「淡々たる人って、どんな人ですか?」

と聴かれ、フト、

「サッと退ける人間です」

と答えた。

状況が変わったり、機能を果し、課題を解決したなら、
仕事人は不要となるもの。

己の栄達や権勢の虜(とりこ)とならずに、
すべきことをこなしていく。

ただそれだけ。

早熟の人がいて、晩成の人がいる。
一人ひとり、違っている。
自然、一人ひとりの人生も違う。

日々の生活も、人生のデザインも、
他者の時計に魅せられ惑わされることなく、
己の時計に合わせると良い。

だから、己がどういう人間であるか、
よく見極めることが大切。

己の時計に合わせて生きているから、
淡々としていられる。

閑話休題(ソレハサテオキ)。

最近は、政治家の大局観が選挙に勝つことだと受取られ、
政治家自身もそう思い込んでいるらしい。

昔から、

「政治屋は次の選挙しか考えない。政治家は次の世代を考える」

と言うではないか。政治家たらんとする諸氏には、

次の選挙のことは頭から払い落として、
次の世代のことを市民といっしょに考え、責務を果たしていただきたい。

総理大臣は、特に、そうありたい。

初の明治生まれの第27代内閣総理大臣・浜口雄幸(おさち)は、ラジオを通じて市民へ直接、政府の政策を訴えた方であった。総理大臣のありかたについて、

「総理たるものは国民の道徳の最高の水準をいくようにしなくてはいけない」

と述べた。

総理も国会議員もバックボーン(氣骨)のある人が良い。

わたしたちは、国会議員諸氏に日本国の国事を託している。
国事とは、次の世代を考えることに他ならない。

先ずは、己の時計を合わせましょう。

よき週末を。

感謝
CamdenTown