天海僧正(1536〜1643)は、天台の教義に詳しく、家康に信任された。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正で諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。黒衣の宰相と言われる。家康昇天の後は、二代将軍・秀忠と三代将軍・家光に仕えた。

ある日のこと。将軍・家光の前で柿を賜った。天海が食べた柿の種を丁寧に懐に入れるのを見て、家光は「どうするのだ」と聞いた。彼は、「持ち帰って植えるのです」と答えた。家光は、「百歳になろうという年寄りが無益なことをする」と言った。すると、「一天四海を知ろしめなさるお方が、そんな性急なお考えを持ってはいけません」と返答した。

数年後、天海は柿を器に盛って家光に献上した。彼が「どこの産物か」と尋ねると、天海は「先年拝領しました柿の種が生長して実をつけました」と語った。


閑話休題(それはさておき)


世界を代表する自動車港湾といえば、名古屋港、ドイツ・ブレーマーハーフェン港、ベルギー・セヴルージュ港ともうひとつ。さぁ・・・どこでしょう?


三河港です!


港湾管理者は愛知県で、エリアは愛知県東部の三河湾・渥美湾奥にある豊橋市・田原市・蒲郡市・豊川市にわたる。三河港は平成15年5月に「国際自動車特区」として認定されていて、自動車流通機能を高めるとともに、自動車関連技術の研究開発を促進し、自動車メーカーの集積を目的として、国際自動車産業都市の実現を目指している。
輸入車陸揚げ拠点整備へ 鈴与、豊橋・三河港に
(静岡新聞 2012/11/ 2 09:38)
 鈴与は12月、豊橋市の三河港にある社有地で、フランス自動車大手プジョー・シトロエン・グループ(PSA)の日本での陸揚げ拠点となる「新車整備センター」の建設を始める。センター完成後、PSAは陸揚げを千葉港から三河港に移転させる。豊橋市が1日、明らかにした。
 鈴与は10月31日、PSAの日本法人「プジョー・シトロエン・ジャポン」(東京都)と新車整備センター稼働に向けた契約を締結した。モータープールとして使っている約3万8千平方メートルの社有地を充てて、受け入れ態勢を整える。
 センターは車両整備や品質チェックを担う施設で、来年6月に完成する予定。年間の輸入台数は1万2千台を見込む。三河港には現在、フォルクスワーゲン(ドイツ)、ボルボ(スウェーデン)、フィアット(イタリア)の3グループが陸揚げ拠点を構えている。
 豊橋市港湾活性課によると、2011年に輸入された外国車29万1306台のうち、三河港に陸揚げされたのは13万1435台。三河港振興会は11年から、輸入車1台につき千円を補助する「新規輸入自動車助成金制度」を創設して誘致を進めている。http://www.at-s.com/news/detail/474538337.htmlより転載

プジョー・シトロエン 三河港に輸入車拠点
(読売新聞 2012年11月2日)
千葉から業務移設へ
三河港神野地区
豊橋市は1日、総合物流会社「鈴与」(静岡市)とフランスの自動車会社の日本法人「プジョー・シトロエン・ジャポン」(東京)が、三河港の神野地区で新車整備センターを稼働させることが決まったと発表した。契約締結は10月31日付。
 年間1万2000台見込む
 発表によると、鈴与が同市神野西町で現在、カープールとして使用している自社用地に新車整備センターを建設し、プジョー・シトロエン・ジャポンが、輸入されたプジョーやシトロエンの完成車の整備業務を行う。12月に着工し、来年6月に完成の予定で、年間約1万2000台が輸入される見込み。
 プジョー・シトロエンは1988〜2002年に同港を利用し、2001年のピーク時は1万4000台が陸揚げされていた。現在は千葉港で行っている業務を三河港に戻すことになる。
 同港では昨年度、輸入車1台につき1000円を助成する新規輸入自動車助成金制度を創設し、2件目の適用となる。
 同港にはフォルクスワーゲン、フィアット、ボルボの3グループが輸入拠点を置いており、同市は、プジョー・シトロエンの復帰で国内の輸入車の5割以上が三河港を経由することになるとみている。 http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/kan121102_4.htmより転載

インテリジェンスある種を蒔いた結果である。

参照:愛知県三河港務所


日本では昨日16日に衆議院を任期途中で解散し、議員の資格を失わせ、40日以内に当たる12月16日に衆議院議員総選挙を行う。ゴラン高原では1974年に兵力引き離し協定が成立後、11日に初めてイスラエル軍がシリア側にミサイルを発射し、緊張が高まっている。
日本国憲法 前文の一部(1946年11月3日公布)

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


今風に言えば。「国際平和特区」たらんとした日本国ではあった。

先の大戦から得た教訓を活かしたい。このままでは、この前文に認(したた)められた反省を後世の歴史家に「敗戦当時の空氣に反応したに過ぎない」と記されてしまいかねない。『全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する』と誓ったことを思い返したい。

どんな種を蒔いて、『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい』と願い、それを実現するのかも選挙の争点としたい。

種を植えて、実がなるまで待つ。
それは、一天四海すなわち天下・全世界を治める政治のインテリジェンスである。

天海僧正が柿の種を懐に入れた瞬間、柿を献上するという未来が創られた。


輝く笑顔の静かな週末を

感謝