11月3日の東京新聞には、60代の方からの考えさせられる投書があったと知人から教えていただいた。以下、「発言」という紙面の中のミラーという欄に載せられていた意見の引用です。

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「お米」はどこへ行った

 いつからどうして、新聞紙面上では、お米を「コメ」と表記し、アメリカを「米」と表記するようになってしまったのでしょうか。
 古い当て字でのアメリカは、亜米利加とあり、漢字一字の地名として「米」と表記することができる、とあります。この用法はあくまで当て字であって、漢字本来の「米」は、表音も用法としても、アメリカとは関係ないのではありませんか。
 十月十三日付本紙三面には、米雇用法案、米大統領、米議会上院、米景気、米政府と、米の字でアメリカを指す表記が連なって出てきます。
 一方で一、ニ面には、福島のコメ、収穫後のコメ、コメの放射性セシウム検査など、コメに関しては軒並み片仮名が使われ、漢字本来の使用法としての「米」の字は、全く使われていません。
 これっておかしくないですか。
 昔よく言われました。八十八回の手間を掛けてお百姓さんが作ってくださるのが「お米」。米が日本人にとってどれほど大切かを知らしめてくれる、良い教訓です。「コメ」からは、八十八回の手間は全く見えてきません。死文化させてしまっていいのでしょうか。
 アメリカを米、お米をコメと表記するよう、報道協定が結ばれているのでしょうか。もしそうなら、そんな協定など外してしまったらどうですか。
 紙面制約上、文字制限のためにやむなくこうしているのだと言われるかもしれませんが、紙面を読むたびに違和感を覚えます。お米はどこへ行ってしまったのか、と。

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閑話休題(ソレハサテオキ)。

この世には、上記のように日本人である自分自身を省みる機会を与えてくれる「指南」としての意見がある一方で、指南というよりは「批難」と見える意見も存在します。下記に引用するのは、別の知人から問い合わせがあったものです。「日本の皇室をお守りする会」なる組織の「皇太子位を秋篠宮様に移譲することを求める請願書」への署名運動でした。

それは、ここ日本でバラエティータレントとしてご活躍の「デヴィ夫人」こと、インドネシア国籍のラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)さんが提起なさっているものです。

参考:彼女の主張→http://ameblo.jp/dewisukarno/day-20111115.html

参考:彼女について→http://uwasanoshinso.tripod.com/devi.htm

彼女の背後にどのような人々が控えているのか、いかなる金銭関係があるのか「頭の体操」をしてみると良いでしょう。


私は、皇太子ご夫妻の幸せを願う一国民に過ぎません。
日本国籍を持つ者として、皇室の安泰と国民の平穏無事を願わずにはいられないのです。


今日は「いい夫婦」の日。そして、太陽の日。

11+22=33→SunSun→太陽の日

今を生きるということを「楽しむ」視点が生命力を伸ばし、仕事を通じて社会に「貢献したい」という良心を覚えることが、私たち自身を太陽のように燦々と不断に仕事する流れに向かわせるのです。

さあ、今日も大きな笑顔で平穏無事に参りましょう。

朝陽を浴びながら

感謝
富士山 大海原

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