。他方、ロシアによるシリア国内空爆は、シリア政府の要請に従っていた。国際法上は合法。今までは合衆国が世界のリーダーでいられた。しかし今後は、ロシア・中国・EUなど複数の指導者による集団的リーダーシップを中核とする政治体制となるだろう。だから合衆国には取り付く島もない。今までのような隷従隷属に別れを告げよう。

 「戦争と戦争の噂を聞くであろう」(マタイによる福音書第24)という予告が迫っているかもしれない。私たち日本の民衆が目覚めて、大難を小難に、小難を無難へと変えたい。光が真っ直ぐと進むように。
朝陽
大きな笑顔の佳き週末を  感謝

日本人としての史眼で黒船来航をスケッチするなら、それは広い意味でキリスト教文化圏の世界支配のワンシーンであった。その流れがここに来て逆流を始めたようだ。シリア難民に象徴されるこのイスラム文化圏からのイスラム教徒の大移動によって、欧州のキリスト教文化圏は史上初めての危機にさらされている。先進国とされた欧州諸国に異文化の難民が押し寄せている。これは欧州が犯してきた植民地支配の歴史への非軍事的なしっぺ返しであり、欧州がその債務の履行と弁済を通じての学びを始めたと観ることができる。(日本は既に中国と朝鮮半島の債務の履行と弁済を通じて、その重い学びを終(負)えたようだ。)

シリア・アラブ共和国(シリア)難民発生の原因は、2011年のシリア内戦。アサド政権の軍隊、反アサド勢力、そしてISの三つ巴の戦いが、繰り広げられている。合衆国と英国は反アサド勢力に軍事支援と資金供与をしていた。合衆国を中心とした連合は、ISを討伐する名目でシリアに空爆を続けていた。にもかかわらず、ISの力は衰えることはなく、空爆は成果をもたらさなかった。今、そこへロシアが介入を深めている。
トルコ、レバノン、ヨルダンを始めとする近隣諸国に多くの民衆が逃げた。その次のステージとして、欧州に逃げる民衆が増え始めたのだが、ヨーロッパ諸国は受け入れに消極的であった。しかし、9月2日にシリア難民男児アイランちゃんの死体が海岸に打ち寄せられ、その1枚の写真により、世界がシリア難民に同情し始めた。チャリティー団体が子らに物資を送るための運動を始め、人権団体による難民支援を訴えるデモが広まった。これにより、それまで難民受け入れに消極的であった欧州諸国は、EUとメルケルが主導していた難民割り当て策に理解を示し、受け入れ可能な難民の数を明示せざる終えなくなった。しかしながら、世論調査によると、スウェーデンの民衆を除いて、今も多くのヨーロッパの民衆は難民の受け入れに消極的だ。

難民の数は現在、400万人にまで増えた。EU域内はシェンゲン協定により、国境審査なしで自由に移動することができる。トルコやギリシャを経て、人口1,000万のハンガリーにたどりついた難民たちの数は今年だけで15万人を超えた。難民たちにとってハンガリーは最終目的地・ドイツへの経由地にすぎない。だから、ハンガリー政府が先月15日にセルビア国境に近い2つの県に非常事態宣言を出したことでハンガリー入国が困難になったと言っても、西隣のクロアチアを経由してドイツを目指す。難民の流れが止まらない所以。ドイツに入国した難民は、今年すでに50万人近く。現状のペースが続けば、年内100万人に達する。受け入れる自治体は難民を収容する施設の確保に頭を抱えている。その他、フランス、スペインそしてポーランドなど民衆の大多数がキリスト教徒の国々では、難民としてのイスラム教徒受け入れとその急増に抵抗が見られる。

ローマ教皇フランシスコ(第266代:2013年3月13日就任)は、昨年から「クリスラム(Chrislam)」という言葉を使い始めた。これは1986年にオランダのテレビ番組で宗教的なキャラクタ「Positivos」がキリスト教徒とイスラム教徒との文化的な意見の相違を解決する在り方として使い始めた。また「キリスト教徒でも、イスラム教徒でもない」という侮蔑的な言葉としても使われてきた。先月24日(木)夜に、フランシスコ教皇はマンハッタンの聖パトリック司教座大聖堂で教会関係者と夕べの祈りに参加され、そのスピーチでキリスト教徒とイスラム教徒は同じ神を信じているという意味でChrislamの流れに向かうと明言(参考:Remarks made by Pope Francis at St. Patrick’s Cathedral in Manhattan have sparked a firestorm of criticism from those that do not believe that Christians and Muslims worship the same God.) 。この背景には、イエス・キリストの後継者がマホメッドであるという見識があり、メシア的発想が潜んでいる。今後もこの捉え方は「裏」の在り方として存続するだろう。一方、この発言は世界統一宗教を目指すサタニズムのなせる業とする「表」の在り方も多くの支持者を持っている。特に当日のフランシスコ教皇の発言「The cross shows us a different way of measuring success. Ours is to plant the seeds. God sees to the fruits of our labors. And if at times our efforts and works seem to fail and not produce fruit, we need to remember that we are followers of Jesus Christ and his life, humanly speaking, ended in failure, the failure of the cross.(十字は私たちに成功を判断する異なる方法を教えてくれます。私たちのそれは、種を植えることです。神は私たちの勤労の成果を見ています。もし、時として私たちの努力と仕事が失敗して成果を出せない時には、私たちがイエス・キリストの教えに従う者であること、そして彼の命(真理及び道)が人知の限りでは失敗(十字の失敗)に終わったのを思い返す必要があります)」が論議の的となっている。これはイエス・キリストの否定ではなく、人知を乗り越えたところに解決の糸口があるということ。そして復活の後も生き続けるイエス・キリストの道(教え)に従う者であり続けたいという彼の願いであろう。次の一節が想いだされた。人知でしかないスピリチャルな理解を乗り越えて、真理(truth)としてこのストーリーを受け入れることができるだろうか。今、私たちは神知の扉を啓く流れの中にいるに違いない。

1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「メシアだ(救い主)」と言った。シモン・ペトロは「メシアだ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。メシアであることを知っていたからである。13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「メシアよ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」。19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21節)


大きな笑顔の佳き日々を  感謝

【追記】人間の強欲さ故に、資本主義は行きづまりをみせている。同様にキリスト教文明も限界が迫っていて、最後の審判が近いという危機意識がフランシス教皇にはあるようだ。今年の「世界難民移住移動者の日」の彼のメッセージからもそれはうかがい知ることができる。→『すべての人の母である、国境のない教会

世人が私に下す評価については知る由もないが、
私は海岸で戯れている一少年に過ぎない。
ほんの時折、滑らかな小石や可愛らしい貝殻を見つけては心を浮立たせている。
そして私の眼の前には、これから探究したい真理の大海が広がっている。
I do not know what I may appear to the world;
but to myself I seem to have been only like a boy playing on the seashore,
and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary,
whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.

(Isaac Newton :1643〜1727)

この言葉から、ニュートンが内省を通じて学び、変化し、成長したことが伺える。
彼はただただ己を暖かく見つめ、事実(facts)と戯れ、真理(truth)を探究なさった方であった。
大海

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