「食」という文字は字分けすると、「人」+「良」だから「食すことで、人は良くなる」と解すことができる。この命題の対偶は、「食さないことで、人は悪くなる」だが、説得力を感じる。

欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
(読売 ヨミドクター 6月20日)
 ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
 不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。

 「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」

 答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。

欧米が良いのか、日本か
 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
 家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)
宮本顕二氏のプロフィール:1976年、北海道大学医学部医学科卒業; 北海道大学大学院保健科学研究院機能回復学分野教授
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441 より転載
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閑話休題(それはさておき)


文字(光波)、コトバ(音波)、スキンシップ(電磁波)の三波を精神(心)の栄養として捉えると、肉体の栄養とは質的に違うエネルギーが見えてくる。

「飯(メシ)」という文字を字分けすると「食」+「反」で、食べるに反するで口に入れる食事ではなく、「口から出すもの」と捉えることができる。口から出すものとは、コトバ。すなわち、「命(メ)は詞(シ)」と解すことができる。命の本質であるメシ(命詞)を頂いている私たちは、詞(コトバ)こそが心の栄養だということに氣づき始めている。このコトバが超高速のエネルギー(光透波=コトハ)だという真理を解明・発見されたのは小田野早秧(さなえ)先生であった。

人間が必要としている栄養には肉体向けと精神(心)向けの2種類あるのだが、前者の研究ばかりに傾きすぎて後者に手が届かなかった。結果、心身両面のためには何をどのように食べれば良いのか分からないままで来てしまい、心の栄養不足になってしまっている。コトバが心身の栄養だともっと早くに氣づいていたら、親と子(家庭)・教師と生徒(学校)とのコトバ不足が子らを心の栄養失調状態に陥れたことを回避できた。強度の反抗やいじめ等の暴力行為を通じて、彼らは心身の栄養不足を訴えている。

これは子らの問題に留まらず、大人の問題でもある。組織(会社)の人間関係、私たち民衆と国・国と国との関係でも、コトバの不足によってさまざまな問題が起こされている。人間社会で生きる私たちが、人を良くする要素であるコトバ(光透波)を理解・咀嚼したならソリューション(新しい価値)を生み出すことができる。


いっしょに飯(メシ)を食べながら命詞(メシ)を出すコミュニケーション、大切です。


大きな笑顔の良き一週間を

感謝