おはようございます。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で、「流れのままに」を書き始め早7年が過ぎました。
ありがとうございます。

今朝は初期の記事を共に楽しみたいと思います。

・・・・・・(引用開始)

2004年11月04日06:41

『簡素な生活』 La Vie Simple

 名誉欲のとりこになるのは、自分の宣伝という毒におかされているからだと言う。わたしもこの毒におかされかけていた。シャルル・ヴァクネルは、自分が故郷を出るときも、またやがて地位を得て戻ってきたときも、道の端で何の変わりもなく、いつものように唄を口ずさみながら石を切り続け、同じ態度で言葉を交わしてくれる一人の男性に、深い畏敬の念を持つ。このような世に知られない「沈黙の労働」の人こそ、かけがいのない「この世の宝」であると言う。「人類の宝は世に知られぬ善である」と結論する。このような善があったのだ。

 『幸福とは真の生活者たるに在るということ ― 活動的で、果断で、情念のくびきや、不自然な欲望や、病的な刺激などに汚されず、日光や呼吸する空気を楽しむ力をその肉体に蔵しており、けなげなもの、簡素なもの、美しいものの一切を強く愛し感得する力をその心に蔵しているところの、真の生活者たるにある』

 ヴァグネルのこの本は、1895年にこの世に出た。当時、アメリカとヨーロッパでミリオンセラーになった。注意深く、慎ましく、「よりよき者になろうとしているかどうか」、「無駄遣いしない」こと、「もったいない」と感じることが大切だと諭す。100年のときを経て、響いてくる。

 感謝

・・・・・・(引用終わり)

この世で身魂(みたま)を持って生きる目的は、いろいろな経験をさせていただくことにあります。失敗だ成功だと言っても、不幸だ幸福だと思っても、それらはみな自他の勝手な判断で、「道すがら(on the way)」の出来事でしかなく、自分の魂が求めているもの(こと)ではありません。

この世(on the way)で消えてしまうものへの執着が、不安を生み出すということもあります。現に、成功者や幸福者であると自他共に認める方々の中に、執着するもの(こと)が多い陰氣な魂を見かけることがあります。この世を去った後の苦しみが見て取れるのです。一方、失敗者や不幸者であると見える方々の中に、今の経験を静かに見守り楽しんでいる陽氣な魂を見かけることがあります。

こうして生きている今が絶頂なのです。死んで花実が咲くものか。死後の楽しみや悟りなどはありもしません。生きているからこそ、楽しめるのです。ただし、自分一人だけ良ければ良いのだとする我良(われよ)しの魔道に入り込み、他者への思いやりを忘れてしまうことのないように氣を付けます。

それはヴァグネルが『幸福とは真の生活者たるに在るということ ― 活動的で、果断で、情念のくびきや、不自然な欲望や、病的な刺激などに汚されず、日光や呼吸する空気を楽しむ力をその肉体に蔵しており、けなげなもの、簡素なもの、美しいものの一切を強く愛し感得する力をその心に蔵しているところの、真の生活者たるにある』と喝破していることです。

安心して生きる今の心境こそがこの世での自分の頂点であり、あの世に持参できる資産(経験)だと知り、高いところを目指したいものです。

今夜は悠紀(斎酒)で身魂に目覚めていただきましょうか。

良き週末を

感謝
富士山の黄金