88a35323.jpgおはようございます。
今、太陽が燦燦と輝いています。
実に清浄です。

先日、JR大森駅山王口の階段を転げ落ちてしまった。
幸い、左膝が少し腫れたのみであった。

バスを待っている間に、妙なことに氣付いた。
わたしの頭と身体を心地良い涼しい風が、スーと透り抜けていく。

身軽で氣持が良いのだ。
何か背負っていたものが退散した感じであった。

10分ほどバスに揺られた後、臼田坂下で下車した。
2分ほど歩くと目的地についた。

そこには、川端龍子(りゅうし)記念館がある。
わたしは高校時代から彼のファンである。

川端龍子(1886年6月〜1966年4月)は、絵画研究所などで洋画を学び、1913に渡米。ボストン美術館で鎌倉時代中期の絵巻『平治物語絵詞』(現存する完本三巻の「三条殿夜討の巻」を所蔵)を見て感動した。

そして、彼は帰国後、日本画に転向した。龍子は「青龍社」という美術団体を設立し、日本画には珍しい大作を描き続けて「会場芸術」という概念を打ち立てたことで知られた。この団体は平成に入ってから解散している。残念なことであった。

今回は特別展「川端龍子と修善寺〜伊豆市所蔵、近代日本画の巨匠の姿と共に〜」を拝観した。ここには大好きな『龍子垣』と長さ28メートルの『逆説・生々流転』(1959年)がある。

『龍子垣』の竹垣の存在感(写真)。修善寺産の太い孟宗竹自由に組んだ垣根と右の白梅に左の藤。一緒にはありえない梅と藤がここでは自然に竹と溶け合っている。龍子75歳の作品である。

『逆説・生々流転』の本歌は、横山大観の『生々流転』(長さ40メートル、1923年制作、東京国立近代美術館所蔵)。大観は「天から落ちる一滴の水が大河となってまた帰る」自然界の循環を表現した。これとは逆に、龍子は昭和33年(1958)9月22日、伊豆半島を襲った狩野川台風の爪痕に想を得て描いた。

南洋の豊かな海に産まれた台風が、北上して日本を襲い荒れ狂い、甚大な被害をもたらす。しかし人々はそれを克服すべく復旧に立ち上がる。この情景を自然への畏怖・畏敬の念を持って、一氣呵成に描き、絵の終わりに「虹」を加えて筆を置いた。この虹に何故か、ホッとする。

ここでは、龍子自身の意志によって、大作は保護ガラス等で覆われていない。
実に、愉快。

どんなに悲しい事態に陥っても、
放棄することなく、手放さないで継続する。

どんなに過酷な苦難を強いられようとも、
決してそれをあきらめない。

苦難とはその人間を地獄に落とすためにはなく、
それを乗り越えた先にあるものを
手にいれるために存在している。

それを成し得るために費やした時間と苦労は、
必ず結果となり作品にあらわれる。

7月12日からは「光への軌跡」と題して、彼の光に対するこだわり、
「光」を探求した作品を堪能できる展示会が開かれる。

是非、お運びください。
おススメします。

日々を大切にお過ごしください。

感謝

参考: 龍子記念館http://www.ota-bunka.or.jp/ryushi/index.html