326a0d30.jpg日本のテレビ界は空前のクイズ番組ブームらしい。

ここで、問題をひとつ。

『1962年の「忠臣蔵」を最後に引退した人物で、1963年の小津安二郎監督の葬儀に姿を見せてからは、公の場に姿を現さず、神奈川県鎌倉市で親戚と隠棲生活をおくっている日本を代表する名女優はどなたでしょうか?』

・・・・・・

そう、『原節子』さんです。

1949年から61年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品(※)はヨーロッパでも有名になり国際的作品となっている。

彼女は黒澤明監督とも組んでおり、2作品を残している。

ひとつは、1951年の『白痴』。
黒澤氏は、ドストエフスキーの愛読者で、『白痴』を原語のロシア語で暗誦するほどであった。だから、原作に忠実に映画化した。

ぺテルスブルクに似ていた札幌を舞台にしたこの作品は、当初、4時間近くの大作であった。松竹の役員会では、興行的には長すぎるということで監督に時間短縮を命じた。

このやり取りが3度つづいた。
それでも、興行的には長すぎたので、役員会は「もっと、短くしろ」と再び命じた。

これに対して、黒澤監督が放った言葉は、

『そんなに切りたきゃ、フィルムを立てに切れ!』

であった。この言により、
作品には166分(2時間46分)の命(時間)が与えられた。

ナスターシャは、日本名「那須妙子」となり、
原節子さんが演じている。

秀作です。一度、ご覧下さい。
昭和20年当時の札幌が楽しめます。

もうひとつは、1946年の『わが青春に悔なし』。

これは制作年を見ると、合衆国の日本占領軍GHQが推奨した「民主主義映画」のひとつだと分かる。

この110分の作品の中で、原節子さんは、
満たされた生き方に疑問を感じ、時代が戦争へと流れていく中、
自分の意志に忠実に生き、波乱の人生を選択したひとりの女性を演じている。

この演技の凄まじさ。
わたしは圧倒されてしまった。

後年、黒澤監督は「自分の理想の女性を画いた」と語ったと言う。

今朝、目覚めて、フト、彼女のことを想い出したのでお伝した次第です。

ちなみに、原節子さんとわたしには共有するものがひとつある。

誕生日が同じ。(笑)

よき木曜日を。

感謝


『晩春』(1949年)
『麦秋』(1951年)
『東京物語』(1953年)
『東京暮色』(1957年)
『秋日和』(1960年)
『小早川家の秋』(1961年)

※写真は「東京物語」のスチール。