58bc8de0.jpg日米和親条約が安政元年(1854年)に結ばれ、わが日本は諸外国に対し次々に開港していった。安政6年(1859年)、長崎、神奈川及び箱館の各港に「運上所」が設けられ、輸出入貨物の監督や税金の徴収といった運上業務や外交事務をはじめた。明治5年(1872年)の今日11月28日に運上所は「税関」と改められ税関が発足した。(参照:http://www.customs.go.jp/news/event/18event.htm)

さあ、今日は税関記念日で大安吉日!
良き日が始まる♪

昨日、午後3時のティータイムに、知人からいただいた一冊を紐解いてみた。
『伊丹万作全集1』(筑間書房)。
205頁から214頁に、こんなことが書かれていた。

(引用開始)
…だますものだけでは戦争は起らない。
だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された氣でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平氣でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
(引用終わり)

この『戦争責任者の問題』と題されたエッセーを書きあげてから5ヶ月後の1946年9月21日、彼は昇天した。46歳であった。彼には二人の子らがいた。息子は画監督・伊丹十三氏で、娘は大江健三郎夫人。

9・11事件直後、ニューヨーク日本総領事公邸では、それまで掲げていた日本の国旗を畳んだという。テロに狙われるのが怖くなり、現地日本人が駆け込むのを防ぐためだと噂された。その昔、敗戦前の関東軍が緊急事態発生の際に、邦人保護よりも自分たちが真っ先に逃げ出した行動パターンに似ている。日本人全体に奉仕することを職務としている公務員たちの一部が、わが身の安全を最優先事項にしてしまう精神構造に恥ずかしい思いがする。

 笑顔