流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

二〇一八年神無月

高校1年生の晩秋の頃。通学用にと両親から買ってもらった自転車を学校の駐輪場から盗まれた。それは人さし指一本で持ち上げることができるステンレス製のFujiの自転車。私はどこのだれかは知らないが、盗んだ者に腹が立って仕方がない。母は「持って行った人は必要があったのだから、きっと何かに使っているのよ。氣にしない、氣にしない」と私を宥(なだ)めてくれる。父は「姿・形ある物は必ずこの世からなくなるものだから」と私を諭す。間もなく、失った物など何もなかったことを覚(さと)る。そして、徒歩での通学を始めた。

この出来事の数日後、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した『レ・ミゼラブル』を読む機会に恵まれた。1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男、ジャン・ヴァルジャンが訪れる。彼は貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場に19年間、服役していた。司教は、それまで行く先々で冷遇された彼を暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたものだ」と告げ、彼を放免する。そればかりか、彼に2本の銀の燭台をも与える。結果、彼の行為と氣持ちがヴァルジャンに回心(Conversion)をもたらす。それまで人間不信と妬みの塊であった彼の魂は、愛(humanity)と許し(慈悲)を覚え、未来を決めるのは自分の意志なのだと知るのであった。

被害者意識と唯物とに耽(ふけ)る直線的思考は、頭と身体の老化を促す。ノンリニア編集(Non-linear editing)のように、自由自在に、即座に環境を追加・削除・修正・並べ替えることができる頭と心の軟さが必要となる。


閑話休題(ソレハサテオキ)


最後の晩餐でイエスは、パンを手にして「これが私の體(からだ)である」と言い、杯をとり「これが私の血である」と言って弟子たちに与えた。伝統的なカトリックと正教会のキリスト教徒たちは、この聖餐をサクラメント(秘跡)として受け取り、教会は「聖体拝領(ユーカリスト)」として儀式化した。この「イエスから与えられるパンとワイン」を、ノンリニア(非直線)的に「イエスへ与えるパンとワイン」として描いたのが映画『汚れなき悪戯(Miracle of Marcelino)』(1955年・スペイン)。

6歳に成る主人公・マルセリーノは、ある日、二階の納屋奥で壁に取り付けられた十字架に等身大のキリスト像を見つける。彼は小窓を開け、明るい中でそれを見つめるのであった。茨の冠を被ったキリストは痩せ細り、空腹に見える。少年は可哀想にと思い、一階の台所から一切れのパンを無邪氣に拝借し、「食べて」とキリスト像へ与える。すると、ゆっくりと静かにキリスト像の右手が動き、マルセリーノからパンを受け取った。それからのマルセリーノは、飢えと寒さに悩むように見えるキリストの許(もと)へ、無心にパンとワインを繰り返し運び続ける。キリストは、十字架から降り、マルセリーノが準備した古椅子へ座って、パンを食べながら彼に優しく話しかけた。



この小さなマルセリーノを心から慈しむ12人の修道士たち、十字架のキリストを可哀想に思う少年のあるがままの思いやり(humanity)、彼が抱く己が母とイエスの母への憧憬(しょうけい)の念、そしてキリストの愛(humanity)が渾然一体となって、死んだら終わりではないという場(この世)を形成している。サソリに刺され死線を彷徨いながらも修道士たちの献身により復活した少年は、イエスへのパンとワインそしてイエスの導きにより永遠の生命(いのち)を与えられるのであった。

この作品は、最後の審判(Last Judgement)の時が来ること、死者の魂とのコンタクトができること、死んだら終わりではないことの三つのことを知らせる作品なのだと心得た。

Last Judgement または最後の一厘の仕組みというものは、私たち一人ひとりの魂のレベルで始まる。死後の世界を知ることなく、死んだら終わりの唯物論を信じて自分のGreedy(強欲)のみを人生のゴールにしてはいないだろうか。考えてみよう。

この神知の仕組みを知り、あの世とこの世の関係を見極め、自分がいかなる約束を果たすために、どこから来てどこへ行くのかを知って、この人生がスタートした地点よりも進歩したところで、創造的に人生を終え、天界さらに神界に上り、そこで再び役割を担いたいと願う。


大きな笑顔の佳き週末を。

皇后陛下@h30年お誕生日
皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答

 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。

皇后陛下

 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。
 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく − そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 先々(さきざき)には,仙洞(せんとう)御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り陽(ひ)の見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸(たかまつのみやてい)であったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸(みやてい)を見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田(おた)の近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。
 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。


(参考)
1「ジーヴス」: イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス

2「大変な瓜田に踏み入るところでした」: 広く知られている言い習わしに「瓜田かでんに履くつを納いれず」(瓜畑うりばたけで靴を履はき直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から,疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。

富士山「初雪化粧」 地元市が宣言 昨年より11日早く
(朝日 2018年10月15日 13時12分)
7合目以上が雪に覆われた富士山
=2018年10月15日午前6時52分、山梨県富士吉田市上吉田、河合博司撮影

富士山@雪化粧宣言20181015 富士山(標高3776メートル)の7合目から山頂までが15日朝、雪で覆われた。
 ふもとの山梨県富士吉田市は「初雪化粧」を宣言した。宣言は「誰もがきれいだなと実感できる降雪」が判断基準で、昨年と比べて11日早い。山麓(さんろく)ではこの1週間、最低気温が15度を下回っており、多くの家庭で暖房器具を使い始めた。
 甲府地方気象台によると、山頂の15日午前7時の気温は零下8・6度。13日に気圧の谷が通過し、雨が降ったことでまとまった雪になった。山頂が雪をかぶる「初冠雪」は9月26日に同気象台が発表したが、その後、暖かい日が続き、夏山の姿に戻っていた。
 ふもとにある山梨県鳴沢村の人工スキー場「ふじてんスノーリゾート」でも朝から、本格的な冬の到来に備えてリフトの取り付け作業が始まった。気象庁によると、東日本は15日からの1週間、最低気温が平年より低くなるところもありそうだ。(河合博司)


閑話休題(それはさておき)


 収穫されたばかりの新穀を神にささげて恵みを感謝する伊勢神宮の「神嘗祭(かんなめさい)」が昨日15日から始まった。
 年間1500回に及ぶ神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭。
 神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭り。由貴大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)と奉幣(ほうへい)を中心として、興玉神祭(おきたまのかみさい)、御卜(みうら)、御神楽(みかぐら)などの諸祭を行う。
 さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園(じんぐうみその)で行われる御園祭(みそのさい)、神宮神田(じんぐうしんでん)で行われる神田下種祭(しんでんげしゅさい)、秋の抜穂祭(ぬいぼさい)、御酒殿祭(みさかどのさい)、御塩殿祭(みしおどのさい)、大祓(おおはらい)があり、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているように見える。

■豊受大神宮(外宮)
 由貴夕大御饌  10月15日(月) 午後10時
 由貴朝大御饌  10月16日(火) 午前2時
 奉幣      10月16日(火) 正午
 御神楽     10月16日(火) 午後6時
■皇大神宮(内宮)
 由貴夕大御饌  10月16日(火) 午後10時
 由貴朝大御饌  10月17日(水) 午前2時
 奉幣      10月17日(水) 正午
 御神楽     10月17日(水) 午後6時


 神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に「三節祭(さんせつさい)」と呼ばれ、神宮の最も由緒深い祭典。浄闇の中、15日午後10時と16日午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀が行われ、神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸、山の幸をお供えする。17日正午には、勅使をお迎えして奉幣の儀を奉仕。お祭りでは秋の実りに感謝申し上げ、皇室の弥栄、五穀の豊穣、国家の隆昌、並びに国民の平安を祈願する。
 神嘗祭は、両正宮に引き続き25日まで、別宮を始め、摂社・末社・所管社に至るすべてのお社において行われる。なお、両宮の内玉垣には天皇陛下から奉られた御初穂を始め、各地の農家から寄せられた稲束(懸税・かけちから)が奉献される。(映像は2015/12/09 に公開されたもの)


大きな笑顔の佳き日々を。

参照: 生彩ある人生 「伊勢神宮」(2007年12月12日06:00)



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