NHK講座で習うイタリア語が実は、トスカーナ地方のフィレンツェの言葉で、他の大多数のイタリア半島に住む人にとっては「外国語」みたいなものだと知っている方は、イタリア通に違いない。

さらに、その方がイタリア共和国憲法の第75 条の以下の定めをご存知であったら、脱帽してしまう。

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 50万人の有権者又は5つの州議会の要求があった場合には、法律又は法律の効力を有する行為の全部又は一部の廃止を決定するための国民投票が実施される。
 租税法律、予算法律、恩赦の法律、減刑の法律及び国際条約の批准を承認する法律について
の国民投票は認められない。
 下院の選挙権を有するすべての市民が国民投票に参加する権利を有する。
 有権者の過半数が投票に参加し、かつ、有効投票の過半数に達した場合には、国民投票に付託された提案は、承認される。
 法律は、国民投票の実施の方式を定める。
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この規定に基づき、イタリアでは2007年現在で14回、59件の国民投票が実施され、うち19件が賛成多数で、法律の廃止が承認された。なお、投票率が過半数に達せず、不成立に終わった件数は21件であった。(※1)

イタリアでは1987年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を契機として、原発に反対する世論が形成され、1987の国民投票の決定以降、原発の建設や運転が禁止され1990年までに原発を全廃した。当然、電力不足になったのだが、フランス、スイス、スロベニアなどの隣国から電力を輸入することで需要をまかなっている。

しかし、ベルルスコーニ政権は脱原発政策を転換し、2009年2月にフランスと協力協定を結び、イタリア国内で2013年から原子力発電所を4基建設し2020年までに運転を始めると発表した。この原発再開政策に反対する野党などは署名を集め、国民投票の実施を求めて憲法裁判所に提訴した。憲法裁判所は今年1月に原子力発電所の再開について、国民投票で是非を問うことを認める判決を下した。その後、3月11日の地震によるフクシマ原発事故が起こった。だから、フクシマを契機とした国民投票ではない。

今回のイタリアの国民投票では、裁判不出廷特権法についても国民投票が実施された。昨年成立されたこの法律は首相、大統領、上下両院議長に在職中の刑事免責特権を与え、刑事裁判での出廷を免除するもの。これまでこの法律により、ベルルスコーニ首相は贈賄事件及びそれをつくろうために行ったイギリス人弁護士に対する買収事件や脱税事件、17歳のモロッコ人女性に対する買春事件などからを身を守られてきた。国民投票では、この法律を廃案にすべきだとの意見が圧倒的多数となった。今後、この結果はベルルスコーニ保守連立政権に政治的試練をもたらすに違いない。

また、イタリア最高裁は今回の国民投票の設問を、新規建設をうたった旧法の是非ではなく、「原発凍結法」の条文から、「安全性に関する科学的見解が得られるまで」原発建設を進めないとした前提条文を削除するかどうかに変更した。削除にイエスとの結果が出たのだから、「政府は原発新設の手続きを進めない」となり、脱原発が確定した。テクニカルな手腕が見て取れる。

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イタリア、原発再開を凍結へ 国民投票が成立
(2011年6月13日23時53分)
 原発再開の是非を問うイタリアの国民投票は、投票最終日の13日、投票率が50%を超えて成立した。開票が始まり、原発反対派が9割を超えて圧勝し、新規建設や再稼働が凍結される見通しとなった。投票不成立を目指したベルルスコーニ政権への大きな打撃となった。
 イタリア内務省は投票が締め切られた13日夕、暫定投票率が約57%に達したと発表。全国約6万カ所の投票所のうちの約2万カ所の暫定開票結果では、原発凍結賛成票が約94.5%を占めた。原発再開を模索していたベルルスコーニ首相は13日午後の記者会見で「イタリアは原発にさよならを言わなければなら ない」と敗北宣言をした。
 東京電力福島第一原発の事故後、脱原発の是非を国民投票で問うのは、イタリアが初めて。脱原発に踏み出したドイツ、スイスに続き、事故を受けて原発を拒否する世論が欧州に広がっていることが浮き彫りとなった。
 国民投票では「安全性に関する科学的見解が得られるまで」原発建設を進めないことを定めた「原発凍結法」から、前提条件を削除することへの賛否を投票した。反原発派の圧勝で、原発の新設や再稼働が無条件に凍結されることになる。
 イタリアは1986年のチェルノブイリ原発事故後に、国内4カ所の原発をすべて閉鎖し、電力の約15%を輸入に依存している。同時に実施された、首相ら の裁判不出廷特権法の是非を問う国民投票でも、法律を廃案にすべきだとの意見が圧倒的多数。投票率50%割れによる投票不成立を狙ったベルルスコーニ政権の戦術は不発に終わった。(ローマ=前川浩之)http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106130284.html
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イタリア原発凍結法の国民投票実施へ 最高裁が判断下す
(2011年6月1日23時46分)
 ANSA通信によると、イタリア最高裁は1日、原発再開の是非を問う今月中旬の国民投票について、予定通り実施すべきだとの判断を示した。ベルルス コーニ政権は先月、原発凍結法をつくったが、最高裁は、この法では原発再開を厳密に断念したとはいえず、国民の判断が必要だとした。
 福島第一原発事故後、原発問題には伊国民の関心が高く、投票率が50%を超え国民投票は成立する、との観測が出ていた。同時にある別の国民投票では、ベルルスコーニ首相に裁判不出廷特権を与えた法の是非が問われる。特権法をめぐってはすでに違憲判決が出ており、少女買春事件なども抱える首相は、国民から改めてノーを突き付けられる事態を恐れていた。
 このため首相側は、国民投票つぶしをねらい、安全性に関する科学的見解が得られるまで原発新設の手続きを進めないとした凍結法をつくっていた。だが、最高裁判断で、首相の保身の思惑は崩された形だ。
 最高裁は、凍結法の条文は原発を再開できる余地があると解釈でき、2013年までの原発新規建設を定めた別の法を廃案にしたとは言えないと判断した。
 その上で、国民投票の設問を、新規建設をうたった旧法の是非ではなく、凍結法の条文から、安全性に関する科学的見解に言及したくだりを削除するかどうかに変更した。削除にイエスとの結果が出れば、「政府は原発新設の手続きを進めない」となり、事実上、脱原発が確定する。
 イタリアは1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後、原発を順次廃炉にし、現在はゼロ。政府は、エネルギーの選択肢を増やすために再開を模索していたが、建設地選定などで反発が強く、具体化はしていない。(ローマ=前川浩之)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106010718.html
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イタリア的考え方

ファビオ ランベッリ(Fabio Rambel)著『イタリア的考え方―日本人のためのイタリア入門』(ちくま新書 1997年刊行 714円)

良書です。おススメします☆

閑話休題(ソレハサテオキ)

イタリアでは毎年、憲法裁判所に提起される件数は、800から1,000件近くある。実際に命令ないしは判決という形で憲法裁判所が毎年出す数は大体400から500である。(※2)

民主主義国家においては、間接民主制が原則とされているが、議会と一般国民との間に意見の乖離が見られること等を理由に、国民投票を補完的に採用する国がある。イタリア・スイス・フランスなどでは一般の国政上の課題も国民投票の対象となっている。(アメリカ合衆国には国民投票制度そのものがない。だから、アメリカの民衆は知らないかも?)

わが日本には、「国民投票法」と称される法律があるが、正式には「日本国憲法の改正手続に関する法律(平成19年法律第51号)」で、日本国憲法第96条に基づき、憲法改正手続きとしての国民投票に特化している(第1条)。今後、憲法改正以外の部分の国民投票制度が法制化される必要がある。原発維持の国策に、NO!という世論を反映する政治手段である。

ピッコロ・マキャベリ(1469-1527)やフランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)などの政治思想家を育てた環境に暮らすイタリア人は、政府や政治かを決して信用しない。日本では、国家の権力を行政権・立法権・司法権と3つに分け、独立性を持たせ、行政府(内閣)・立法府(議会)・司法府(裁判所)に担当させることで、各機関に他の機関の越権を抑える権限を与え、相互に監視しあいチェック&バランスを図り、国家権力の集中・濫用を防ぐことで、国民の権利と政治的自由を保障システムが整っていると、初等教育のテキストには紹介されている。しかしながら、このシステムは機能していない。それは、日本の行政・立法・司法の三権すべてが、諸権力と利権の構造に組み込まれてしまっているからである。

ザレ・ルペルト(Cesare Ruperto)憲法裁判所長官の以下の発言にイタリア市民社会の豊饒を感じる。

「憲法裁判所は、例えば議会に従属していたりあるいは他の機関に従属していたりということではなく、すべての機関を超えたところに存在していて、それで国民の人権を守っていて、憲法が実際に保障されるようにする機関である」

「憲法裁判所として判断を下す場合には、政治的な側面で、例えばこういう判断をこのタイミングですると政治的に影響があるのではないかとか、あるいはこの段 階で判断した方が都合がいいのではないかとかは一切判断しない。あくまでもこれが合憲なのか違憲なのかという判断のみをしている。違憲かどうかということ については、憲法に明文で書いてあることに違反しているかということではなくて、その裏にある原理、憲法が抱えている原理・原則に照らして、この法律が憲 法に沿っているかという観点からも判断している」(※2)

今回のイタリアの国民投票を見てわかることは、日本国憲法下で最高裁判所に与えられた違憲立法審査権では日本市民の人権を守るには消極的過ぎて不十分だということ。(行政府の一部局である内閣法制局の憲法解釈が公権的解釈として力を持ち、政府と国会がこれに拘束されているという現実もある) だから、具体的事件・紛争を前提としなくとも、人権を守る立場から法律の合憲性を審査する制度と憲法裁判所の設置が望まれる。

わたしたちは今、日本にいながらにして、イタリア料理をいただくことができる。さあ、次は、イタリアのように憲法裁判所を設置して国民投票制度を導入し、司法府を諸権力から独立させ日本市民の人権を守る目的で育てたい。料理の他にも知りたいですね、イタリア社会を。


さあ、大きな笑顔でよき週末をお楽しみください♪

感謝

(※1) 出典:「イタリア憲法制定議会における国民投票制度に関する議論」
山岡規雄 レファレンス 平成19年12月号 http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200712_683/068304.pdf#search=%27%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%20%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%8A%95%E7%A5%A8%27

(※2) 出典:「イタリア・ベルギー・フランスにおける憲法事情に関する実情調査 概要」
参議院憲法調査会 http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/ibf/ibf_chosa05.htm