51334b3f.jpgおはようございます♪

太陽がSunSunの土曜日の朝です。

あれは1988年の初夏、日曜の早朝であった。いつものように近くのセントラルパーク(マンハッタン)を散歩していたときのこと。黄色い袈裟(けさ)姿の男がひとり、設営された演台に立ち、力強い演説を始めた。聴衆はわたしを含めて10人ほどであった。だから、目と鼻の先で彼のパワフルな言葉を戴くことが出来た。間もなく、その場は300人近くの聴衆でいっぱいになった。後日、テレビのインタビュー番組に彼が出演していた。やはりパワフルな言葉でインタビュアーと聴視者に語りかけていた。

この人物がダライ・ラマ14世であった。翌日、恩師のP.クオン教授に伺うと、非常にお金集めが上手い人だと教えてくれた。政治学者らしく、冷静に彼が何を得ているのかを見極めていた。翌1989年にノーベル平和賞を受賞することで、ダライ・ラマ14世の名はさらに世界に知られることとなった。

1997年10月8日、オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーがチベットで過ごした7年間、若きダライ・ラマとの交流を描いた『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)が合衆国で公開された。日本公開は12月13日であった。中華人民共和国では上映禁止となり、ジャン=ジャック・アノー監督および主演者のブラッド・ピットとデヴィッド・シューリスは生涯中国大陸への立ち入りを禁止されている。音楽はジョン・ウィリアムズ、演奏はヨーヨー・マ。ご覧下さい。おススメします。

1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万ドルの資金援助を1960年代に受けていたと語った。援助資金は、志願兵の訓練や対中国戦用のゲリラへの支払に当てられた。また彼への援助金は、スイスや合衆国での事務所設立や国際的なロビー活動にも使われた。長年に渡りチベット独立運動を支援したCIAのオペレーションは、中国やソビエト連邦などの共産国を弱体化させる目的の一環であったのは言うまでもない。

『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』(角川書店・2003)で、ダライ・ラマは「お金はもっと必要、経済格差の解消や貧困国に対しての援助の為のお金が足りない」「お金には魔力などありません」と、お金の大切さを説きながらも、「お金がすべてではない」と語り、「お金は公共物であり、他者から一時的に預かっている」という思想を開陳している。

わが日本政府は政治活動をしないことを条件に彼の入国を認めてきた。阿含宗との交流は深く、1983年に仏舎利を寄贈し、1984年には日本武道館で合同護摩を行った。1989年のオスロでのノーベル平和賞受賞式に阿含宗を招待している。また、オウム真理教とも交流があり、教祖であった死刑囚とは亡命先のインドで1987年2月24日と1988年7月6日に会談し、オウム真理教から布施の名目で1億円の寄付金を受領。1989年にオウム真理教の東京都での宗教法人格取得に際し、東京都に推薦状を提出している。さらに、1998年4月、京都で念仏宗無量寿寺が主催した「第1回全世界佛教興隆会議」にも参加し、週刊朝日によれば、念佛宗無量寿寺から布施の名目で2億円を受領した。眉をひそめる方々を目の前にしても、彼は「お金は公共物であり、彼らから一時的に預かったのだよ」と笑いながら大声で語るに違いない。

久々に彼の名を聞いたのは、昨年10月17日に合衆国議会からのthe Congressional Gold Medal(黄金勲章)受賞報道であった。黄色い袈裟(けさ)姿で授章式に臨み、式典冒頭の合衆国歌独唱には合掌して敬意を示した。第43代合衆国大統領ジョージ・ブッシュも授賞式に同席した。この黄金勲章授与に対し、中国政府は合衆国政府に抗議したという。合衆国のマスコミは彼のことをThe exiled spiritual leader of Tibetan Buddhists whom Beijing considers a troublesome voice of separatism. (北京政府が分離主義の厄介者と呼ぶチベットの仏教徒の追放されたスピリチャルなリーダー)と表現した。

なお、中華人民共和国(中国)では、「ダライ・ラマ14世」は、金盾(きんじゅん・ジンドゥン・Golden Shield Project・Great Firewall of China)の禁止ワードになっている。金盾とは中国のインターネット通信の接続規制・遮断する大規模な検閲システム。ジョージ・オーウェルの『1984』の監視システム「テレスクリーン」のようなもので、「赤いエシュロン」「サイバーの長城」、Great Wall(万里の長城)をもじって「Great Firewall」と呼ばれている。計画では今年2008年にデジタル信号処理(音声・映像・顔認識等)を応用することで完成する。Googleは海外にアクセスするコンピュータを中国国内に設置し、そのコンピュータからアクセスできないサイトはGoogle中国のブラックリストに載せている。
(http://www.nytimes.com/2006/04/23/magazine/23google.html?pagewanted=8&ei=5090&en=972002761056363f&ex=1303444800)

このように国家は国益と信じるもののために行動する。合衆国、台湾、韓国、中華人民共和国、ヨーロッパ諸国しかり。そしてわが日本も。合衆国政府が自らの失策によりドルを下落させている昨今、わが国がいくらドルを買い支えても効果がないのは明らか。そればかりか、合衆国債権やドルが下がり、日本人の税金が使い捨てにされるのも明白。現在、日本の国益は合衆国政府からの国債大量購入の依頼をいかに上手に断るかにある。1945年の敗戦以来、合衆国からの依頼を上手に断ってきた例はあるが、今回の日銀総裁人事もこの例に加えられるだろう。「日銀総裁が空席の為、決定できません」、「野党が反対して、上手く進みません」と日本政府は答えることができる。日銀総裁空席の長期化による国際的な信用不安と市場への悪影響を嘆く必要はない。福田内閣総理大臣と小沢民主党党首の戦略的な日銀総裁空席オペレーションとして捉えると、実に愉快だ。

土曜日の朝に     笑顔


PS 写真はカイラス山。吟遊詩人の高僧ミラレパのみが山頂に達したといわれる標高6656mのこの山は、信仰の山であるため、登頂許可は下りない。現在、中国政府はチベットにそびえるこの山を通る自動車専用道路の建設を計画している。信者たちは「聖地が破壊される」と主張し、中止を求める運動を国際的に展開している。

(追記)
福田康夫首相(1936年7月16日生)は2008年9月1日午後9時30分より緊急記者会見を開催し、その席上、「内閣総理大臣・自由民主党総裁を辞職する」ことを表明し、理由として「国民生活の為に、新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」と述べました。この会見では、中国新聞社の道面雅量記者(1971年生)の「一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです」との発言に対し、福田首相は「他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたい」 と切り返した真意は何ぞや。それは、日本の資産100兆円(1兆ドル相当)を合衆国から守ったという自負の念であったのかもしれません。福田氏は、知識・見識・肝識(勇氣)の三識を兼ね備えた、「総(す)」べての「理(ことわり)」の分かる人物(「総理」)です。
日本の金でアメリカの金融会社の救済が検討さていたが、福田元首相の突然の辞任で実現せず
(毎日 2009年10月6日)
 米政府系住宅金融機関2社が経営危機を迎えていた08年8月下旬、日本政府が外貨準備を使って両社の支援を検討していたことが5日、関係者への取材で分かった。 入札不調に終わる懸念があった2社の社債数兆円を、日本政府が買い支える計画だった。世界的な金融危機に陥る瀬戸際とはいえ、公的資金で外国の金融機関を救おうとしたことは極めて異例で、 経済的に密接不可分な日米関係の特殊性を明らかにする事実といえる。
 金融機関2社は、社債で調達した資金で金融機関から住宅ローンを買い取り、証券化商品に組み替えて投資家に販売しているフレディマックとファニーメイ。 両社が発行した住宅ローン担保証券の残高は約6兆ドル(約540兆円)と米国の住宅ローン残高の半分を占め、世界の金融機関も広く保有していた。 両社が経営破綻(はたん)すれば、日本を含めた世界の金融システムに深刻な影響を与えることは確実だった。
 日本政府では、限られた財務省幹部が米財務省と緊密な連携をとりながら、外貨準備から数兆円を拠出して両社の社債を購入する救済策「レスキュー・オペレーション(救済作戦)」という名の計画を立案。 通常は非公表の外貨準備の運用内容をあえて公表し、日本の支援姿勢を打ち出して両社の経営に対する不安をぬぐい去ることも検討した。
 しかし当時の伊吹文明財務相が慎重論を主張し、9月1日の福田康夫内閣の退陣表明で政府が機能不全に陥ったため、実現しなかったという。米政府は9月7日、公的資金を投入して両社を国有化し救済したが、 同月15日には米リーマン・ブラザーズが破綻し、結局、金融危機の深刻化は防げなかった。
 伊吹元財務相は毎日新聞の取材に「大臣決裁の段階にはなかった。しかし、米国の経済危機が目前に迫る中、日本の外貨準備で損失が出かねない資産を購入すべきでないという当たり前の判断だ」と述べた。【斉藤望】

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