流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一八年卯月

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朝陽@旭ケ丘2018.04.29.05:02:47
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朝陽@旭ケ丘2018.04.29.05:20:03


第一次世界大戦終結(1919年)から第二次世界大戦勃発(1939年)までの約20年間、白熱電球の寿命を1,000時間以内に規格化する計画的陳腐化が世界15ヵ国の企業の参加で実行された。日本からは東京電気株式会社が参加。これが歴史上最初のカルテルと言われる「ポイボス・カルテル(Phoebus cartel)」である。人為的に電球産業における正当な競争を減少させ、恣意的な価格上昇を容認せざるを得ないマーケットが形成された。寿命の長い電球を製造するための技術開発(R&D)ではなく、当時の各電球メーカーの白熱電球の平均寿命(1500時間〜2500時間程度)を大幅に短縮するR&Dが求められたのは滑稽だ。この計画的陳腐化が世界規模で実現された理由はふたつある。ひとつは、世界の電球会社が「消費者の電球の買い換えを促進できるなら、利益確保が見込める」というアドヴァンテージをシェアできたから。もうひとつは、消費者が「白熱電球は1,000時間程度の寿命が最も効率的で、熱を発すれば発するほど明るくなくなり電力が無駄になるトレードオフの関係にある」というカルテルの嘘を疑うことなく信じてしまったからであった。1926年〜1927年に3億3570万個の電球が販売され、その4年後の1930年〜1931年には売上個数が4億2080万個に上昇したのはPhoebus cartelの効用であった。しかしながら、この計画的陳腐化はブランド力を持たない日本の小工場や家族経営の製作所群が作る白熱電球が合衆国やヨーロッパなどに輸出されたことで終焉を迎える。価格はカルテル企業の電球の数分の1であり、消費者にとっての満足度は高く、ヒット商品となった。1922年の生産量は4,500万個であったが、1933年のそれは3億個へと上昇増加した。カルテル企業の電球販売個数は、1930年〜1933年の約4年間で20%以上減少。計画的陳腐化をリードしたPhoebus cartelを陳腐化したのは、合衆国やヨーロッパなどの消費者の購買行動と、カルテルへの参加資格を持たない小さな日本の電球製作所群の電球であった。その後、世界の電球会社はPhoebus cartelが不用であると考える自由を手にして、消費者にとってのコストパフォーマンスを高めるR&Dを推進。当初の契約期間が1955年までとなっていたポイボス・カルテルは、1940年に廃止されることになった。

このように、望まない構造をより良いものへと改善する方策よりもその構造自体を陳腐化する方策もありだ。一昨日の半島38度線の板門店での南北首脳会談は成功裏に幕を閉じたように見えた。演劇は役者、映画は監督、テレビは脚本で良し悪しが決まると言われる。南朝双方のリーダーは共に政治家という役者(Hypocrite)(※注1)であり、北朝以外では生中継されていたやり直しの利かない(限られた時空の)舞台で演出家の指導よろしく、脚本通りに上手に演じたという印象。脚本・演出は、かって全大協のナンバーワンであった人物で北朝のエージェントと見られる任鐘哲(イム・ジョンソク)大統領秘書室長であろうか。核やミサイルの廃棄は、南朝に駐留・展開する合衆国軍の撤退が必要条件となるだろう。合衆国軍産複合体の抵抗・反撃に対して、トランプ大統領と彼のタスクフォースがいかに戦うのか、ここが問題。軍産複合体を陳腐化させた結果が合衆国軍の南朝からの撤退なのか、合衆国軍の南朝からの撤退が軍産複合体を陳腐化させるのか。合衆国軍の半島からの撤退に賛意を示して、日本に駐留して日本を支配する合衆国軍に撤退してもらう流れにつなげる努力を日本の政治のお役目としたい。駐留合衆国軍の諸々の問題の解決策を見出すよりも、彼らの日本国内でのプレゼンス(存在感)を不要にするアイディアを考える自由を手するところから私たちの真の自立(独立)を始めたい。(※注2)


閑話休題(それはさておき)


日本と中国は4月16日、7年8カ月ぶりとなるハイレベル経済対話を行った。そして来月9日、日本が議長国を務める日中韓首脳会談が開催される。この会談に出席するため来日する中共の李克強(リー・クァーチアン:1955年生)首相は公賓、そして南朝の文在寅(ムン・ジェイン:1953年生)大統領は非公式訪問となる。日本の外務省の海外要人の待遇は、日本政府が滞在費用(対象者の宿泊滞在・国内移動・通信・警護費用等)を負担する公式訪問と、訪問者がすべての経費を負担する非公式訪問に分かれる。公賓となる李首相は(他に宿泊希望先名がない場合には)迎賓館赤坂離宮に宿泊し、天皇と会見する。彼が夫人を同伴した場合は、皇后陛下も同席。天皇皇后両陛下は李首相(夫妻)を宮殿や御所にお招きし、午餐(昼食会)を催される。
午餐
午餐(宮殿 連翠)

李首相来日、公賓で調整=5月9日に日中首脳会談−政府
(時事 2018/04/26-15:53)
 政府は、日中韓首脳会談に出席するため来日する中国の李克強首相について、行政府の長としては最高位の接遇となる「公賓」とする方向で調整に入った。今年は日中平和友好条約締結40周年に当たり、李氏の厚遇を関係改善につなげたい考えだ。安倍晋三首相との日中首脳会談は、3カ国会談と同じ5月9日に行う見通し。複数の日中関係筋が26日、明らかにした。
 中国の首相が公賓として来日するのは、2007年4月の温家宝首相以来となる。国賓は大統領ら国家元首、公賓は行政府の長らが対象。温首相は当時、天皇陛下と会見しており、李首相も陛下と会見する見込みだ

安倍首相、中国外相と会談=北朝鮮問題で連携
(時事 2018/04/16-19:37)
中国の王毅国務委員兼外相(左)の表敬を受ける安倍晋三首相=16日午後、首相官邸
安倍首相&中国外相 0180416at58_p 安倍晋三首相は16日、中国の王毅国務委員兼外相と首相官邸で会談した。両氏は北朝鮮の核・ミサイル問題に関し、「北朝鮮の非核化は日中共通の目標」との認識で一致。首相は北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決に向け、中国の理解と協力を求めた。
 首相は、5月に日本で開催予定の日中韓首脳会談に合わせた李克強中国首相の初来日に触れ、「李首相の訪問を通じ、戦略的互恵関係の下にさまざまな分野で日中関係を改善させていく契機としたい」と強調。王氏も「日中双方がより広く長期的な観点で、両国関係改善のプロセスを推進していかなければならない」と応じた。

日中韓、5月9日に東京で首脳会談 マスコミ
(スプートニク日本 2018年04月08日16:55)
 日本、中国、韓国は、5月9日に東京で3カ国首脳会議を開催する方向で最終的な調整を進めている。NHKが報じた。
 これにあわせて中国の李克強首相が就任以来初めて日本を公式訪問し、安倍首相と個別に会談を行う予定。
 また李首相は、経団連などが開催する会合に出席し、中国が提唱する「一帯一路」について話をする見込み。さらに天皇陛下との会見も調整されているという。
 なお先に共同通信は、韓国の文大統領の3カ国首脳会議への参加について、非公式訪問になる予定だと報じた。
 日中韓首脳会議は2015年11月に韓国ソウルで開催されて以来、途絶えていた。

李首相来日、公賓で調整=5月9日に日中首脳会談−政府
(時事 2018/03/28-19:05)
 政府は、日本が議長国を務める日中韓首脳会談について、5月9日を軸に東京で開催する方向で調整に入った。実現すれば、2015年11月にソウルで開かれて以来となる。政府関係者が28日、明らかにした。
 今回の日中韓会談には安倍晋三首相と中国の李克強首相、韓国の文在寅大統領が出席。李首相と文大統領はいずれも就任後初めての来日となる。3カ国会談に合わせて、日中、日韓首脳会談もそれぞれ個別に開催する方針だ。

(※注1)
Hypocrite には「偽善者」の意味があるが、政治用語では「役者」の意味となる。
(※注2)
現在、憲法9条の改正はわが日本にとって最優先事項ではない。
参考: 流れのままに「平和憲法思案」(2015年05月03日)


大きな笑顔の楽しい黄金週間をお過ごしください。

(追記)
ご引見(中華人民共和国国務院総理「公賓」)(御所) 平成30年5月10日(木)
天皇陛下@ご引見(中華人民共和国国務院総理「公賓」)

朝陽_20180423_051410
朝陽@旭ケ丘2018.04.23.05:14:10

陽光から静かに愛を注(そそ)ぐ真空を知る。
全力で注いでもらった静かな空氣(氣持)を大切にしたい。

東京タワー_20180421
IT氏@東京タワー

東京タワーが好きだ🎶

東京タワーの設計は、「塔博士」と呼ばれた内藤多仲(たちゅう)氏(1886年6月12日〜1970年8月25日)。70基の鉄骨構造の電波塔・観光塔の設計を手がけた。

名古屋テレビ塔 1954(昭和29)年6月完成  総工費2億2,460万円 高さ180m
通天閣(二代目) 1956(昭和31)年10月完成 総工費3億4,000万円 高さ108m
札幌テレビ塔   1957(昭和32)年8月完成  総工費1億7,000万円 高さ147.2m
東京タワー    1958(昭和33)年12月完成 総工費約30億円 高さ333m 

ちなみに、岡本太郎氏(1911年2月26日〜1996年1月7日)が設計した1970年完成の「太陽の塔」は、総工費は6億3,000万円・高さ70m。

ところで、建築士法(昭和二十五年五月二十四日法律第二百二号)が出来たのは今から68年前のこと。建築基準法(昭和二十五年五月二十四法律第二百一号)を制定してすぐに士法を制定。同法は田中角栄氏が42年間の議員活動を通じて自ら提出者として成立させた33の議員立法の最初の法律である。田中氏は「戦後の政治家は行政に精通し、予算書が読めて、法律案文を修正することが政治だと錯覚に陥っている者が多い。それでもいいが、国民各層の個別的な利益を吸い上げ、それを十分にろ過した上で、国民全体の利益に統合し、自らの手で立法することにより政治や政策の方向を示すことこそ、政治家本来の仕事であることを明確にしておきたい」(「中央公論」昭和42年6月号)と明言した。
第一号建築士は、山形県の渋江菊蔵氏。その後第10号まで山形の方が占めている。法制定時すでに建築に関する実務経験を有していた方々は試験を経ることなく選考によって資格取得。例えば、
内藤多仲(1886〜1970) 登録番号第17200号
田中角栄(1918〜1993) 登録番号第16989号
丹下健三(1913〜2005) 登録番号第15182号


勝新太郎氏(1931年11月29日〜1997年6月21)の住居は、いつも東京タワーを見渡すことができるマンションであった。妻の中村玉緒さんとの夫婦喧嘩で収拾がつかなくなると窓を指し、「東京タワーが見てる」と言いながら彼女の機嫌をとるのを楽しんだ。彼の葬式は「東京タワー葬」と言われ、祭壇のセットには東京タワーが。玉緒さんは東京タワーを見ながら勝さんを明るく見送り、勝さんは東京タワーが見てる場でいつものように玉緒さんから見送られた。


大きな笑顔の佳き日曜日を

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