a7196acc.jpgおはようございます♪

今日から新年度、新学期。
みなさん、お元氣ですね。

昨日は久々に甥っ子と姪っ子と食事をした。
小樽グランドホテル13階のレストランは
山海の景色を存分に楽しませてくれる。

彼は小学6年に、彼女は中学1年生になる。
極めて明るい、歌うことが大好きな姉弟である。

海を見つめながら、不登校について考えてみた。

「〜なのに」と言うとき、「本当はこうであるはずなのに」という思いが強い。正しいと信じて疑がわない思いが、「〜なのに」と思わせる。でも、ここであえて、「だから」と言い換える訓練をして見ましょう。世界が変わりますよ。

例えば、近所の人が不登校児を見かけたときに言う、「彼(彼女)は不登校なのに元氣だ!」という表現。「不登校の子どもは暗く、沈んでいて、元氣であるはずがない」という思いが前提にあるからこうなってしまう。不登校を親子ともども肯定している家庭では、不登校の子どもたちはとても元氣でいるにもかかわらず。

もちろん、元氣を忘れてしまった不登校の子どもたちもいる。それは親をはじめとする周囲の大人たちが否定的な見方をし、本人も不登校の自分を肯定できていないから。しかし、不登校は悪いことでも変なことでもないと、自分のあり方を肯定できるようになると親子ともども元氣になってくるから不思議である。

「なのに」から「だから」へと言い換えてみよう。
「不登校だから元氣だ!」
「不登校だから日中出歩いている」
と言ってみよう。
学校に縛られることもなく、好きなところに、行きたいところに行ける。

友人の娘はハーヴァード大学に合格したが入学しなかった。彼女は別にその大学・学部が嫌いだったわけではない。彼女にとっては「合格したから」で十分だった。「自分の力を確かめることができた」と語った。いつどこで何を学ぶかは、彼女の選択の問題でしかない。学校とかかわりを持つか持たないかは彼女の問題であり、入学しようがしまいが、自分は自分なのだ。

子どもが不登校を選択したとき、親が落ち込む必要はまったくない。

「あんなに良い子だったのに・・・」「しっかりしていたのに・・・」から、
「良い子だったから・・・」「しっかりしていたから・・・」不登校を選択したと認めよう。
今、現在を肯定的に認めることが大切。

親自身が学校から距離を置いてみましょう。
学校にしがみついている親が息子や娘の元氣を奪っている。

「お父(母)さん、お前のことを思って、こんなに一所懸命なのに・・・」となったときは、自分たちの思いをチト、忘れ去って、子どもの氣持ちを意識してみましょう。

親が「だから」体質になったとき、子供は安心でき、輝く準備を始める。

さあ、新年度、元氣を湧かしていきましょう。
そして、子供たちに元氣と勇氣を伝えましょう。

感謝