1180年前後(治承年間)に後白河法皇(1127〜1192)が編集した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、今様と呼ばれる歌謡集である。「梁塵」の由来は、素的な歌で梁の塵も動いたということらしい。

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」などの童心の歌が知られているが、『梁塵秘抄』の多くは法文歌である。

仏は常にいませども
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁(あかつき)に
ほのかに夢に見えたまふ


阿弥陀如来(仏さま)は不滅なものとしていつも身近にいらっしゃるのだが、
目に見えないところが尊いのです。
人の物音のしないような静寂な暁には、
かすかに私たちの夢の中に姿を現して下さいます。
(拙訳)

天然自然の世界では、風や重力は機能を有してはいるがその存在は目には見えない。今のところ私たちが生み出す機能を有する多くのものが姿形を持っている。私たちが進歩した暁には、機能を持ってはいても見えない存在を創り出しているかもしれない。

閑話休題(ソレハサテオキ)

今、フト、シャンソン『枯葉』の詞や映画『天井桟敷の人々』のシナリオで知られる詩人ジャック・プレヴェール(Jacques Prevert、1900〜1977)の「われらの父よ」が浮かんできた。

われらの父よ

天にましますわれらの父よ
天にとどまりたまえ
われらは地上にのこります
地上はときどきうつくしい
ニューヨークの不思議
それからパリの不思議
三位一体も顔負けで
ウルクのちっちゃな運河
万里の長城
モルレーの小川
カンブレーの薄荷菓子
それから太平洋
チュイルリーの二つの泉
いい人たちとわるいやつら
この世のすべてのすばらしさは
地上にあります
あっさりと地上にあります
あらゆる人にあけっぱなしで
めったやたらに使われて
こんなすばらしさに自分でうっとりして
しかもそれを認めたがらない
裸をはずかしがるきれいな娘みたいに
してまたおそろしいこの世のふしあわせ
それは軍隊
その軍人
その拷問係
この世のボスどもと
その牧師 その裏切者 その古狸
それから春夏秋冬
それから年月
きれいな娘と いやな野郎
大砲の鋼のなかで腐ってゆく貧乏の藁。(小笠原豊樹氏訳)

プレヴェールの次の詩も白眉で、大好きだ。

夜のパリ

三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで
はじめのはきみの顔を隈なく見るため
つぎのはきみの目をみるため
最後のはきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを想い出すため
きみを抱きしめながら。(小笠原豊樹氏訳)

誰もが夢中になる物や事がある。
そのときめきやワクワクする氣持ちを大切にし続けたい。
大いに遊びましょう!

大きな笑顔の良き日々を

感謝