流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一八年弥生

日に日に暖かくなって参りました。札幌市は積雪零センチ。街は早朝にほんのりと雪化粧したが、燦々の太陽が顔を見せてくれた。実に、ありがたい。
朝陽_20180330_060314
朝陽@旭ケ丘2018.03.30.06:30

さて、年金入力ミス問題、いわゆる森友問題、そして中朝関係の三つについてメモしておこう。

日本年金機構は26日、入力ミスで約10万4000人に計約20億円の過少支給、約4万5000人に計約8000万円の過大支給があったと発表。年金機構から個人情報の入力を委託されたSAY企画(平成15年設立・東京都豊島区)は、二つの契約違反をしていた。ひとつは、2人1組で手作業で入力するよう指定されているものを機器に読み込ませてデータ化していたこと。読み取りミスのチェックはなかったという。もうひとつは、中国の業者に禁じられている再委託をして、受給者約500万人分の扶養家族の氏名を入力させたこと。ちなみに、中国の業者は手作業で正確に入力したが、データを受け取ったSAY企画が情報を整理する際に誤変換して、約55万人分の源泉徴収票で氏名の表示を誤った。経営者のメンタリティー(心のあり方)と倫理観が問われる問題だ。二つの課題が見えてきた。ひとつは、いかにして今後このような事件を未然に防ぐのかということ。もうひとつは、良心を失い心がねじ曲がった経営者を、いかにして成長したたましいの持主である日本人経営者となるべく指導・教育してくのかということ。創造的な課題である。

参考:年金入力ミス、中国業者が担当した部分は完璧だった!?中国ネットの反応は…(Record china 2018年3月29日(木) 12時50分)

二つ目は、政局(対立軸)になってしまったいわゆる森友問題。森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改竄(かいざん)事件である。27日(火曜日)に前国税庁長官の佐川宣寿氏(1957年生)の証人喚問が行われた。国政調査権は、日本国憲法第62条に「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の 出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と規定。衆議院と参議院により構成される「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会(議会)が、その職責を有効に果すために必要な情報の取得を目的として行うことが認められている。にもかかわらず、佐川氏の「刑事訴追を受ける可能性がある」との理由による答弁拒否によりその調査権能は無力と化した。驚くべきことに、彼の答弁拒否は午前の参議院と午後の衆議院で計40数回に及んだ。この証人喚問を以て何が解明されたのかは不明だ。

昨年5月8日の衆院予算委員会で「海苔弁」問題が取り上げられたのは記憶に新しい。森友学園から近畿財務局に提出された国有地の「取得要望書」が開示されたものの、約100頁の文書の大部分が黒塗りであった。土地取得後に開校予定だった小学校の設置趣意書にある学校名にも「海苔」がかぶせられていた。それを改竄または削除の後に、政府はスミを塗ってない文書をオリジナルの如く公開。決裁文書の改竄または削除の指示は、一介の局長の身分の官僚が一人で実行できるものではないことは明らかだ。

問題があるとしたら争点は国有地不当値引きだろう。政治家たちが行政に何を要望したのかということと、行政が何を受け入れた(受け入れなかった)かということの事実。名前が削除された国会議員及び関係者にも質問する必要はありそうだ。彼らは、鴻池祥肇・参院議員(自民党);安倍昭恵氏(安倍晋三首相夫人);北川イッセイ元参院議員;平沼赳夫元衆院議員;鳩山邦夫元衆院議員;麻生太郎財務大臣(自民党);安倍晋三首相(自民党);中山成彬;衆院議員(希望の党);三木圭恵・前衆院議員;杉田水脈・衆院議員(自民党);上西小百合・元衆院議員の11名。(参考:「森友学園、文書から「名前が消された」国会議員、全リスト」)
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IT氏@東京タワー

最後、三つ目。朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮労働党委員長・金正恩氏(1984年生?)が特別列車で北京入りした。そして、彼は中華人民共和国主席・習近平氏(1953年)との首脳会談を行った。南朝や合衆国には事前通告があったようだが、日本には無かった。この事実と状況に鑑み、日本抜きでの隣国外交を悲観する識者がいるようだが、心配には及ばない。
第一に、中朝が強い絆で結ばれたことで、合衆国による北朝攻撃の可能性は激減したのだから日本にとってはウエルカム。すなわち、有事の際の北朝と南朝からの日本への(武装)避難民の流れを阻止することにつながり、かつ南朝に在住する日本人の保護対策にも繋がる。
第二に、半島の統一は望まれているわけではないこと。中国は自国と同じ一党独裁の共産国である北朝を同盟国として堅持し、38度線を維持して、半島統一の実現可能性を高めようとはしないこと。この点に関して少しばかり敷衍したい。「緩衝地帯論」というのがあって、もし北朝鮮が崩壊したなら合衆国軍が鴨緑江と豆満江を隔てて中国と対峙し駐屯することになる。その時、中国は軍事費を確実に増大しなければならない。だから北朝を緩衝地帯として存在せしめるべく対北支援を継続している。北朝は、中国にとっての安全保障上のアドヴァンテージ(政治的均衡要因)といえる。加えて、1961年締結の中朝友好協力相互援助条約も継続中であることを知っておきたい。
第三に、インバウンド(Inbound:海外の人々が北朝へ訪れること)とアウトバウンド(Outbound:北朝の民衆の海外旅行)の需要と供給が急激に増大することはないだろう。共産中国と同盟関係にある金王朝の北朝は、南朝の民主的政治体制と資本主義的経済そして自由なジャーナリズムを容認したくはないだろう。任期を定めない国家主席の地位を容認した中国と、大日本帝国が終焉する頃の天皇神話や天皇神格化を継承した朝鮮労働党の金王朝とには、王政(monarchism)が敷かれている。People's Republic of China(PRC)とDemocratic People's Republic of Korea(DPRK)は、実質的に、共和制・共和政(republic)と共和主義(republicanism)を持ち合わせていない。人民の解放よりは、人民の支配または封じ込めを求める悪しき王朝の現代版であろう。一党独裁の共産主義体制の維持こそが両国の最優先事項なのだから、そう簡単に、急進的に民間交流が始まることはない。

中国の北朝への強力なサポートは、南北朝鮮が自ずから歩み寄り統一朝鮮を形成するのを助けるのではなく、在韓合衆国軍の継続的駐留を確実なものとする現状維持(Maintain Quotes)の政策と見ることもできる。
真新しいことは、北朝が自前の核開発・核武装の放棄と引き換えに、安全保障策として中国の核の傘の下に入ったことだろうか。これにより、「中国+北朝」そして「合衆国+南朝」の四国間の軍事力に一定の等質性(パリティ)が与えられたといっても良いだろう。

しかしながら、駐南朝の合衆国大使すら置かずに空席にしてるトランプ大統領(1946年生)は、国務省や軍産複合体が北朝と南朝を長期的に対立させ在南朝合衆国軍を駐留させ続ける政策に反対しているようだ。国務長官のポジションを慧眼の士であるレックス・ウェイン・ティラーソン氏(Rex Wayne Tillerson:1952年生)からCIA長官をしてきたマイケル・リチャード・"マイク"・ポンペオ氏(Michael Richard "Mike" Pompeo:1963年生)に交代させた理由は、国務省(軍産複合体)勢力の無力化にあったと思われる。軍産複合体(国務省)が永続化したかった南北分断構造を終わらせたいトランプ大統領は、レーガン大統領(1911〜2004)とソ連邦第8代最高指導者であったゴルバチョフ氏(1931年生)とが「Rega-Chev(レガーチェブ)」と呼ばれたような関係を金正恩氏との間に創り出そうとしているのかもしれない。

1986年4月にゴルバチョフ氏は「ペレストロイカ」(建て直し・再建)を提唱してソ連邦体制の改革に着手したが、同年4月26日にはチェルノブイリ原発事故が発生。それを契機に、情報公開(グラスノスチ)を一気に推進した。このような流れは、北朝にも起こり得るに違いない。願わくは、北朝の社会が解放され、北朝の民衆の人権が回復され、拉致被害者や日本人配偶者の問題の解決あらんことを。
クリスサン20180329
Still River@ Chris Sun

両陛下が沖縄入り、11回目 在位中は最後か、慰霊と与那国に
(東京新聞 2018年3月27日 13時56分)
 天皇、皇后両陛下は27日、羽田発の特別機で沖縄県入りされた。沖縄本島では戦没者を慰霊するほか、近くに台湾を望む与那国島にも初めて赴く。太平洋戦争で激しい地上戦の舞台となり、戦後も米軍施政下に置かれた沖縄県に心を寄せてきた両陛下が強く希望し、再訪が実現。陛下の天皇在位中では最後の機会となる見通しだ。
 両陛下の沖縄訪問は、2014年6月以来で、皇太子夫妻時代も含め11回目。2泊3日で那覇市に宿泊し、29日に帰京する。
 両陛下は、終戦の日と広島、長崎への原爆投下日、6月23日の沖縄慰霊の日を「忘れてはならない四つの日」とし、毎年黙とうしている。(共同)

皇后陛下のご体調とご日程について
 皇后さまには今年1月頃から,時におみ脚に強い痛みがあり,日常生活への大きな支障はないものの,お痛みは断続的に続いておられます。
 頸椎症性神経根症のお痛みなどもあり,宮中祭祀へのお出ましは段々と難しくなってきておられ,最近はせめて春季,秋季の皇霊祭・神殿祭と昭和天皇祭,香淳皇后例祭の時だけはと続けてこられましたが,二殿をお参りになる春季,秋季の皇霊祭・神殿祭はすでにご無理と思われ,明日のお参りも侍医の判断からお取りやめ願うことでご了承いただきました。
 今後はご様子を見つつ,6月の香淳皇后例祭へのご出席を決めることになりますが,この秋の皇霊祭・神殿祭のお参りはご欠席となります。
平成30年3月20日:侍従職

天皇沖縄訪問 命とうとし平和を願う
(東京新聞 2018年3月27日)
 天皇、皇后両陛下が二十七日から沖縄県を訪問される。太平洋戦争では地上戦が繰り広げられ、戦後も米軍の施政下に置かれた。在位中では最後の訪問となりうるだけに陛下の強いお心が伝わる。
 両陛下には「忘れてはならない四つの日」がある。終戦の日、広島と長崎の原爆被災日、そして六月二十三日の沖縄慰霊の日である。その日は沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされ、陛下は毎年欠かさず、黙とうしているという。
 それほど沖縄には格別な思いがある。昭和天皇も生前、「沖縄県に行くことはできないか」と漏らすほどだったがかなわなかった。それも重い事実としてある。
 陛下の沖縄訪問が実現したのは、皇太子時代の一九七五年のことだ。だが、慰霊碑の「ひめゆりの塔」の前で、活動家に火炎瓶を投げ付けられる事件も起きた。即位後の九三年には歴代天皇として初めて沖縄県を訪れ、「ひめゆり平和祈念資料館」で、ひめゆり学徒隊の話をお聞きになった。
 近年では二〇一四年にご訪問され、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊した。太平洋戦争中に米軍の魚雷攻撃を受けて沈められた船である。戦争の影が消えぬ地であり、陛下もそれを忘れぬ思いが強い。そう感じられる。
 今回の沖縄訪問は、戦後七十年を迎えるに当たって訪れた一四年六月以来で、皇太子夫妻時代も含め十一回目となる。
 初日は糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で、沖縄戦で亡くなった犠牲者を慰霊するほか、二日目は与那国島を訪ね、日本最西端の碑や日本在来馬の一種「与那国馬」などを視察する。
 これは退位の意向をにじませた一六年のビデオメッセージで島々への旅を「天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と語ったことにも通じる。過去には伊江島や宮古島、石垣島、久米島を訪問している。

 <みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし>

 皇太子時代の七六年の歌会始で詠まれた歌である。むろん、その前年に沖縄の摩文仁を訪れたことを踏まえている。住民を巻き込んだ大激戦地である。県民の四分の一が犠牲になったという。
 来年の四月末で退位する。その陛下が大事にされる公的行為として、沖縄の地を踏む意味は一貫し、慰霊と平和を願うお気持ちに他ならないであろう。

天皇皇后@20180327糸満市摩文仁
沖縄平和祈念堂に到着した天皇、皇后両陛下=27日午後2時39分、糸満市摩文仁
天皇皇后@20180327那覇空港天皇皇后@20180327みんな@那覇空港
27日午後、那覇空港・国内線ターミナル北側玄関前
天皇皇后@20180327那覇市泉崎・ANAホテル
27日午後4時、那覇市泉崎・ANAクラウンプラザ沖縄ハーバービューホテル
※写真は「天皇、皇后両陛下が来県 翁長知事ら出迎え、終始にこやかに」(沖縄タイムス 2018年3月27日14:43)より引用

(参照) 流れままに 「新しい日本の旅 」(2015年04月04日)

大きな笑顔の佳き水曜日を

「復活祭の兎」(イースター・バニー:Easter Bunny;Easter Rabbit;Easter Hare)は、「復活祭の卵」(イースター・エッグ:Easter egg)を運んでくる兎さんで、西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント)での16世紀以降の慣習。兎は「breed like bunnies;breed like rabbits(たくさん子供を産む)」という慣用句に見られるように、豊穣のシンボルとして復活祭の民間伝承に取り入れられた。他方、東方教会(正教会・東方諸教会)の復活祭には、紅卵(イースターエッグ)はあるが、イースター・バニーはないようだ。

その昔、兎は雌雄同体だと広く信じられていたらしく処女性を失わずに繁殖することができるとの解釈から聖母マリアと相性が良いものとされた。北方ルネサンス絵画には、聖母マリアと幼子イエスと共に兎さんが描かれた。飼育されている家兎なのか、野生の兎である野兎なのかは定かではないが、生命の偉大さを伝える工夫だと思う。
うさぎの聖母
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、通称ティツィアーノ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490年−ヴェネツィア、1576年)《聖母子と聖カテリナと羊飼い》、通称《うさぎの聖母》1525−1530年頃
油彩、カンヴァス 縦71cm、横87cm Inv. 743 ルーヴル美術館、パリ
c 2007 Musee du Louvre / Angele Dequier
うさぎの聖母子
作者不明《うさぎの聖母子》16世紀初頭
グリザイユ(単色画法)、塩化銀の黄、ステンドグラス 縦27cm、横183cm Cl.14146
国立中世美術館、クリュニー浴場跡、パリ
c Photo RMN - c Jean-Gilles Berizzi


英語の「Easter」の語源は、野兎を従えているゲルマン神話の春の女神「Eoster」(エオストレ;エオステレ)と言われる。エオストレに春の訪れを感謝するために、兎さんたちが春色に塗り分けた綺麗な卵をプレゼントしたところ、彼女は大変喜びで、卵を春風と共にみんなに配ったという伝承もある。

「問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)」と呼ばれたローマ教皇グレゴリウス1世(Gregorius I:540年〜604年3月12日)は、教会改革に熱心な人物として知られるが、ヨーロッパの古い宗教の伝統を典礼の整備などに取り入れることにも熱心であった。彼はエオストレの伝承により、厳冬が開けると草木が芽を出し、動物たちが野を駆け回る春の訪に、イエス復活のインスピレーションを得た。だから、エオストレを祭る春の祭典をイエスの復活祭に取り入れたのだろう。

ドイツには、こんなお話しがある。ゴルゴタの丘(エルサレムの丘)での公開処刑後に、イエスが洞窟のお墓に入るときのこと。一匹の兎さんが紛れ込んだ。そして、その兎さんは洞窟の中でイエス復活を目撃した。証人となったのだから、この復活の事実を人々に知らせようと試みるが、人間の言葉で伝えることができない。そこで、命のシンボルである卵に、イエス復活を強調する色を塗り、人々に知らせ届けたという。
Easterbunny_1
そう、マグダラのマリアについてもお話ししておきましょう。これは福音書には記されていない伝承です。彼女はイエス昇天の後、聖母マリアと使徒たちと共に毎日祈り、第一の証人としてエルサレム中にイエスの復活を伝えた。そして、イエスの愛(=道)を伝えるための旅を始めた。彼女はローマへ赴き、皇帝ティベリウスに会って紅い鶏卵を献上し、イエスの復活を報告。彼がエルサレムの丘で十字架にかけられた磔刑(たっけい)は公開処刑にして不法であったと皇帝に訴えた。彼女の鶏卵の献上は、祝賀・敬意の気持ちを示す際のユダヤ人の慣習に従ったものだが、その鶏卵が紅卵であったので復活祭にカラフルな卵を贈る習慣が始まったと言われる。
復活祭の紅卵(函館正教会)
復活祭の紅卵(函館正教会)

Happy Easter!
Have a good easter weekend!


(追記)
バニーガールは、合衆国の雑誌『PLAYBOY』との連関でマネジメントされた「PLAYBOY CLUB」のウエイトレス衣装として考案されたもので復活祭との関係は薄い。ただし、ここに回春の一端を会得するなら、文字通りエオストレのご神徳を体感することになるだろう。さて、バニーガールは商標登録されていて名称は「Playboy Bunny」(合衆国商標番号/U.S. trademark registration number:0762884)。1960年2月29日夕方、シカゴのプレイボーイ・クラブでお披露目された。
バニーたちに囲まれるヘフナー氏
S&G and Barratts/EMPICS Archive
https://www.huffingtonpost.jp/2017/09/28/hugh-hefner_a_23225523/より引用
Playboy_Bunnies_2011
Playboy Bunnies at the Playboy Mansion, July 23, 2011

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