cd955510.jpgおはようございます。
暑い日がつづきます。
このような日々にも感謝できるようになりました。
三浦綾子さんの『忘れえぬ言葉』の次のお話を知ったからでしょうか。

感謝婦人の知恵をお楽しみください。

(引用開始)

来る日も来る日も臥ているだけの私に、母はどれほど心を痛めていた事であろう。私は24歳で発病した。
・・・病いは重くなるばかりで脊椎カリエスも併発した。
友人達が次々と結婚し、子供を2人3人ともうけても、
私だけはただベッドの上に臥ているだけであった。

そんなある日、母からある婦人の話を聞いた。

その婦人はいつもいつも「感謝です」「感謝です」と二言目には感謝の語を発する人であった。自然その顔は、常に喜びにあふれていて誰からも敬愛されていた。たまたま、その人の住む地方に長雨が続いた。
10日、20日と雨は続きいっこうに止む気配はない。
人々は「困った雨ですね」という言葉を挨拶代わりに交わしていた。
・・・そんな最中、一人の人がその「感謝婦人」のことを思った。
(いくらあの人でもこの長雨ばかりは感謝してはいないだろう)
そして、彼女に会うなりに言った。
「なんと長い雨ですこと、困ったものですわね」
すると

「長い雨で感謝だと思っています。こんなに長く続く雨が、もし一度にどっと降ってごらんなさい。・・・洪水になって、家も人も、畑も押し流されるに決まっています。神さまはその大雨を長い日数に分けて、こうして毎日少しずつ降らせて下さっております。感謝な事ではございませんか。」と晴れ晴れとした顔で答えた。

私は長雨に感謝した婦人の心に打たれて、自分の長い病気の事を思った。
私の病気も長いものであった。・・・
身動きも出来ないベッドの中に寝返りも出来ず、毎日天井を見るだけの日々であった。・・・一生続く状態かも知れなかった。
 
そんな中で聞いた「感謝婦人」の言葉は大きかった。
彼女の考えを持ってすれば、神は痛みや熱や、倦怠感が短時間にどっと襲うことを許されなかった。10年を超える長い年月に分けて、私はその苦しみを少しずつ味わうことになった。考えてみると、それは誠にありがたいことであった。
症状が一度に悪化すれば、耐え切れるものではない。
確かに私は長い病気ではあったが、父母がいた、兄弟がいた、親切な友人達がいた。目も見え、耳も聞こえ、口も利け、手足も動く。
感謝すべきことはたくさんあった。

私は人間感謝しようと思えば、それは実に多い事に気がついたのである。

(引用終わり)

いかがでしたか。
この暑い夏に感謝して過ごしましょう♪  笑顔