おはようございます。

静かな朝です。
今日も朝陽がありがたい。

さて、1945年の今日、9月27日午前10時5分過ぎに合衆国大使公邸で昭和天皇はマッカーサー司令官と会見された。天皇は44歳で、司令官は65歳になっていた。




翌年、1946年1月、昭和天皇は人間宣言を行い、その年の2月から9年かけて、日本各地を巡幸し、国民と直接言葉を交わされた。

1977年夏、那須御用邸で記者会見を行い、初めて戦後の想い出を語られた。しかし、マッカーサー司令官との初会見で、何を話したかについては言えないと答えられた。

「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと、約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と。

1989年1月、昭和天皇は昇天するまで、ついにマッカーサー司令官との数回にわたる会見の内容について語られることはかった。 

閑話休題(ソレハサテオキ)。

敗戦直後から連合国と侵略されたアジア諸国から、国家元首としての昭和天皇の責任を問う声が強く上がった。

合衆国上院は昭和天皇を裁判に掛けることを決議、中国は国民政府海外の雑誌に『ミカド去るべし』の論文を発表、フィリピンの弁護士会は合衆国大統領に昭和天皇を裁判に掛けるよう要請、オーストラリアは国家元首たる天皇は一兵卒より罪が大きいと天皇を戦争犯罪人として裁くよう公式に要求した。

一方、マッカーサーは、連合国総司令官であったが、これら連合国の意向や世論を押さえ、合衆国の占領政策を円滑に実施する必要があった。だから、新たな天皇の役割を考え出し、天皇制を維持することを決めた。

「天皇を告発するならば日本国民の間に必ずや大騒乱が引き起こすであろう、天皇は日本国民統合の象徴であり、天皇を排除するならば日本は瓦解するであろう」

と、1946年1月25日に本国あてに極秘文書を打電した所以である。

そして、マッカーサーの報告に合衆国は天皇の訴追を回避するために動き始めた。当時、東京裁判で東條英機らA級戦犯容疑者への尋問が続いていたが、早々とマッカーサーは天皇不訴追の意向を示した。

天皇制を存続させるための条件として出されたのが、憲法9条=武力の不保持と交戦権の放棄である。マッカーサーは、国体護持を軸にした新憲法「松本委員会試案」が毎日新聞によってスクープされた2日後の1946年2月3日、マッカーサー3原則と言われる新憲法原則を示し、民政局にGHQ草案の作成を指示、草案作りを加速した。

※ マッカーサー3原則(1946年2月3日)

1)天皇は国の元首の地位にある。皇位は世襲される。
  天皇の職務および権限は、憲法に基づき行使され、
  憲法に示された国民の基本的意志に応えるものとする。

2)国権の発動たる戦争は、廃止する。
  日本は紛争解決のための手段としての戦争、
  さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。
  その防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。

3)日本の封建制度は廃止される。
  貴族の権利は後続を覗き現在生存するもの一代以上には及ばない。
  貴族の地位は今後はどのような国民的または市民的な
  政治権力も伴うものではない。


戦後のある時期まで、天皇側近とわが国のエスタブリシュメント、そして合衆国政府・合衆国軍は互恵関係を形成していく。

互いに利用し、依存し、牽制しながら、「合衆国依存」「合衆国隷従」の基盤が作り出されていった。

現在わたしたちが、直面している醜悪な外交実体の根源の一つは、そこにある。

東シナ海の尖閣諸島沖で中国漁船と石垣海上保安部(沖縄県石垣市)の巡視船が衝突した事件で、那覇地検は9月24日、同保安部が公務執行妨害の疑いで逮捕した中国人船長・せん其雄(せん・きゆう)容疑者(41歳)を処分保留のまま釈放すると発表した。この船長は25日未明に釈放され、チャーター機で離陸した。

9月24日、日本の首相が訪米中であったことは興味深い。


さあ、今週も笑顔で参りましょう。

感謝