37484a37.jpg おはようございます♪
 今日も目覚めがさわやかだ。
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 高天原山(たかまがはらやま)は群馬県にある。この山の名前が、御巣鷹山(おすたかやま)と間違って報道され今日に至っている。あれから、20年になろうとしている。1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日本航空123便が高天原山に墜落し、520名の方々が昇天なさった。もちろん、生存者がいる。高天原山は4つの命を温かく護ってくれた。

 一昨年の夏、北海道神宮に参拝したときのことである。時刻は午後4時50分。閉門10分前である。白装束の方を中心とした5名の女性たちが、境内で神殿に向かって、いろは歌を歌い始めた。その中心人物らしき小柄な婦人は、「神宮寺光(じんぐうじ・ひかる)と申します。インド名はシータ・マーターです」と挨拶し、「以前どこかでお会いしています」と続けた。

 毎朝、啓示を受け、その導きに従って同行者たちと共に全国を行脚していると言う。もう一人、1m70cmほどの背丈の氣高くも寂しげな方が微笑みながら会釈をした。彼女に関しては、後日知ることになる。


 さて、航空安全推進連絡会議(略称「航空安全会議」)は、1966(昭和41)年の2月〜3月にかけて発生した連続事故を契機に、「航空の安全を最大の課題にし、事故の絶滅をはかることを目的」に、同年3月に航空労働者により結成された組織として知られている。運航乗務員、客室乗務員、整備士、航空管制官、航空気象、グランドハンドリングなど、日本の民間航空のあらゆる職場に働く労働者約2万2千名が参加し、上部団体を問わず、官民一体となって航空安全を追求しているプロフェッショナル集団である。英語名称はJapan Federation of Civil Aviationworker's Union for Air Safety (JFAS)。

 この航空安全会議のメンバーは、毎年墜落現場に慰霊に行っている。20年経った今でも新しい残骸などが見つかると言う。当時のメンバーには、プロフェッショナルとして、123便は自衛隊機に撃墜されたという見解を開陳した方々がいらしたようだ。彼らが故人となり、多くの資料が情報公開法の施行直前に処分されてしまった。

 http://mito.cool.ne.jp/detestation/jal123.swfをご覧いただきたい。

 北海道神宮での出会いの翌週、友人のA女史と食事をしたときのことである。なぜか話題が日本航空123便の話になった。そして、2つのことを知った。ひとつは、この救助に直接かかわった夫人が先週札幌に来ていたこと。もうひとつは、彼女がその夫人と食事を共にした際に、予期せぬ話を聴いたことである。

 …つづきは『20 years later(完)』(2005年08月12日)をごらんください

 感謝