d6913e28.jpg昨日は、TVで3日後に始まる裁判員制度をテーマにした番組を観た。どうもシックリこない。被告を裁くのが裁判員だと捉えているらしい。こんなことも言っていた。合衆国は全員一致なのに、日本は多数決なのはおかしい・・・。おかしいのは、合衆国の制度(Bill of Rights)と同じ次元で捉えているところ。今日は、この問題を考えてみたい。チト、長くなりますがお付き合いを願います。

日本国憲法の第31条に、「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と書かれている。

原文は、”No person shall be deprived of life or liberty, nor shall any other criminal penalty be imposed, except according to procedure established by law.”

「法律の定める手続き」によらない罪を裁判官や検察は作っていけないのであり、この31条は「罪刑法定主義」という近代裁判制度の根幹の考え方を示している。

だから、刑法は裁判官を縛るためのものであって、民法とは違って国民のために書かれた法律ではないし、ましてや犯罪者や犯罪予備軍を戒めるためには書かれていない。

ここを注意深く理解することが大切。「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」(刑法第199条)や「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役に処す」(第235条)など、どこにも殺すな、盗むなとは書いていない。

ロジカルに考えるなら、人を殺そうが盗もうが、刑法には違反したことにならない。近代刑法は国民を対象にしていないから、当然なのだが。

次に、刑事訴訟法は誰を対象にした命令か考えてみよう。

検察官と答えたのみでは不十分。正解は行政府全体すなわち行政権力に対する命令。裁判官は司法権に属し、検察官は行政権に属す。検察官は政府の一員であって、国家権力の代理人(アトニー)である。

加えて、不幸なことだが、日本のマスコミは、この国家権力の代理人たる検察官が調べて発表したことが真実だという先入観を持っている。

それが原因だろうか、わが日本では、刑事裁判が被告を裁くためのものとして位置づけられて久しい。まして、犯罪者を裁くためのものであるはずがない。刑事裁判では、被告は有罪が確定するまで無罪とみなされる。よって、近代民主主義国家における裁判では、「犯罪者を裁く」ことは起こりえない。だから、この表現は死語とならねばならない。

では、誰が刑事裁判で裁かれるのだろうか。

検察官であり、行政権力が裁かれる。現場の警察官から法務大臣、総理大臣に至るまで、すべて刑事訴訟法に従わなければならない。すべての行政権力を縛るルールがここにある。

刑事訴訟法に触れる行為を検事等が行なったときは、被告は、即、無罪となる。もちろん、彼らが守らなければならない法律は他にも多数ある。検察の側に立つなら、法律群の網に少しでも触れることなく行動していかなければならない。

この原則が、デュー・プロセス(due process)で、日本国憲法の第31条のaccording to procedure established by law(法律の定める手続きによる=適法手続き)を意味している。

現実には、検察側が犯罪を完璧に立証できないことには、犯罪者が無罪になることがあるだろう。でも、犯罪者が無罪放免になる害よりも、権力の害の方が大きいと考えるのが、近代民主主義の精神である。なぜなら、ひとりの犯罪者がなしうる悪事よりも、国家が行なう悪事の方が大きなスケールであるから。だから、法律群で行政権力を縛らなければならない。

日本では1928年〜1943年に、刑事裁判について「陪審制」が採用されていた。この15年間に陪審裁判は全国で500件近く実施され17%が無罪という当時としても、現在と比べても、驚くべき無罪率を示した。しかし、法律では裁判長は陪審の判断を不当と考えた場合にはこれを退けることが許されていた。陪審更新手続が可能であった。

合衆国はどうなのか・・・

憲法修正第1条から修正第10条は権利章典(Bill of Rights)と呼ばれ、市民の基本的人権に関する規定であり、憲法制定直後の1789年第1回合衆国議会で提案され、1791年12月実施された。名前は1689年に制定された英国の「権利章典(Bill of Rights)」に由来する。

修正第5条(大陪審の保障、二重の処罰の禁止、適法手続き(デュー・プロセス)、財産権の保障)
何人も、大陪審の告発または起訴によらなければ、死刑を科せられる罪その他の破廉恥罪につき責を負わされることはない。ただし、陸海軍、または戦時、もしくは公共の危険に際して現に軍務に服している民兵において生じた事件については、この限りではない。何人も、同一の犯罪について重ねて生命身体の危険にさらされることはない。何人も、刑事事件において自己に不利な証人となることを強制されることはなく、また適法手続き(due process of law)によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。何人も、正当な補償なしに、私有財産を公共の用のために徴収されることはない。

Amendment V
No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictment of a grand jury, except in cases arising in the land or naval forces, or in the militia, when in actual service in time of war or public danger; nor shall any person be subject for the same offense to be twice put in jeopardy of life or limb; nor shall be compelled in any criminal case to be a witness against himself, nor be deprived of life, liberty, or property, without due process of law; nor shall private property be taken for public use, without just compensation.

修正第6条(陪審、迅速な公開の裁判その他刑事上の人権保障)
すべての刑事上の訴追において、被告人は、犯罪が行なわれた州、および事前に法律によって定められた地区の公平な陪審による迅速な公開の裁判を受け、かつ事件の性質と原因とについて告知を受ける権利を有する。被告人は、自己に不利な証人との対質を求め、自己に有利な証人を得るために強制手続を取り、また自己の防禦(ぼうぎょ)のために弁護人の援助を受ける権利を有する。

Amendment VI
In all criminal prosecutions, the accused shall enjoy the right to a speedy and public trial, by an impartial jury of the state and district wherein the crime shall have been committed, which district shall have been previously ascertained by law, and to be informed of the nature and cause of the accusation; to be confronted with the witnesses against him; to have compulsory process for obtaining witnesses in his favor, and to have the assistance of counsel for his defense.

このように、合衆国は1791年の憲法修正6条ですべての市民に「公平な陪審による迅速な公開裁判を受ける権利」を保障したが、これは共同体の隣人に自分の裁判の判断をおこなってもらう権利の承認であった。陪審制度の核心は職業裁判官を排除し、市民を裁判の場で事実の判断者の地位に“独占的に”着かせるという点にある。それは市民革命期の法制度のひとつの成果であり、司法における18世紀的モデルである。

陪審員からみれば陪審員となることは市民の義務なのだが、被告人である市民が陪審員にその任務を遂行させる権利、または公平な陪審を求める権利を持つことに大きな意味がある。

ここで、わが日本の「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」を見てみよう。この法律の施行を持って、裁判員制度が21日から始まるのだが、この法律の第1条(趣旨)には次のようにある。

「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)及び刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の特則その他の必要な事項を定めるものとする。」

この条文から明らかなように、この制度は陪審制(Jury system:市民が有罪無罪の判断をする)ではなく、参審制(Schoeffengerichl system;trial by consultation:職業裁判官と市民が共同で判断する)である。

立法の目的は、『司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上』であって、職業裁判官を排除し、市民を裁判の場で事実の判断者の地位に“独占的に”着かせることではない。

権利性の観点から見るなら、陪審制と参審制には大きな隔たりがある。例えば、陪審裁判では被告人は陪審員を選択できるが、参審制では参審員を選択できない。

1928年〜1943年の刑事裁判についての「陪審制」の経験を継承発展させ、陪審更新手続を廃した新制度を導入すべきであった。現在、権力によって数々の冤罪(えんざい:無実の罪)がつくられている。市民の手で、権力から市民の生活と命を守らねばならない時代なのだから。

閑話休題(ソレハサテオキ)。

この文章を書いている最中に一本の電話があった。
合衆国の大学時代の心友からである。

夫人が急逝なさったという。
自ら命を絶ったという。

彼女は20代で将来を嘱望されていた人であった。
一昨年、3日間共に楽しく過ごした想いが甦る。

ご自分の命を大切になさって欲しかった。
来年、ロンドンで逢おうと約束していたのに…

悲しい。

彼女のBig Smile-笑顔を想いながら

感謝