流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一七年長月

 25日、国連総会出席を終え帰国の途についた北朝鮮の李容浩(リ・ヨンホ)外相はニューヨークで記者団に対し、「米国が最初に我が国に対して宣戦布告したのだと世界中が明確に覚えておくべきだ(The whole world should clearly remember it was the US who first declared war on our country)」と述べた。早急にホワイトハウスの報道官は宣戦布告を否定した。第7艦隊の乗組員の4割近くが定期訓練を受けていない事実からも割る通り、戦闘機器を実践で十分に活用できない可能性が高いのだ。加えて、合衆国軍と北朝軍との戦争は、実質的には合衆国軍とロシア軍との戦いということになるのだから、ホワイトハウスは間違っても宣戦布告などできはしない。櫻井ジャーナルによれば、中東の局地戦では、昨年9月19日のロシア軍との闘いで合衆国軍側の戦闘員850名が戦死している。ロシアではなく、合衆国の好戦派が攻撃を仕掛けているのを覚えておきたい。
ホワイトハウス「宣戦布告していない」
(BBC 2017年09月26日)
 北朝鮮とドナルド・トランプ米大統領の非難合戦が激化するなか、大統領が23日に、最高指導者・金正恩氏や李容浩(リ・ヨンホ)外相ら指導部について「このままでいけばそう長続きしない」とツイートしたことを受け、国連総会出席中の李外相は25日、ニューヨークで記者団に、大統領発言は「我々への明確な宣戦布告だ」と述べた。
 これについて、ホワイトハウスのサラ・ハッカビー・サンダース報道官は同日、定例記者会見で「宣戦布告していない」、「そのような指摘は馬鹿げている」と述べた。

参考:http://www.bbc.com/news/world-asia-41391978
第7艦隊、深刻な訓練不足=乗員4割修了せず−米海軍
(時事 2017/09/08-14:40)【ワシントン時事】
 米議会付属の政府監査院(GAO)高官は7日、横須賀を母港とする第7艦隊所属艦の衝突事故が相次いだことについて下院軍事委員会で証言し、同艦隊の乗組員の4割近くが定期訓練を受けていなかったと明らかにした。任務が増える中で人員が減ったため、十分な訓練時間を確保できなかったとみられる。過度な負担や訓練不足が事故につながった可能性がある。
 監査院によると、6月に実施した調査では、第7艦隊所属の駆逐艦と巡洋艦の乗組員の37%が、期限切れの戦闘訓練修了証しか保持していなかった。2015年の調査時と比べ5倍以上の増加で、監査院高官は「海外に展開する海軍艦船は任務の頻度が高く、米本土に拠点を置く艦船と比べ訓練時間が限られている」と証言した。
 監査院高官と並んで軍事委に出席したモラン海軍作戦副部長も、「任務の要求は増え続けている」と述べ、艦船や人員削減が派遣期間の長期化や訓練不足、艦船のメンテナンス不足につながっていると説明。「日本に展開する海軍兵士は常時任務に就いているため、最も訓練され、最も経験を積んだ熟練兵だと長年思い込んでいたが、誤りだった」と明言した。

シリア政府軍の進撃に危機感を持った米軍が露軍兵士を含む部隊を攻撃、反撃で大きなダメージ
(櫻井ジャーナル 2017.09.22)
 アメリカ軍を後ろ盾とするクルド系のSDF(シリア民主軍)はユーフラテス川にあるダムから放水、水位を上げてシリア政府軍の渡河を妨害、またハマの北東部ではやはりアメリカを後ろ盾とする武装勢力がシリア政府軍を攻撃して包囲、ロシアの空軍と特殊部隊が反撃するという出来事があった。この反撃でアメリカ側の戦闘員850名が死亡、多くの戦闘車両が破壊されたとされている。
 シリア政府軍がユーフラテス川を渡ったことでアメリカとロシアは難しい決断を迫られると本ブログでも書いたが、アメリカはユーフラテスの北にクルドの支配地を作る決意を示し、それをロシアが拒否したということだ。ハマでの攻撃はアメリカの情報機関が計画したとロシア軍は断定、SDF支配地から攻撃があれば必要なあらゆる手段を使って反撃すると通告した。
 本ブログでは何度も書いてきたが、バラク・オバマ政権は特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、トルコ政府によると、アメリカはクルド支配地に10カ所以上の軍事基地を建設済みだという。NATOやアメリカ中央軍なども存在、中東ではロシア軍を圧倒しているように見えるが、すでにロシア軍はカリバル(巡航ミサイル)やイスカンダル(弾道ミサイル)の威力を見せつけ、S-300、S-400、パーンツィリ-S1といった防空システムを配備、さらにECM(電子対抗手段)も始動しているようだ。このECMはアメリカの巡航ミサイル(トマホーク)を無力化、イージス艦の機能を停止させられる可能性がある。
 ネオコンの基本的な考え方は「脅せば屈する」。自分たちが望む方向へ世界を導くためにアメリカは何をしでかすかわからない国だと思わせなければならないと同国のリチャード・ニクソン大統領は考え、イスラエルのモシェ・ダヤン将軍は狂犬のように振る舞わなければならないと語った。そうした考え方を踏襲しているのだが、本ブログでは何度も書いているように、ロシアや中国には通じない。

 櫻井氏は、アル・カイダとはCIAの訓練を受けた戦闘員の登録リストであり、アル・ヌスラもダーイッシュも合衆国の好戦派が手先として使ってきまたと主張なさっている。同意同感。


閑話休題(ソレハサテオキ)


 日本では衆議院が一昨日解散となり、来月10月22日に、第48回衆議院議員総選挙が実施されることになった。自公は過半数(233議席)を維持できるだろうか。政権交代を訴える希望の党が第一党に躍り出るのだろうか。 自民党総裁の安倍首相と希望の党代表の小池都知事は共に憲法改正論者で、お二人の違いが分からない。選挙後には自公・希望の党・日本維新の会などの改憲勢力が全議席の3分の2(310議席)を占めるということもありそうだ。
 自民党は、現在の287議席より6名多い293名を擁立予定。自民党と協力する公明党は、現在の議席より1名多い36名を擁立予定。現職の大阪府知事が代表を務める日本維新の会は現在の15名よりも多い49名を擁立するという。希望の党は150名以上、社民党17名、共産党は全国から、小沢一郎氏の自由党は希望の党へ合流か?幸福実現党は75名(小選挙区と比例合計)擁立予定、北海道の新党大地は1名立候補を表明している。
 民進党は、98億円といわれる資金・地方組織・運動員や後援者を一晩で小池百合子女史に譲り渡した。選挙区の候補者もろとも手に入れる希望の党にとって、150名以上の候補者擁立は難しいことではなくなった。民進党は希望の党に名前を変え、右翼政党としてリインカネート(政治的再生)を成し遂げ、党首を小池百合子に据えたことになる。「こんなことは絶対に可笑しい、私は何が何でも反対だ」と言えるほどにバックボーンがしっかりとしたリベラル議員はいなかった。生き残りを狙った自己保身の民進党議員諸君が、恥も外聞もなく希望の党へとなだれ込む。(注※)
 1952(昭和27)年生まれの小池百合子女史は、国士にあらず、政局の人なので、政治・経済・社会の政策に対しての立場を持たない。彼女が目指すものは、日本初の女性総理となり、日本の歴史に名を残すことではないのだろうか。東京都民を置き去りするが如く、彼女の眼中に私たち日本の民衆はいないのかもしれない。公示日直前に彼女が出馬表明する条件は、自民党との大連立に確証を得たときである。


明日から10月が始まります。
大きな笑顔の佳き週末を。  感謝

(注※)  枝野幸男氏は新党を立ち上げるも、小池百合子女史の排除の論理にイエスマンとなってついて行った民進党の人々を断罪することはしなかった。加えて、この立憲民主党からの候補者は60名程だと知って、彼の頭の中には改憲を阻止するための155議席(三分の一)を手にする発想がないことも分かった。この政党にはリベラルとしての立ち位置もなければ、改憲阻止のバックボーンさえも希薄だ。
立憲民主、1次公認62人=民進出身者と競合避ける【17衆院選】
(時事 2017/10/06-20:55)
 立憲民主党は6日、衆院選(10日公示、22日投開票)の第1次公認として、小選挙区に62人を擁立すると発表した。近く比例代表単独候補を追加する。
 希望の党は先に、立憲の枝野幸男代表らに対抗馬を擁立。しかし、立憲側は、希望に合流した民進党出身者との競合を避けたいとして、報復的な対抗馬擁立を見送った。

平成天皇@高麗神社
埼玉県日高市の高麗神社を訪問された天皇、皇后両陛下=20日午前@共同通信

千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ (万葉集6-972)
秋津島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 然れども 我は言挙げす (万葉集13-3250)
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする (万葉集13-3253)

 古代日本では、言挙げしその内容が間違いであった時、効力を失い自分の力をも失うとされ、禁句とされていた。
 言挙げは、個人が個人の意志を明白にする日常生活のあり方。これを慎むことが、鑑みることであり、敬神の態度となる。言挙げは、神のみの専権事項。神のご意志を受けて、活動をするのが大和の国の日本の民衆の態度であり、天皇の態度である。「言挙げせず」とは、神のご意志を越えたり、背くことはしませんということ。

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 倭建命(やまとたけるのみこと)は、尾張国(愛知県)の美夜受比売(みやずひめ)と結婚された後、伊吹山(いぶきやま:滋賀県&岐阜県)の神を討ちに出かけるが、御刀である草薙剣(くさなぎのつるぎ)を、美夜受比売の元に置き、「この山の神は、素手で倒してやる」と言い、持たずに出発。そして、その山に登った時、山の麓(ふもと)で白い猪に遭遇した。その大きさは牛ほどある。そこで、倭建命は、言挙げして「この白い猪に化けているのは、その神の使者だな。今殺さずとも帰る時に殺してやろう」と言い、そのまま山を登って行った。
 すると突然、激しい雹(ひょう)や雨が降って来て、倭建命はその雹と雨に打たれ意識を失ってしまう。実は、その白い猪は神の使者ではなく、伊吹山の神のご出現であった。倭建命は「山の神の使者」と見誤り素手でやっつけてやろうと言挙げしたことで、怒りを買い、氣(命)を失う結果となった。(古事記より)
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 本件は、北朝との外交を以て平和を導き給へ、という天皇皇后両陛下からのメッセージと受け取りたい。戦争へと民衆を扇動してはいけません。北朝と対話してください。これを日本の民衆と日本政府に伝えるために、言葉ではなく、高麗神社をご訪問なさることで示された。それをマスコミは忠実に報道した。北朝問題を憂慮した天皇皇后両陛下の決意と実践(the great resolution and implementation)と受け賜わった。
両陛下、渡来人ゆかり「高麗神社」ご参拝へ
(週刊新潮 2017年9月14日号掲載)
 行先は、埼玉――。
 今回で8度目となる天皇皇后両陛下の“私的旅行”である。9月20日から1泊2日で、日高市、熊谷市、深谷市を巡られる。
 宮内庁担当記者の話。
 「私的旅行といえば今年5月、陛下たってのご希望で、戦時中に疎開していた奥日光へ2泊3日で行かれる予定でした。が、直前に天皇陛下が風邪を引かれ、中止になってしまった。なので今回は、奥日光が行先かなと思っていたのですが……」
 埼玉がご訪問先として選ばれた理由について、宮内庁は“独自の文化がある地域を訪ねたいという陛下のご意向”としている。
 「独自の文化というのは、最初のご訪問先、高麗(こま)神社のある地域のことを指しているのでしょう」
 とは、地元紙記者。
 「この地域は、8世紀に、高句麗からやってきた1799人の渡来人が移り住み、その際、高麗神社を建立したのです。今も高麗駅前には半島由来の魔よけの柱が建っていますし、朝鮮風の郷土料理もあります」
 さらに、
 「昨年は、移住から1300年ということで記念式典が開かれ、馳浩さん(元文科相)や高円宮妃久子さまも出席され、注目が集まっていました。陛下もご興味を持たれたものの、その年のご訪問となるとさすがに話が大きくなると考え、翌年にされたのでは」
 高麗神社の広報担当者は、ご訪問に喜びを隠せない。
 「2〜3カ月前に宮内庁から打診があり、準備を進めてきました。天皇陛下のご参拝は実は、神社創建以来、初めてのことです」
 今上天皇といえば、これまで、“桓武天皇の生母が、渡来人の子孫”という旨のご発言で、物議を醸したこともあるが、
 「今回のご訪問と直接関係はないでしょうが、渡来文化への理解を深めたいという思いは根底にあるのでしょう」(先の宮内庁担当記者)
 両陛下はその晩、熊谷のホテルに宿泊され、翌日は渋沢栄一記念館などを訪問されるご予定だ。

天皇と皇后、高麗神社に初参拝
(朝鮮日報 2017/09/20 09:48)
平成天皇2017092000921_0 明仁天皇=写真=と美智子皇后が20日、埼玉県日高市にある高麗(こま)神社を参拝することが分かった。高麗神社は高句麗滅亡後、日本に定着した流民(日本では渡来人)たちが高句麗最後の王「宝蔵王」の息子「高若光」(日本名:高麗若光〈こまのじゃっこう〉)を迎えるため建てた。天皇と皇后が高麗神社を参拝するのは初めてだ。
 読売新聞などによると、天皇と皇后は20日から1泊2日で埼玉県を旅行し、日高市の高麗神社を訪れる予定だという。宮内庁は「私的旅行」と言っているだけで、訪問の背景などは明らかにしていない。
 天皇と皇后が来年の退位を前に、日本国内にある韓半島(朝鮮半島)を象徴する高麗神社を訪問することは、反省と和解のメッセージを送るためではないかという解釈もある。
 高句麗滅亡後、日本に亡命した高若光は716年に流民たちを集めて高麗郡を設置した。日高市一帯は19世紀末まで高麗郷、いわゆる「高句麗村」と呼ばれていた。近くには「高麗」という言葉が地名・姓・地元企業名などで残っている。
 日本最古の神社の1つである高麗神社は、1300年間にわたり高句麗の流民たちが「韓民族の末裔(まつえい)」として中心的な役割をしてきた。昨年、在日韓国人らが800万円を集めて神社の入り口に高句麗の象徴「三足烏」が刻まれた「高麗郡創設1300周年記念碑」を建てた。
チェ・ウンギョン記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

韓経:【コラム】日本の高句麗村=韓国
(2017年09月21日09時51分[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版])
 東京から70キロほど離れた埼玉県日高市は「高句麗村」と呼ばれる。駅名からして「高麗(こま)駅」と「高麗川(こまがわ)駅」だ。高麗は日本で高句麗を意味する言葉で、「こま」または「こうくり」と発音する。高麗王朝は「こうらい」と区別して呼ぶ。
 この一帯の地名と姓・学校・企業はもちろん、神社の名前にも「高麗」が入っている。高麗神社は高句麗滅亡後に日本に定着した流民が最後の王・宝蔵王の息子、高若光(日本名、高麗若光<こまのじゃっこう>)を祀るために建てられた。高若光は666年に外交使節として派遣されたが、滅亡した故国に戻れずここに残った。
 『続日本紀』によると、高若光は703年に王姓を受け、716年に高句麗の流民1799人を集めて高麗郡を建郡した。昨年は在日同胞が寄付金を集め、神社の入り口に高句麗の象徴である三足烏を刻んだ「高麗郡建郡1300周年記念碑」を建てた。現在の宮司(神社責任者)は若光の60代子孫の高麗文康氏が務めている。
 神社の行事に参加した人たちは「高麗大好き、日本大好き、韓国大好き」と叫んだりする。高句麗の流民の痕跡は中国遼陽と雲南、モンゴル「高句麗山城」、タイのチェンライなどにもあるが、日高市ほど根深いところは珍しい。
 高麗郡建郡の42年後には近隣に新羅郡ができた。九州には百済の村の南村がある。大阪の久太良洲(百済洲)の日本語「くだらす」は百済の古語「クダラ(大きな国)」に由来する。扶余(プヨ)の「クドゥレ」という地名と結びつく。熊本と公州(コンジュ)の旧名「熊津(ウンジン)」もつながりがある。
 明仁天皇は2001年の誕生日の記者会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じる」と述べた。来年の退位を控えた明仁天皇が昨日、高麗神社に参拝した。退位する前に韓半島(朝鮮半島)を象徴する神社を訪れて過去の反省と和解のメッセージを送ろうとしているのではという解釈がある。19世紀の行政区域改編で変わった今の日高という地名からも分かるように、ここには韓国と日本が共存する。
 いつか韓日首脳がここで会い、新しい未来を約束する場面を描いてみる。日帝強占期の痛みを考えれば「近くて遠い」隣国だが、悠久の歴史の大きな流れで見れば「近くて近い」のが両国だ。
コ・ドゥヒョン/論説委員

参考: 流れのままに 「ジャパン優勝」(2011年07月18日)
参考: 流れのままに 「新しい日本の旅」(2015年04月04日)  
参考: 明仁氏と上田正昭・京都大学名誉教授との交流(watchdogkisiwada)

天皇皇后両陛下のメッセージが平壌(ピョンヤン)へも届き、平和外交が始まることを願って止みません。


大きな笑顔の佳き週末を。  感謝


(追記)天皇皇后両陛下が高麗神社を訪問なさった翌日のことでした…。
韓国、北朝鮮への8億9000万円の人道支援を決定 文在寅政権で初
(産経 2017.9.21 11:50)
【ソウル=名村隆寛】韓国政府は21日、南北交流協力推進協議会を開き、国連児童基金(ユニセフ)や世界食糧計画(WFP)を通して北朝鮮に800万ドル(約8億9000万円)相当の人道支援を実施することを決めた。対北支援は文在寅(ムン・ジェイン)政権下では初めて。
 韓国統一省は「支援の時期と規模は南北関係の状況などを総合的に考慮し進めていく」としており、実施時期は未定。同省では「政治状況と人道支援は別」とし、従来の韓国政府の立場を繰り返した。支援は乳幼児や妊産婦が対象で、ワクチン、医薬品、栄養改善事業などという。
 韓国政府は今月14日に対北支援の方針を表明。北朝鮮は翌15日に中距離弾道ミサイル「火星12」を発射した。安倍晋三首相は同日、文大統領との電話会談で、支援時期を考慮するよう伝えていた。

今年2017年は、西岸・ガザ地区占領(1967年)から50年。加えて、英国がユダヤ人の国家建設を約束したバルフォア宣言(1917年)から100年、国連パレスチナ分割決議(1947年)から70年、インティファーダ発生(1987年)から30年、そしてガザ地区封鎖(2007年)から10年というようにパレスチナにとって大きな節目の年である。イスラエル人による入植という名の下でのパレスチナ人の土地の収奪、イスラエルによる非人道的な国際法違反のパレスチナ占領はとにかく酷(ひど)過ぎる。西岸最大の都市ヘブロンでは、イスラエル軍や入植者による中心街の封鎖、襲撃、そしてパレスティナの子らの目に塩酸を投げつける暴力さえ横行している。

アミラ・ハス女史(Amira Hass:1956年生)が3週間の滞在予定で日本に招かれ、東京・京都・広島での講演と沖縄と福島を訪問する。この度の招聘(しょうへい)は、中近東フリージャーナリストの土井敏邦氏が代表の「アミラ・ハス氏 来日実行委員会」によるもので、その資金はクラウドファウンディングにより公募された。彼女はイスラエルの「Haaretz/ハアレツ」の占領地特派員として1993年からガザ地区に、1997年からはヨルダン川西岸地区に住み、現地から報道し続けているイスラエル人ジャーナリスト。両親はホロコーストの生存者だという。ジャーナリストとしての彼女の仕事が高い評価を受ける一方で、イスラエル国民の一部から「祖国への裏切者」と呼ばれて脅迫され、彼女が批判するパレスチナ自治政府やハマス政権からは追放や脅迫を受けてきた。占領50年の“パレスチナ”を監視し続けてきた彼女の慧眼を以て、合衆国に70年以上も占領され今なお合衆国軍基地に支配される“オキナワ”は如何にクリスタライズされるのだろうか。
アミラ・ハス氏来日 スケジュール
2017年9月
11日(月)〜13日(水) 沖縄取材

14日(木) 沖縄・講演
18:30 - 20:30 沖縄キリスト教学院シャローム会館
パレスチナ占領50年をアミラ・ハスと考える

17日(日) 東京・講演
13:00 - 18:30 東京大学 経済学部研究棟(本郷)
「占領50年のパレスチナとイスラエル」
ゲスト:臼杵陽 氏(中東研究者)

18日(月・祝) 東京・講演
13:00 - 18:00 東京大学 経済学部研究棟(本郷)
「パレスチナと日本」
ゲスト: 森住卓 氏(フォトジャーナリスト) ジャン・ユンカーマン 氏(映画監督)

20日(水) 東京・講演
18:00 - 21:15 東京・文京区民センター
(ジャーナリストとの対話集会)
「ジャーナリストはなぜ、なにを、どのように伝えるのか」イスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハス氏との対話
ゲスト:金平茂紀 氏(TBS「報道特集」キャスター)

23日(土) 京都・映画上映・講演
京都大学 ・吉田南キャンパス
13時からの講演に先立ち、11時から同会場にて映画上映を行います。
■第1部 土井敏邦監督『ヘブロン』(1時間バージョン)上映
11:00 - 12:15(10:45 開場)
■第2部 アミラ・ハスさん講演会
13:00 - 17:00(12:30 開場)
《占領》と闘う──ジャーナリストとして、人間として
入場無料  主催:京都大学大学院 人間・環境学研究科 岡真理研究室

24日(日) 広島・講演
14:00 - 16:35 「ひと・まちプラザ」(まちづくり市民交流プラザ)
パレスチナ占領50年をアミラ・ハスと考える・広島

26日(木)〜28日(土) 福島取材被災地・被災者の取材


閑話休題(それはさておき)


土井敏邦氏によるアミラ・ハス女史へのインタビュー記事(2005年)に、この世に生を受けた人間として大切な個所を見つけたので、転載させていただきます。白眉なインタビューです。

(前略)
(Q・あなたは以前私に、自分のジャーナリスト活動の原動力は「怒り」だと言いましたね)
 「『怒り』が私の“ガソリン”です。ときどき人々が、どうしてそんなにエネルギーがあるのかと訊くんです。“怒り”です。“怒り”が私にエネルギーを与えているのです。朝、起きると、パレスチナ人の誰かが検問所から電話してきて、通過できず職場にいけないと訴える。2時間後には、また他の人が分離フェンスのゲートがあかず、オリーブの収穫に行けないという。3時間後には、ガザ出身でラマラに住んでいる友人がイスラエル兵に拘束されたと聞かされる。だからいつもこのような“不正義”のために怒りを抱いてしまう。私は自分の住んでいるラマラから、イスラエル人ジャーナリストである特権のために自由に行き来できる。自分だけそれができることにまた怒りがこみあげてくる。入植地に行くと、それはまさに植民地主義の象徴であることを目の当たりにして、また怒る。ラマラからテルアビブに行くと、イスラエル人市民が通常の生活をしている。それを見て、また怒る。だからいつも私は怒っているんです。
 その一方、私は人々との関係のなかで、自分が“豊か”になったと感じています。とりわけ難民キャンプや村においてです。私のようなイスラエル人がジェニンやラファ、ベツレヘムで、イスラエル軍の外出禁止令の下、銃撃の中でパレスチナ人の家族の世話を受けることがあります。家のなかで、家族とヘブライ語で会話している。そんな体験が私をとても“豊か”にしています。内面が“豊か”になっているということです」

(Q・“豊か”になるということはどういうことですか)
 「私はこの5、60年のパレスチナ人の苦難を顧みるとき、狭苦しく、水道も電気もない難民キャンプのようなひどい環境の中で暮らしながら、どうして人間としてあれほど美しくあれるのか、つまりあれほど他人に寛大で、優しく、ユーモアのセンスがあり自分を笑い飛ばすことができるのかと自分に問いかけるときがあります。これほど緊迫し困難な状況のなかでも、このようなヒューマニティ(人間性)、寛大性さ、人間としての尊厳を人々が保っている。それが私を“豊か”にするのです。
 もちろんパレスチナ社会には欠陥もたくさんあります。私はときどきパレスチナ人のことを『馬鹿だ』『無知だ』と言い放つことさえあります。アラファトは私を2度、パレスチナから追放しようとしました。1度はガザ地区で、2度目はこのラマラからです。その都度、パレスチナ人の誰かが間に入り、アラファトにその要求を却下させたのです。それはたいへんな勇気がいることです」

(Q・あなたがパレスチナにおける占領について書くとき、ご両親がホロコーストの生存者であることに何か関わりがありますか)
 「私はそれを否定するつもりはありません。ただ私は世界を国家や民族によって分けることはしません。私の原点、忠誠心を持つ対象は親族や家族ではありません。それよりも、もっと関係があるのは、私が“左派の思想”を持つ家族の中で育ったことです。つまり民族的なビジョンは重要ではないという考えを持った家族の環境の中で育ち、物心ついたころから、占領や差別に反対してきました。そしてジャーナリストという職業が、よりいっそう強くその“自分の原則”に沿って生きることを可能にしてくれました。
 私たちの家族がホロコーストの生存者であることの教訓と結論は、『“抑圧”に反対する』ということです。だから世界のいかなる問題にも私は“抑圧される側”に立ちます。世界第二次大戦のときなら、私は日本に反対する立場に立っていたでしょう。アパルトヘイトの南アフリカでは私は黒人の側に立っていたでしょう。自分が白人だからと言って、自動的に当時の白人政権の側に立つということではないのです。だから私を動機づけているのは、家族の“伝統”です。
 また一方で、自分が“ユダヤ人”であることも、重要な要素です。それは“平等”が私たちの社会生活、人間としての生活の基礎であるということを理解しているということです。だからイスラエルの行動の“不平等”に対する疑問と怒りが、私のジャーナリスト活動を大きく動機づけているのです」

(Q・あなたのお母さんたちユダヤ人が強制収容所に連行されるのをドイツ人たちが傍観していたというお母さんの体験が、あなたを「客観的な立場」「第三者の立場」に立つことを拒否させているのですか)
 「いいえ。私が言っているのは『傍観者』にはならないということです。『傍観者』であるということは、『無関心』だということです。つまり不正義に対し無力感を持ち、何もしないということです。私の母は多くのユダヤ人と同様にドイツ国内の強制収容所に送られました。彼女はそのとき死にたいと思ったと私に語ってくれました。彼女は家畜貨車で運ばれました。10日間、ほとんど食べることも水を飲むこともできませんでした。動物のような状況におかれました。その後、貨車から降ろされ、強制収容所まで歩かなければなりませんでした。その沿道にドイツ人の女性や男性たちがそれを見つめていました。いわゆる『無関心の好奇心』の目でした。その頃の母の写真を見たことがあります。私がそこにいるような錯覚に陥りました。もちろん、実際はその現場にいたわけではありません。それは私にとっていつも憎むべき『傍観者』の一例でした。まったく気にかけないか、または自分がまったく無力感の状態にあるかです。
 ただ私がこんな考えを持つのは、ただ私がただ単に『ユダヤ人』であるからではありません。自分が『左派』だからです。(両親は)当時、共産主義や社会主義の考え方を持っていました。『介入しない。傍観者にはならない。不正義がまかり通らないように行動する』、つまり“ヒューマン”であることです

(Q・あなたが占領について伝えようとするとき、イスラエル人のジャーナリストとして、“ミッション(使命感)”のようなものを感じますか。ジャーナリストはどうあるべきだと思いますか)

 「私自身、仕事を通してジャーナリズムにあり方についての考えを発展させています。ずっと一貫しているとは思いません。ただジャーナリストの主要な仕事は“権力中枢をモニター(監視)すること”です。つまり支配者がどのように被支配者に影響を及ぼしているかを観察し、批判することです。ジャーナリストは弱者を追跡するスパイとなるべきではありません。強者をこそ追跡するべきです。
 私たちの国イスラエルはパレスチナ人にとってまさに“権力の中枢”です。だから私がやっているのは、イスラエル国民に“権力の中枢”である私たちがパレスチナ人に対して何をしているかを描き出し、それを彼らの目の前に突きつける、ということです」

(Q・日本人はこのイスラエル・パレスチナ問題を「地理的にも心理的にも遠く、複雑で難しい問題」と考え、敬遠しがちです。この問題は日本人とどういう関連があると思いますか)

 「日本は、パレスチナ社会に対する大きな援助国です。だから日本の納税者たちはその税金がどこへ行っているのか知る必要があります。去年、取材でわかったことはパレスチナ当局に対するあらゆる援助国の金は、結果的にイスラエルの占領を“補助”しています。たとえばイスラエルがパレスチナの道路や建物を破壊し、それを修復するために援助国の資金が使われます。またイスラエルの“封鎖政策”のためにパレスチナ人が貧困に追いやられ、貧困に瀕したパレスチナ人たちを救援するために支援国の援助が使われていきます。つまり日本など海外からの援助がパレスチナ社会の発展のためには使われず、イスラエルの“占領”が引き起こしている損害の“弁償”に使われているのです。だからこそ日本の人たちはこの問題に無関心であってはいけないのです。

(Q・あなたはこの翻訳された著書で、読者にどんなメッセージを伝えたいですか)
 「日本の人口は1億2千万人なのに対し、現地のイスラエル人とパレスチナ人合わせても800万人から900万人です。日本のような大きな国が、パレスチナ・イスラエルのような、日本の1都市ほどの小さな地域に関心を持つことに不思議な気がすることでしょう。しかしイスラエル・パレスチナ紛争は、国際問題の中核ですから、自国の政府がこの地域と問題に対してどういう政策をとっているのかを知る必要があります。
 ただ罠にひっかかってはいけません。オスロ合意のときには、『交渉』自体が『平和』を意味していました。日本人だけでなく、多くの国の人がそう信じこんでいました。日本は今後もこの地域への援助を通して、いろいろな形で将来の和平交渉に関わることになるでしょう。だからこの地域にパレスチナ人が400万人しかいないということは重要な問題ではありません。
 世界のあらゆる人たちが注意し、また行動を起こすべきことは、新たなシステムの“アパルトヘイト”が今、この地域で広がっていくことを阻止することです。それはパレスチナ人自身、またそれに関わる中東地域にとってのみ危険なのではありません。ユダヤ人にとっても危険だからです。私はユダヤ人ですから、当然、同胞たちのことを気にかけます。その同胞たちが『軍事的な優位だけが自分たちの将来を保障することができる』と信じ続けるとしたら、ユダヤ人社会の将来にとってとても危険なことなのです」
2005年2月記

日本はパレスチナの水道や灌がいの支援をしているが、イスラエルに対して「イスラエルと日本が健全な外交関係を維持するには、先ず貴国によるパレスチナ人への水の制限をやめていただきたい。水は欠かせない命の源なのですから、「豊葦原千五百秋水穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)の日本としては、黙認するわけにはいきません。今後の貴国と日本のより良い関係維持のためにも、パレスチナへの水の供給を切にお願いします。」とHumanity(慈悲・愛)ある発言をしたい。

右翼(右派)と左翼(左派)の語源は、フランス革命後の議会で座席位置で、議長席から見て、従来通りの権限を国王に残したいという保守派が右側に、王政を廃止して共和制を実現したい革新派が左側に座っていたことからきているという。保守とは理性で判断して伝統を維持しながら改善する考えで、革新とは理性で判断して伝統にこだわらず新しくする考えをいう。アミラ・ハス女史は自身を左派と言い、その意味を「介入しない。傍観者にはならない。不正義がまかり通らないように行動する、つまり“ヒューマン”であること」としている。

「『“抑圧”に反対する』ということです。だから世界のいかなる問題にも私は“抑圧される側”に立ちます。世界第二次大戦のときなら、私は日本に反対する立場に立っていたでしょう。」と語る彼女の教養には、日本も抑圧される立場にあったという現実がスポイルされているのだろう。昭和5(1930)年から昭和11(1936)年にかけて、言い換えると満州事変から支那事変に至る間、日本は欧米諸国による国際的な差別規制に直面していた「抑圧され続けた日本」であった。(参考:対日経済封鎖に直面していた日本と南部仏印進駐―自由貿易を確立するための日本の戦い) しかしながら、不破哲三氏の歴史知識のように、アメリカ合衆国の占領統治時代の洗脳工作の一端を担った「抑圧した日本」という主張もある。(参考:“日本は正しい戦争をやった” 子どもたちにこう思いこませる教育が許されるか ここに『歴史教科書』問題の核心がある
後者のような反日情報がメインストリームであったが、このところ前者のように真相を伝え、合衆国の洗脳から日本人を解放せんとする情報が現れてきた。私たち日本の民衆の穏やかで満たされた日常生活や日本の国益を目的とした言動をしたいと願う。


大きな笑顔の佳き週末を。  感謝

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