ここ数年、国政を託したいと願う人物を探し出すことができないでいる。政治家としての能力や姿勢・態度を持ち合わせている候補が身近にいない。候補者の口から飛び出す政策に実現の可能性を見いだせない状態が続いている。もしかすると、彼らは実現不可能と知っていながら演説しているのかもしれない。言葉巧みに政策を並び立てるだけの彼らを国権の最高機関である国会へと送ってしまう。この手続きを選挙と呼んでいる。私たち民衆はそのために大切な時間を工面し、投票場に足を運ぶ。

今回の選挙でも、候補者たちは政策と称して「TPP反対」「脱原発」などと叫んでいた。理想(望む社会像)を表現することが政策だと思い込んでいるように見えた。なかには、現実(現状の社会)を描いて見せること(クリスタライズ)を活動の中心に据えた候補者もいた。しかしながら、それらは政策目標や利害関係者の思惑が渦巻く社会の説明ではあっても、政策手法ではなかった。私たちの社会を理想へと導く政策手法は、次の公式から導き出される。


政策手法(課題)=
理想(望む社会像・政策目標)−現実(現状の社会・利害関係者)


その政策実現に関わる社会的利害関係者(ステイクホルダー)は誰であるのかを知って、彼らステークホルダーがどのように行動するのかを予見して、対処する必要がある。この課題を解決する手法こそが政策と呼ぶに値する。そして、その政策をつくり実現する能力が政治家または政治家になろうとするすべての人物に求められる。誰のための政策で、誰が利益を得て、誰が損害を被るのか。そして、何が最優先の政策なのかを見極める能力も政治家には必要だ。私たち民衆は全力でこのような能力を備えた政治家を育て、国政を託したい。


閑話休題(それはさておき)


選挙の投票用紙には改善の余地がありそうだ。政治家としての能力を持ち合わせていないにもかかわらず候補者になってしまった人のために、拒否する枠を設け、チェックが記されたならマイナス一票の減票となるシステムを導入したい。現状の増票のみのシステムでは、私たち民衆のプラス一票が民意として、現体制を認め、政府を支持していると受け取られてしまう。選ばれてしまった後は、公約を守ろうが破ろうが、何をしようが、私たち民衆の文句のひとつも受け入れない自由自在の世界に身を置くことが許されている。だから、深く考えて候補者選びをする必要があるのだし、投票場に行ったからには、政治家としてふさわしい人とふさわしくない人の両方を選べるようにしたい。より多くの不支持を得た者を代表者としないことによって、政治の安定化を図りたい。「私たち議員を選んだのは国民の皆さんですよ」というような責任転嫁も終わりにできる。

プラス票をカウントする今の選挙システムを昔から行われ続けてきたというだけで、それを将来に向かって思考と行動の倫理的基準にするなら現状維持は免れない。永遠なる昨日的なものに縛られる伝統主義よ、さようなら。男女平等の普通選挙法は第二次世界大戦後の1945年(昭和20)12月に、1925年の普通選挙法を改正して成立し、翌46年4月戦後最初の総選挙から施行され、9月地方議会でも実現した。そして、1947年3月には1925年以来の欠格条項(※注)を廃止へと導いたのであった。選挙の伝統があるとしたら、それは変化を積み重ねた先に生まれるものだ。


SUNSUNと輝く朝陽を浴びながら。

大きな笑顔の佳き一日を。

感謝

(※注)1925年に成立し、28年(昭和3)2月第16回総選挙より施行された普通選挙法では、「帝国臣民タル男子」で25歳以上の者に選挙権を、同30歳以上の者に被選挙権を与えたが、「貧困ニ因リ生活ノ為公私ノ救助ヲ受ケ又ハ扶助ヲ受クル者」「一定ノ住居ヲ有セサル者」などの最下層民衆や「華族ノ戸主」および現役軍人などには与えず、また女性や植民地の人民も除外していた。