みなさん、おはようございます。

静かに太陽がSunSunと輝いています。
いかがお過ごしでしょうか。

昨日は、甥っ子が希望の高校に進学するというので、グランドホテルでお祝いのディナーを楽しませていただいた。高校3年生になる姪っ子とワイフと私の4人であった。横のテーブルには、若い夫婦と2歳ほどの子が食卓を囲んでいた。その子がガラスのコップを落とし、音を立てて粉々にしてしまった。幸いにも、誰もケガをするようなことはなかった。ウエイターとウエイトレスが速やかに場を整えてくれた。その後も、その子は少しばかり大きな声を出したりするものだから、若いお母さんは隣席の私達を氣になさって「すいません」などと申し訳なさそうに言葉をかけてくださる。「いいんですよ」と言って、その子へ笑顔を向けると、お母さんも笑顔になった。

大きな声を出したり、騒いだりするのは子の仕事で、特性である。構わないのが一番。好きなようにやらかしていただくのが良い。盆栽よりも谷間の木の方が諸々のお役目を果たせるというもの。子を弄(ひねく)らせてしまっては何の得(徳)にもならない。子の教育は家庭と学校を両輪としてなすべきものだが、氣を配ることは次のふたつ。ひとつは、家人が協力して家庭を本当に自由な天使空間にしてやること。学校では教育という名の下で厳さを強いられるのだから。さもなければ、親の前で行儀を良く見せておいて、誰も見ていないところで悪い事をやる子に仕上がってしまう。もうひとつは、子は僻(ひが)ませないようにすること。物事を素直に受け取らないで、曲げて考えないようにする。自分が不利なようにゆがめて考える癖がつかないようにする。だから、やんちゃをさせてやろう。子がいたずらやわがままで大人の言うことをきかないことも認めてやろう。やんちゃでない子は往々にして、学校の成績は良いものだ。しかしながら、彼らは他人様に使われる(利用される)ような者にしかならない。昔から、「学者の取った天下なし」と言う。理屈だけを言って 現実のことを軽く考えるような者にしたくはない。


閑話休題(それはさておき)


2006年7月18日に記した『伊勢神宮(完)』の出来事を思い起こす瞬間が昨日訪れた。神宮を参拝なさり、伊勢から戻られたお客さまにお運びいただき、話を伺ったからである。

伊勢へ七度、熊野へ三度( いせへななたび、くまのへさんど)

何度も信心参りをする、信心の厚いことをいう故事だが、下の句があることを数年前に知った。

愛宕様へは月参り

と続く。愛宕山と名が付いたお山は日本全国に120ほどある。そして、900の愛宕神社があり、その総本山が京都にある愛宕神社である。京都市左京区上嵯峨北部の愛宕山は、標高924メートル。東京港区芝の愛宕山は、標高26メートルの丘で、京都の愛宕大権現を祀っている。ここはNHK発祥(1925年)の地としても知られている。

さあ、今日も太陽のようにSunSunと笑顔で参りましょう。

感謝