コマーシャルは不思議なもので、私たちの「見栄」「体裁」「闘争心」「羞恥心」「嫉妬心」「欲望」を刺激してやまない。必要のないものを買わされてしまったり、そのようなものを買うために要らぬ努力をしたりする。

このような消費を決定する要因は、所得ばかりではなく、私たちを取り巻く社会環境によっても大きく影響される。たとえば、低所得の人々の間で生活すれば消費は小さくなる傾向があり、高所得の人々の間で生活すれば消費水準は高くなる傾向がある。これをJ・S・デューゼンベリー教授(1918〜2009)は「デモンストレーション効果」と呼び、人々の消費水準は相互依存関係にあることを指摘した。まわりの人々の派手な消費生活を見せつけられることによって、個人の消費性向が影響をうけ、所得水準よりも高い消費生活を営むようになると言うのだ。あるブランドの財布が流行しているという理由で自分もその財布を買う、は好例である。

消費の相互依存関係を示すものとしては、このほかに「ヴェブレン効果」がある。これは、人々が生活程度の高さを誇示することを意図して宝石や毛皮のコートなどを購入する場合であって、「衒示(げんじ)的消費(Conspicuous Consumption)」とも呼ばれる。消費は、財・サービスが本来もつ性質だけのために行われるのではなく、自分の地位の誇示や他人にみせびらかすために行われるとする。通常、需要は価格の上昇に伴って減少するが、衒示的消費などの場合、価格が上昇すると逆に需要が増加する。T・ヴェブレン(1857〜1929)言わく、消費者は私的な効用だけでなく他人からどのように見られているかという社会的な効用をも消費している。

彼の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』(1899年)では、「金ぴか時代(Gilded Age)」の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明された。彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。現代は、富豪でなくとも「強欲な消費」を発揮できるマネーの時代である。


閑話休題(それはさておき)


はたして、私たちは最低限の衣食住に甘んじることができるであろうか。子を塾に通わせたい、ローンして家を購入したい、貯蓄したいなど、将来の不安を埋めるための先行投資を余儀なくされている。それらは「安心」を得るための投資ではあるが、そのために時間的余裕を代償として差し出し、心のつながりを持てる人との交流時間を犠牲にした消費でもある。

強欲な消費から脱出し、最低限の生きる環境に満足できたなら、「見栄」「体裁」「闘争心」「羞恥心」「嫉妬心」「欲望」の奴隷にはならずに、自分らしく生きることにエネルギーを使いたい。好きな時に空を見つめる、何時間でも好きなだけ見つめる自由を手にする。波の音を楽しむ、好きなだけ楽しめる自由を手にする。そして、共に見たり、楽しんだりできるパートナーや恋人がいたら・・・。あれもこれも消費していた自分の考え方・生き方がつまらなかったことに氣づく。

私たちが生きていくのに一番大切なのは、消費することではない。もし、消費することで人が幸せになれるなら、一生懸命に消費した人はみんな幸福になれ、消費しない人はみんな不幸になるはずだ。しかし、現実はそうなってはいない。

考え方と価値観を変えるだけでいい。最低限の衣食住に甘んじて、時間的余裕を手にし、心がつながる人との共有時間を味わい、氣楽になることが大切である。

2013年の伊勢と出雲の遷宮によって、私たちのライフスタイルが消費中心から自分時間の生産に変わっていくなら、明治以降の脱亜入欧から目覚めた時代の脱欧入亜へシフトする時間が流れ始める。

大きな笑顔の良き日々を

感謝
脱欧入亜

Emi Sun @Empire State Building: 撮影 まさのりSun