おはようございます♪
笑顔の日々を過ごしていらっしゃいますか。

新潮社の雑誌「フォーサイト」が休刊になった。世界的な視野を持った質の高い政治経済誌が消えてしまう。
もったいないなぁ〜。

日本の言論界を見渡すと、「良貨は悪貨を駆逐する」というグレシャムの法則が作動してしまっている。
残念なことである。

閑話休題(ソレハサテオキ)。

来週23日は、天皇陛下誕生日。

昭和23(1948)年の12月23日は、極東国際軍事裁判により、A級戦犯とされた27名の被告が巣鴨プリズンで処刑された日である。絞首刑となった東條英機(軍人)、板垣征四郎(軍人)、木村兵太郎(軍人)、土肥原賢二(軍人)、松井石根(軍人)、武藤章(軍人)、廣田弘毅(第32代内閣総理大臣)の計7名の遺体は、横浜の久保山火葬場で荼毘にふされた。しかし、遺骨は遺族に引き渡されることはなく、合衆国軍により砕かれ東京湾に捨てられた。

死刑執行日が、現天皇(当時皇太子)の誕生日であることに加えて、起訴された日が昭和21(1946)年4月29日の昭和天皇誕生日であることを知ると、彼らの数字へのこだわりが見て取れる。

B級・C級戦犯として5,600人あまりが、横浜以外に上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々南方各地の60数カ所で逮捕・投獄され、名ばかりの軍事裁判にかけられて1,000名近くが戦犯として処刑された。海外での裁判は、私刑に等しいものであった。

日本が主権を回復した昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効直後の5月1日、木村篤太郎法務総裁からA級戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために数度にわたる国会決議もなされた。昭和28(1953)年以降、遺族は国内法による遺族年金または恩給の支給対象となった。これにより少なからず名誉回復がなされた。

昭和27(1952)年の昭和天皇誕生日前日の4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、我が国は約7年に及ぶ占領から解放され、主権(独立)を回復した。

昭和天皇は、このときの喜びをこうお詠みになった。


「風さゆる み冬は過ぎて 待ちに待ちし 八重桜咲く 春となりけり」


過去の不幸の想いを大切にするのは、いいことだ。
なぜなら、それは不撓不屈の精神の御社(おやしろ)を我が身に設立しているようなものだから。

笑顔のよき週末を。

感謝
fuji-sun10