cc3aed49.jpgおはようございます♪

昨日の猫ちゃんに関するお問い合わせをいただきました。
ありがとうございます♪

もちろん、本物の猫ちゃんです☆
1月8日に知人から携帯に送られてきた写真です。
メッセージには、「越智啓子先生ん家の猫ちゃんだそうです。かわいいですね」とあった。

この方がどなたか知らなかった。
そこで、博識(?)なワイフに聴いてみた。

『どなたか知らん・・・ねぇ、その方がどかしたの?』

そこで、携帯を渡し写真を見てもらう。

『癒しの猫ちゃんねぇ〜わぁ〜凄いわ! 彼女はこの猫ちゃんに癒されているのね』。
『いや、こんな人間の表情を持った猫だから、彼女が猫を癒しているんだよ』。
『猫ちゃんが、彼女を癒しているんだわ』。
『そうかな、彼女が猫を癒しているから、人間の表情を持ってしまったんだよ』。

「これはいかん!」 … このままでは水かかけ論でエンドレス・スパイラルに突入してしまう!
そう思い、円く収めることにした。

『いやぁ〜これは相乗効果があるんだよ。彼女と猫ちゃんは、癒し癒される関係でお互いが共に癒しあっているんだね』。

幸運にも、これ以上「鶏が先か卵が先か」論に発展しなかった。まぁ、この問題は「循環理論(サーキュレーション・セオリー)」で動学的に捉えると良い。静学的な始点(原因)と終点(結果)を持たなくなり、お互いが原因であり結果でもあるという生成・発展の形式をとり、「どっちが先?」という問題は不存在となるのだから。

後日、越智さんは沖縄県在住の医師であることを知った。
数冊の著作があり、講演旅行をして日本全国を回っていらっしゃる快活な方のようだ。

閑話休題。今日は久しぶりに名言特集といきましょう☆

◎「歴史的に真理なる人が世間に迫害されるのは世の常である。それゆえ、不当な扱いを受けるのは、偉大な心の持ち主にとっては氣持ちがいいものだ」(シラー)
◎「自由か、しからずんば死を与えよ」(シラー)
◎「祖国を愛した者のみが、祖国を去った」(シラー)
◎「世界を改革しようとした純心な人間が今まで何人も処刑場に消えたが、そういう人間は何百年、何千年と語り草になっているのに、多くの王侯は歴史の上で省略されてしまっている」(シラー)

フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller・ 1759年11月10日〜1805年5月9日)は、ベートーヴェン「第九」の詞を書いた文学者で、自由を求める不屈の精神力を持った人物を描くのを得意とした。彼はゲーテと並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者にしてゲーテの親友であり、良きライバルであった。40歳で病に倒れ、45歳で昇天。ゲーテは数日間泣き続けたという。二人の間には1,000通を越える書簡が交わされている。

シラーの辞世の句は、「"Immer heitrer, immer besser."(ますます快活に、そしてより良く)」

1826年、ゲーテは秘密裏にシラーの骸骨をアンナ・アマーリア図書館から借り出し、それを見詰めながら『シラーの骸骨に寄す』を詠んだ。また、世界語になった“センティメンタル”は、シラーの著作『素朴文芸と情感文芸』(Über naive und sentimentalische Dichtungen, 1795)で使用された用語“sentimentalisch”に由来している。

◎「米国の戦争目的が文化の為の戦いであるならば、たとえ敵国であっても、その文化財を破壊することは戦争目的に反する。文化は戦略に優先すべきである」。(ラングドン・ウォーナー ※第二次大戦中に日本の文化財保護リストを作成した人物)

◎「10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか」。(ゲーテ)

お楽しみいただけましたか♪
みなさん、良き週末をお過ごしくださいね☆   

 笑顔

※ 写真は、伊勢の皇太神宮(内宮)別宮 荒祭宮(あらまつりのみや)。ご祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。この荒祭宮はご正宮の北方、やや小高い所にご鎮座になっている。正宮参拝を終え、参道をもどると、旧正宮のあった古殿地の西南の隅に苔むした籾種石(もみだねいし)という大きな岩が目をひくが、その岩組みを見ながら右へ進むと、御稲御倉(みしねのみくら)があり、ついでつきあたりの外幣殿(げへいでん)を過ぎると、正宮の裏側(北側)に出る。さらに進むと左手に下りの石階があり、「踏まぬ石」を捜しながらここを降りると前方やや小高い場所に荒祭宮を仰ぎ見ることができる。
※ 神さま御魂(みたま)のおだやかなおすがたを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを「荒御魂」とたたえる。(以上)