スポーツマンシップ (Sportsmanship) という言葉がある。これはスポーツを行う者たち、指導するコーチや監督たち、そしてスポーツを観戦・応援するファンたちの品性ないしマナーであり、美学である。その美学とは独立不羈の精神の育成であり、それがスポーツマンシップ の核である。

このところ日本では、コーチとか監督と呼ばれる人々による暴言と暴力が問題化(クリスタライズ)され始めた。悲しいかな私たちの日本では、誰もが暴力関係で維持されてきたスポーツ界の現状を知っていて、暗黙のうちにそれを認め続けてきた。今日のオリンピックが商業主義に堕落しているとは言え、暴力関係で保たれている日本のスポーツ界はオリンピックを招致するライセンスであるスポーツマンシップが著しく欠損している。

オリンピックをはじめとする各スポーツで話題となった日本の若者たちがスポーツを踏み台にして社会的成功を志向している(use Olympic Games as a stepping‐stone to his/her own success)のは、昨今の彼らの芸能活動から見て取れる。国威の発揚のオリンピックで活動したからといって、独立不羈の精神が育まれているわけではない。世界的な記録を打ち立てたからといって、スポーツマンシップとは何の関係もない。コーチや監督の指導なしでも、独立不羈の精神を基に上達できてこそ真のスポーツマンでしょう。しかし、社会的成功のためにコーチや監督から暴言と暴力を浴びせられようとも、お互いがその暴力手法を理想の結果を出す処方箋と信じ、服従の精神を育成し続けることができたのは、スポーツマンシップをいとも簡単に社会的成功にトレードオフできたからに違いない。コーチや監督、そして選手たちの社会的成功への強欲がそうさせたのだろう。独立不羈の精神が欠けた社会的成功など、ありはしないというのに・・・。

独立不羈(どくりつふき)たらんと考え、行動したい。

大きな笑顔の佳き週末を

感謝