おはようございます。
日曜の朝、いかがお過ごしでしょうか。
久々に、いじめに関するニュースを目にした。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/165614.htmlより引用
十勝の道立高で集団いじめ 服脱がしネット公開(05/17 06:46)
十勝管内の道立高で昨年八月から今年三月にかけ、当時の一年生の男子生徒九人が、同級生の男子生徒一人にいじめを繰り返し、ズボンを脱がせて携帯電話で体を撮影した写真をインターネット上に公開して、停学処分を受けていたことが十六日、分かった。九人は既にいじめた生徒に謝罪し、停学処分も解除されている。
同校の校長は「校内で起きた集団いじめの察知が遅れ、申し訳ない。再発防止に努めたい」と話している。同校は二十日に全校集会と保護者会を開き、経緯を説明する。
同校によると、九人は六、七回にわたり、トイレや特別教室に男子生徒を連れ込んでズボンを脱がせ、その様子を三人が動画や写真で撮影。うち一人が昨年八月ごろ、インターネットの自身のブログ(日記風サイト)に写真二枚を公開。もう一人も、このブログに写真数枚を投稿した。
九人はほかにも、男子生徒に熱湯をしみこませたぞうきんを首にかけたり、ポリ袋に入れた水を浴びせたり、カップめんのスープにココアを混ぜて無理やり飲ませるなどのいじめを行っていた。
二年に進級後の四月中旬、この九人から言葉のいじめを受けたとして同級生の女子生徒が不登校になり、学校が事実確認のため二年生全員から事情聴取した中で、男子生徒へのいじめも発覚した。
ブログは三月ごろ本人が閉鎖。生徒の携帯電話に残っていた写真も既に消去された。
同校は四月下旬に九人を停学処分とし、ほぼ連日、自宅訪問などで指導を行った。九人は「相手を傷つけてしまった」などと話し、深く反省していることから、今月初めから中旬にかけて停学を順次解除。個別に男子生徒に謝罪した。男子生徒は登校しているが、十勝教育局のカウンセラーが心のケアを続けている。女子生徒も四月末から登校している。
道教委によると、いじめ画像のネット流出は、二〇〇六年に札幌市の道立高で、かばんを引っ張る場面などの動画が公開されて以来二例目となる。
(以上・引用終わり)
いじめは、社会的構造現象であって、個人的心理現象ではない。集団の同一性が集団外のものに対立するかたちで確保・担保されるから、集団外の存在としてのスケープゴート(生贄:いけにえ)を創りだそうとするのである。よって、いじめの問題を解決するうえで、カウンセラーによる心のケア−「思いやりの心を育む」/「心と心のふれあいを大切にする」というようなキャッチフレーズは役に立たない。的外れである。
学校や警察や政府がいじめ問題を解決してくれることを期待することも、場合によっては逆効果である。徹底した管理教育を行い、「わが校には、いじめは全くありません」と校長が宣言する学校ほど、見えないところでいじめが行われているという。学校の名声が汚されるのを回避すべく、汚点・ケガレを消し去ろう・キヨメヨウと努力すればするほど、学校はいじめの温床になっていく。
さらに、問題の解決を期待されている学校や警察や政府の内部にも、子供間のいじめに勝るとも劣らぬ大人間の陰湿ないじめが存在する。学校の職員室では、嫌われている教師が当番でお茶を入れると、同僚教師たちは、皆でいっせいにそのお茶を飲まずに捨てる。お茶の排除を通して、嫌われ者をシンボリックに排除する。警察での先輩が後輩をいじめるということも報道されている。
学校や官僚のような、規則に縛られて個人の自由が認められないところや、警察や政党など、組織が一体となって敵と戦わなければならないようなところでは、スケープゴートとしてのいじめが起きやすい。
よって、いじめをなくす必要条件は、個人が組織から自立して生きていくことができるように、社会構造を変えることとなる。
最近、学校でのいじめ問題が、下火に見える。これは「いじめで自殺するぐらいなら、学校に行かなくてもよい」というリベラルな考えが親と社会に広がったから。
だから、いじめ問題が解消されたということではない。
いじめ問題は、「ひきこもり問題」へ変換され、存続している。
学校から社会全体に視点を広げてみる必要がある。
『今はもう、大人たちの真似をして没個性的に
ピラミッド型組織に所属しつづけることがベストではないのだよ』
と子供たちに伝える必要もある。
よき日曜日を。
感謝
日曜の朝、いかがお過ごしでしょうか。
久々に、いじめに関するニュースを目にした。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/165614.htmlより引用
十勝の道立高で集団いじめ 服脱がしネット公開(05/17 06:46)
十勝管内の道立高で昨年八月から今年三月にかけ、当時の一年生の男子生徒九人が、同級生の男子生徒一人にいじめを繰り返し、ズボンを脱がせて携帯電話で体を撮影した写真をインターネット上に公開して、停学処分を受けていたことが十六日、分かった。九人は既にいじめた生徒に謝罪し、停学処分も解除されている。
同校の校長は「校内で起きた集団いじめの察知が遅れ、申し訳ない。再発防止に努めたい」と話している。同校は二十日に全校集会と保護者会を開き、経緯を説明する。
同校によると、九人は六、七回にわたり、トイレや特別教室に男子生徒を連れ込んでズボンを脱がせ、その様子を三人が動画や写真で撮影。うち一人が昨年八月ごろ、インターネットの自身のブログ(日記風サイト)に写真二枚を公開。もう一人も、このブログに写真数枚を投稿した。
九人はほかにも、男子生徒に熱湯をしみこませたぞうきんを首にかけたり、ポリ袋に入れた水を浴びせたり、カップめんのスープにココアを混ぜて無理やり飲ませるなどのいじめを行っていた。
二年に進級後の四月中旬、この九人から言葉のいじめを受けたとして同級生の女子生徒が不登校になり、学校が事実確認のため二年生全員から事情聴取した中で、男子生徒へのいじめも発覚した。
ブログは三月ごろ本人が閉鎖。生徒の携帯電話に残っていた写真も既に消去された。
同校は四月下旬に九人を停学処分とし、ほぼ連日、自宅訪問などで指導を行った。九人は「相手を傷つけてしまった」などと話し、深く反省していることから、今月初めから中旬にかけて停学を順次解除。個別に男子生徒に謝罪した。男子生徒は登校しているが、十勝教育局のカウンセラーが心のケアを続けている。女子生徒も四月末から登校している。
道教委によると、いじめ画像のネット流出は、二〇〇六年に札幌市の道立高で、かばんを引っ張る場面などの動画が公開されて以来二例目となる。
(以上・引用終わり)
いじめは、社会的構造現象であって、個人的心理現象ではない。集団の同一性が集団外のものに対立するかたちで確保・担保されるから、集団外の存在としてのスケープゴート(生贄:いけにえ)を創りだそうとするのである。よって、いじめの問題を解決するうえで、カウンセラーによる心のケア−「思いやりの心を育む」/「心と心のふれあいを大切にする」というようなキャッチフレーズは役に立たない。的外れである。
学校や警察や政府がいじめ問題を解決してくれることを期待することも、場合によっては逆効果である。徹底した管理教育を行い、「わが校には、いじめは全くありません」と校長が宣言する学校ほど、見えないところでいじめが行われているという。学校の名声が汚されるのを回避すべく、汚点・ケガレを消し去ろう・キヨメヨウと努力すればするほど、学校はいじめの温床になっていく。
さらに、問題の解決を期待されている学校や警察や政府の内部にも、子供間のいじめに勝るとも劣らぬ大人間の陰湿ないじめが存在する。学校の職員室では、嫌われている教師が当番でお茶を入れると、同僚教師たちは、皆でいっせいにそのお茶を飲まずに捨てる。お茶の排除を通して、嫌われ者をシンボリックに排除する。警察での先輩が後輩をいじめるということも報道されている。
学校や官僚のような、規則に縛られて個人の自由が認められないところや、警察や政党など、組織が一体となって敵と戦わなければならないようなところでは、スケープゴートとしてのいじめが起きやすい。
よって、いじめをなくす必要条件は、個人が組織から自立して生きていくことができるように、社会構造を変えることとなる。
最近、学校でのいじめ問題が、下火に見える。これは「いじめで自殺するぐらいなら、学校に行かなくてもよい」というリベラルな考えが親と社会に広がったから。
だから、いじめ問題が解消されたということではない。
いじめ問題は、「ひきこもり問題」へ変換され、存続している。
学校から社会全体に視点を広げてみる必要がある。
『今はもう、大人たちの真似をして没個性的に
ピラミッド型組織に所属しつづけることがベストではないのだよ』
と子供たちに伝える必要もある。
よき日曜日を。
感謝
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