流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一七年師走

おはようございます。
今日は大晦日。時の流れが実に早い。

昨夜久しぶりに、近くの大型書店に足を運んだ。
児童文学者の吉野源三郎さんの古典的名著『君たちはどう生きるか』の文庫本や単行本そして漫画化されたものが平積みになっていた。漫画は70万部を超すベストセラーのようだ。本書は、1937年に新潮社から価格1円で「日本少国民文庫 (第5巻)」として出版され、先の大戦後に語彙を平易にするなどしてポプラ社や岩波書店から出版されたた倫理書。旧制中学二年(15歳)の主人公・コペル君こと本田潤一の日々の出来事を聴いた叔父さんが彼に書いたノートという体裁で、ものの見方や社会構造、自他との関係性、自己のポジショニングといったテーマが語られている。

今、本書を紐解き格差と貧困の問題を今も昔も変わらない普遍的なテーマだと早とちりしてはいけない。1965年以降の日本では大多数の民衆が自分を中流(階級)だと「意識」できた社会の形成に成功しているのだから。私見によれば、世界史に類を見ない「一億総中流」社会という理想郷建設は、天然所与の産物ではなく、先の大戦後の日本の民衆のミッション(目標)であり、高度成長をアクセルにして、幸せになるという約束(目的)を自らの手で勝ち取ったものであった。にもかかわらず、今日の日本社会は格差と貧困の問題に直面している。問題は、どうして私たちは「一億総中流」社会を維持・発展・成長させることができなかったのかということ。

昔の日本には本物の経済学者たちがいて経済発展と経済成長を両輪として、いかにして民衆の年収のメディアン(中央値)を上げ、分厚いミドルクラス(中流層)を形成するかというミッション(使命)を達成したことも想い起こしたい。

私たち日本の民衆みんなが自分を中流だと意識できる幸せな社会を再び現代日本に顕現せしめたいと祈念して止みません。


今年1年間、「流れのままに」をご愛読くださいまして、ありがとうございます。
佳き大晦日をお過ごしください。
また来年もよろしくお願いいたします。   感謝
富士山20171231

こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。

今日は、浅草仲見世記念日。

徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の民衆が増え、浅草寺への参拝客も賑わいを見せた。それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近所の人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられた。これが仲見世事始め。元禄、享保(1688-1735)の頃といわれている。伝法院から仁王門寄りの店は役店(やくだな)と呼ばれ、20件の水茶屋が並んだ。雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼ばれ、玩具・菓子・みやげ品等を売った。次第に店は増え、日本で最も形の整った門前町へ発展。しかしながら、明治のご一新(政変)により、寺社の所領が政府に没収されたことで、浅草寺の境内は東京府の管轄に。

1871(明治4)年、まだわが国に公園ということばすらなかった時代に、オランダの一等軍医ボードワン博士は明治新政府に公園を造ることを提言。1872(明治6)年1月15日、政府は公園設定について各府県に対して「古来から名所旧跡といわれるところは公園として申し出よ」と通達。これがあの有名な「太政官布達第十六号」である。1956(昭和31)年に都市公園法が制定されるまで、後にも先にも公園に関しての法律的効力をもつものはこの太政官布達だけであった。

この公園法の制定を以て、以前からの一切の特権が仲見世から取り上げられた。そして1885(明治18)年5月、東京府は仲見世全店の取り払いを命じた。同年の今日12月27日、煉瓦造りの洋風な新店舗が完成し、近代の仲見世が誕生。東側に82件、西側に57件の計139件での新装開店であった。浅草仲見世は1923(大正12)年の関東大震災や1945(昭和20)年の戦災により壊滅的な被害を受けてきた。にもかかわらず、その都度仲見世の民衆の努力奮闘により復興を遂げる。不幸にして災害が起こった時、私たち日本の民衆は助け合ってきた。現在、全長約250メートルの仲見世には東側に54店、西側に35店の計89店舗あり、日本全国からくる民衆や世界各地からくる観光客を楽しませてくれている。

あぁ、ありがたい。めでたし、めでたし。

(追記)
1885(明治18)年: 明治新政府の意向による赤レンガの仲見世に。
1925(大正14)年: 鉄筋コンクリート造り、桃山風朱塗りの商店街に。
1985(昭和60)年: 電飾看板の改修、参道敷石の取替工事(近代仲見世誕生100周年記念)。
1989(平成元)年: 全店のシャッターに平山郁夫教授指導のもと、「浅草絵巻」と題して浅草の歳事を描く。
1992(平成4)年:  11月:リフレッシュ事業(建物の塗替えや看板類の改修工事)の完成。
1994(平成6)年:  電柱撤去地中線化の完成(東京電力が協力)。
1996(平成8)年:  通りに防犯カメラを設置。 


閑話休題(それはさておき)。


民衆の立場から見た憲法の大目的は、国家権力が個人の自由に介入しないようにすること。そして、その権力を法で縛るのが「立憲主義」という憲法のエッセンス。しかしながら、憲法25条1項は、生存権を保障し、生活保護などを通じて、国家が民衆の生活に介入することを求めている。生存権などの社会権は、国家に、私たち民衆への介入を求める権利である。すると、民衆の生活に介入しないことを求める立憲主義と矛盾するようにみえてしまう。

人類史における偉大な発明である市場経済のシステムは国家を豊かにしても、社会にパレート最適をもたらすとは限らない。市場の失敗により、もてる者ともたざる者(haves and have-nots)との格差が拡大するのは、市場経済の宿痾と言っても過言ではない。個々人の努力のみでは生きることすらままならない社会的緊張を産み出している。この社会経済的弱者を救済するための人権として、私たち民衆の歴史は生存権などの社会権を編み出した。だから、あくまでも一人ひとりが自立するための支援を国家に求めるのが生存権のエッセンス。国家に依存することが目的ではない。この権利を国家に依存する権利と勘違いしてしまうと、憲法のエッセンスを歪めてしまう。私たち民衆は国家の管理下の存在であってはならない。これは理不尽な社会政策や社会構造自体を排除する権利なのだから、連帯して力をつけ、憲法24条を以て自らの権利回復をはかるべく楽天的に国家を始めとする巨大権力と「憲法的な調和(Constitutional Harmony)」を図りたい。


日本国憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

・・・・・・・・・・・・

私たち民衆が主体となって私たちの社会を作り上げていく楽天的なライフスタイルが求められている。問題が起こったときに行政や国に頼って何かしてもらうのみではなく、積極的に行動して問題を解決していく楽天さが憲法25を健全に機能させる必要条件だと心したい。だから、私たち民衆、政治家、アカデミシャン、ジャーナリストは、今日の日本の「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有」しているか否かについて、常に関心を持ち続けて楽天的に対処する術に磨きをかけるライフスタイルを整えたい。

この志を以て下記の二つの記事を見極めたい。

厚生労働省(国)は、生活保護支給額と低所得者世帯の生活費を比べて、低い方に合わせる方針を固めた。ナショナルミニマムの発想が欠けている。加えて、生活保護法第10条のミーンズテストの判断基準を変更したわけでもない。生活扶助の政策デザインには憲法24条の精神があることを思いだしてほしい。国民の健康で文化的な最低限度の生活の水準は、国が「向上及び増進に努めなければならない」ということを。ナショナルミニマム向上が国家権力の使命と心得て、調和ある日本社会の建設に目覚めたい。
生活扶助引き下げ方針 撤回求め署名提出(NHK 12月15日 16時18分)
 生活保護で支給される食費などの生活扶助を厚生労働省が一部の世帯で引き下げる方針を固めたことについて、生活保護の受給者を支援する市民団体が、15日、厚生労働省を訪れ、方針の撤回を求める1万7000人分の署名を提出しました。
 生活保護のうち食費や光熱費などの生活扶助について、厚生労働省は、大都市の子どもが2人いる夫婦の世帯や65歳の単身世帯などで、一般の低所得世帯の生活費を上回っているとして、最大5%引き下げる方針を固めています。
 これについて生活保護の受給者を支援する市民団体が15日、厚生労働省を訪れ、引き下げ方針の撤回を求める1万7000人余りの署名を提出しました。
 このあと市民団体は会見を開き、立教大学の稲葉剛特任准教授は「生活扶助は5年前の見直しでも大幅に引き下げられていて、さらに減額されれば生活が立ちゆかなくなる人が大勢出てくる」と指摘しました。
 また、障害があるため働けず、生活保護を受けている30代の女性は、「現在も食費を切り詰めたりあまり風呂に入らないようにしたりして生活費を節約している。これ以上減額されるとどうやって生活していけばよいかわからず不安が大きい」と話していました。
 生活扶助の見直し額は今月中に決定され、来年度から反映される見通しで、市民団体では今後も引き下げの撤回を求める署名活動を続けることにしています。

ユニセフ事務局長 日本の子どもの貧困率に懸念
(NHK 12月14日 4時42分)
 日本を訪れているユニセフ=国連児童基金のレーク事務局長がNHKの取材に応じ、日本の子どもの貧困率が先進国でも高い水準にあることに懸念を示し、格差の解消に向けて教育などの機会の平等を確保すべきだという考えを示しました。
 ユニセフのアンソニー・レーク事務局長は13日、都内でことしの「世界子供白書」を発表したのに続いて、NHKのインタビューに応じました。
 レーク事務局長は、国連が掲げる世界の持続可能な開発目標「SDGs」が、あらゆる貧困の解消を掲げているにもかかわらず、日本の子どもの貧困率が先進国の中でも高い水準にあることについて、「日本のおよそ16%の子どもが深刻な貧困状態にある。SDGsの下で、とりわけ豊かな社会において子どもが飢えや格差に苦しむことがあってはならない」と懸念を示しました。
 そして、「相対的な貧困はどの社会にも存在するが、その原因の多くは医療と教育の不平等にある」と述べ、日本でも子どもたちが医療や教育を平等に受ける機会が確保されるべきだという認識を示しました。
 また、ことしの「世界子供白書」がネット空間での若者の保護を提言していることについて、「インターネットは若者にとってよい側面がある一方、悪用されることもある。ネット上のいじめや、残虐な事件、人身売買などに利用される影響は大きい」と述べ、各国の政府やIT業界と協力して対策を進めていく考えを示しました。

参考: 「ユニセフ最新報告 〜日本の子どもの『豊かさ』は?〜」(くらし☆解説)NHK 2017年06月28日 (水)


年末まであと4日。さあ、元氣に参りましょう。
サンタ20171225
札幌市内の保育園にて@25日(月曜日)

昨日12月23日、今上陛下はお誕生日をお迎えになった。おめでとうございます。彼の84歳の誕生日を祝う皇居で行われた一般参賀に集った民衆は記帳者も含め、計5万2千300人となった。陛下は午前中に計3度、皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女眞子さまと共に、宮殿・長和殿のベランダに姿を見せた。今回の一般参賀では初めて、耳が不自由な方たちの為に手話通訳が行われた。

午後には宮殿で祝宴が開かれ、皇族方や安倍晋三首相らが出席。陛下は「国の発展と国民の幸せを願い、併せて一同の健康を祈ります」とお言葉を奉られた。続いて外交団との茶会が開かれ、夕方からは二重橋などのライトアップが行われた。


69年前の1948(昭和23)年12月23日午前零時20分、東京裁判(極東国際軍事裁判)にて有罪判決を受けた7名が処刑。第一組として土肥原賢二氏、松井石根氏、東條英機氏、武藤章氏の4名が、ついで第二組として板垣征四郎氏、広田弘毅氏、木村兵太郎氏の3名の絞首刑が執行させられた。これは先の大戦に勝利した連合国側の一方的な裁判による刑罰であり、私たち日本の民衆としてはこのようなものを裁判として認めるわけにはいかない。

1952(昭和27)年4月28日、前年の9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約が発効。 条約発効直後の5月1日、木村篤太郎法務総裁からA級戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために4度の国会決議もなされた。主権を回復して、国際社会に復帰した日本国の国会は国内と国外での「抑留又は逮捕された者」たちの減刑と早期釈放を関係各国に要望した。1953(昭和28)年以降、ご遺族は国内法による遺族年金または恩給の支給対象となった。これにより少なからず名誉回復がなされた。


「戦犯在所者の釈放等に関する決議」(1952(昭和27年)年6月9日・第13回国会参議院本会議第49号)
「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」(1952(昭和27)年12月9日・第15回国会衆議院本会議第11号
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953(昭和28)年8月3日・第16回国会衆議院本会議第35号
「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」(1955(昭和30)年7月19日・第22回国会衆議院本会議第43号

サンフランシスコ講和会議の参加48カ国は、 「戦争犯罪による受刑者」の減刑・釈放に同意してくれた。しかしながら、それは国際社会が「戦争犯罪による受刑者」を無実と認めたということではない。なお、この講和会議には、北京政府・台湾政府・北朝鮮・韓国およびモンゴル人民共和国は招請されなかった。英国はマラヤ・シンガポール・香港などの出席を求めずに、英国が彼らを代表した。 覚えておきたいことがある。それは、私たち日本の民衆と政府が未(いま)だ東京裁判自体とその判決を無効にできないでいる事実。

もうひとつ。東京裁判でA級戦犯28人が起訴されたのは、1946(昭和21)年4月29日の昭和天皇誕生日。その裁判は同年5月3日午前11時20分、市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂において開廷した。27億円の裁判費用は当時連合国軍の占領下にあった日本政府が支出。この6か月後の同年1946(昭和21)年11月3日に日本国憲法(新憲法)は公布され、その6か月後の翌年1947(昭和22)年5月3日に施行された。そして1948(昭和23)年の昨日12月23日、当時は皇太子だった今上陛下の15歳の誕生日に東條英機氏ら7名が命を奪われたのであった。

大日本帝国憲法(明治憲法)の時代は、個人の尊重や個人の自由ではなく、国家主義つまり国家が何よりも大切であった。国民は天皇を中心とした国家を支えるための臣民(皇族以外の民衆=家来)であった。国全体が家制度のようなもので、家長である天皇が皇族または臣民を守ってあげるだから、臣民は家長のために命を投げ捨てて戦うのだという発想があった。「民(たみ)」には渡ることが許されなかった二重橋を渡ることができた「臣(おみ)」である東条氏ら7名の死は「殉職」と観ることができる。その意味は、己が職務を果たすべく命を捧げたということ。

昨日が東条氏ら7名が殺された日だということを知る人は、そう多くはないだろう。加えて、この日が「ジミーの誕生日」であるということを覚えている方は皆無かもしれない。ただおひとりを除いては。

(追記)
皇居に安倍総理大臣や閣僚を招いて行う予定だった昨年の12月19日の昼食会は、かぜによる発熱の症状があることから取りやめられた。今年は無事行われている。めでたし、めでたし。
天皇陛下、閣僚ら招き昼食会=皇居
(時事 2017/12/21-12:43)
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昼食会で安倍晋三首相らと歓談される天皇陛下=21日午後、皇居・宮殿「連翠」(代表撮影)
 天皇陛下は21日、安倍晋三首相や閣僚、副大臣ら約40人を皇居・宮殿に招き、昼食を共にされた。年末の恒例行事で、皇太子さまも出席した。
 昼食会に先立ち、安倍首相が招待へのお礼を述べると、陛下は「皆さんが国民のために日夜国務に精励されてきたことを誠にご苦労に思います」と慰労。食前酒のグラスを手に、笑顔で歓談した。


閑話休題(それはさておき)


尊敬する草苅健氏のホームページ「雑木林&庭づくり研究室」で、以下のように仰っていただき恐縮しております。今後も精進いたします。ありがとうございます。
■12/21 随流去(ずいりゅうこ)、「流れのままに」
久々に「北の森カフェ」でリンク先をチェック。この秋に廻った千葉・茨城の古刹のHPを加えました。そして畏友・斎藤雅紀さんの表題のブログ「流れのままに」を改めて訪問。いつもながら背筋のピンとする主張と祈りが唱えられます。思わずこちらも姿勢を正し、心の中で合掌。

参照: クリックまたはタップしてご覧いただけるとうれしいです。
生彩ある人生 「ソーシャル・キャピタル」(2017年09月06日)
生彩ある人生 「深雪万象」(2016年02月06日)
生彩ある人生 「the Commons」(2015年08月05日)
生彩ある人生 「見切り」(2015年04月25日)
生彩ある人生 「フューチャー・センター」(2015年01月03日)
生彩ある人生 「水と食料と燃料」(2013年11月04日)


今夜はクリスマスイヴ。聖書暦の一日の始まりと終わりは、一日が12amに始まり翌日の11:59pmに終わる太陽暦とは違う。日没後に星が3つ見えたら一日が始まり、翌日の日没までがその一日の長さとなる。日の長さによって一日の始まりと終わりが毎日変わる。だから、今は太陽暦では24日の20:22だが、聖書暦では既に日が変わって25日のクリスマスになっている。太陽暦ではクリスマスが二日にまたがるので混乱を避けるために前夜を「イヴ」と呼ぶが、聖書暦には「イヴ」と呼ぶ日はなく「クリスマス」があるのみ。


メリー・クリスマス🎶

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