77fe6021.jpgみなさん、おはようございます。

月曜の朝です。
新しい一週間の始まりです。

日曜の朝は9時から「新日曜美術館」を観るのを楽しみとしているが、昨日は9時半から観はじめた。

車椅子のご婦人が展示場でキュレートなさっている。
その美術館のスタッフは彼女からの大きな声で指示を受けている。

しばらくは、彼女がどなたか分からなかった。

日本語の上手なヨーロピアンのご婦人だなぁ・・・
どなただったかなぁ・・・

その彼女がスタッフに助けれながら美術館を出るとき、
30年前の記憶がよみがえってきた。

あれは、1977年。
母からひとりの映画監督を紹介していただいた。
その方は、『ねむの木の詩がきこえる』という作品を
製作し、上映のために全国をまわられていた。

そう、宮城まりこ女史である。

日本のこどもとして幸せに生きる権利をもちながら、
肢体に不自由を持ち、知恵に遅れを持ち、
両親のない子、家庭での養育困難な子、
また家庭から通学困難な子に生活教育を受けながら義務教育をと、
1968年に日本で初めての肢体不自由児のための養護施設を設立した人物。

番組の中で彼女は園児との興味深い対話を紹介してくださった。

『みんなから黄色って呼ばれているけど、色君はそれでいいの?』

『だったら、黄色にあなたの好きな色を混ぜてあげたらいいんじゃない』

今年80歳になった彼女は、今、ねむの木学園で理事長・園長・校長を
つとめながら、こどもたちの生活を見、教育の現場に立ちながら、
静岡県掛川市に生涯学習を基にした健康な人、ハンディを持った人、
老人、若者、ともに暮らせる「ねむの木村」を運営なさっている。

いままでの40年間を振り返り、
彼女は次のように語った。


『動機とかではなく、
 何かに、命じられて、
 やった氣がするの・・・』


感謝

※写真は、なかだよしえ女史の「やさしいとき」
 ねむの木ギャラリー
 http://www.nemunoki.or.jp/gallery/index.html
 より引用しました。